くちびるに歌を持て 心に太陽を持ての最近のブログ記事

しばらく遠ざかっているカテゴリがある。

「くちびるに歌を持て 心に太陽を持て」 シリーズ。

月刊誌「理念と経営」の定番になっているエッセイでもある。 その作者は小桧山 博。 とても好きなタイプである。

しかし、前回ご紹介した後、別の作者さんにバトンタッチしていたのでした。 タイトルは同じ、くちびるに・・・  なのですが、作者が違うとやはり違うのです。 どうしても私と合わないものですから今日までストップしていたのでした。

しかし、 しかし帰ってまいりました。 想像ですが、わたしと同じように感じていた人たちがたくさんいたのではないでしょうか?  

相変わらず素敵な文章です。 瞬間の切り取り方がとても鮮やかです。 みずみずしいというか、なまめかしいというか、時空を超えています。 しかしその鮮やかな過去と、数十年後の今が、素晴しいほどに一体化していることに私は素直に感動します。 過去と今が決して別々のものではなく、全く同時に存在していることをこれほど端的に表現できることに憧れます。

復活祭第一弾、 お楽しみください。

 

 

待つということ      小檜山 博        「理念と経営」特集記事

 

"ぼくは携帯電話を持っていない。 必要ないからだ。 雑誌や新聞の連載を6本も持ち、1年に50回の講演に歩くが電話の必要を感じない。 すべて手紙で用が足りるからだ。

27歳で東京に住んでいたころのある日、女と新宿の「田園」という喫茶店で待ち合わせた。 5日前に知り合ったばかりで、名前も年齢も住所も勤めているのかどうかも知らなかった。 ぼくのほうから誘った。

約束の日はぼくの誕生日だった。 ぼくは会社から給料の前借りをしてコーヒー代と食事代を調達し、6時に喫茶店へ行った。

だが7時になっても8時になっても女はこない。 ぼくはいらいらしながらも待った。 連絡しようにも、彼女の家かアパートかの電話も知らなかった。

9時になったとき、ぼくはアタマにきて喫茶店を飛び出した。 女は初めからぼくと会う気などなかったのだと思った。 自分の愚かさに腹が立ち、近くの焼き鳥屋で酒をあおった。

そのとき突然、もしかするとぼくが指定した喫茶店は「田園」ではなく「上高地」ではなかったかと気づいた。

ぼくは焼き鳥屋を飛び出すと、「田園」から200メートルほどのところにある「上高地」へ走った。 時計は10時を回っていた。

息を切らせて「上高地」へ走り込むと、女はいた。 4時間半も待っていたのだ。 眼が濡れていた。 ぼくを見ると大急ぎで涙をぬぐった。

 

その女性が、いまのぼくの妻だ。 結婚して45年たち、ときおりぼくが 「もしあのとき携帯電話でもあって、5分後に待ち合わせ場所の間違いがわかって4時間半待つことがなかったら、俺たち結婚してなかったかもな」 と言うと妻も 「たぶんね」 と笑う。"

 

                

◆ 5月27日より6月中旬までサーバー移行のため書き込みをお休みします。 しばらくの間くどい記事を読まずに済みますのでさぞかしリフレッシュされることと思います。 私も負けずにリフレッシュしまーす。

 

 

 

毎日のように、まあまあすさまじいお話が舞い込んでくる。

本日も長年会社経営をされてきた社長さんから、生活保護の申請のために所有する不動産を売却してくれというお話をいただいた。

かれこれ長年に渡りご活躍されてきた方だけにびっくりした。

とかく不動産の開発というものは土地の買収だけでも何年もかかり、そしてそのつど費用はかかり、金利はかかり、そこからまた開発申請なるものの手続きに何年もかかる場合もある。

もちろんその間は商品化されないわけで、ただの一円も入ってこないことになる。

その間に時代が変化すれば、今までかかった資金は借金のままどんどん膨らんでいくことにもなる。

どんなに努力しても状況がすぐには変わらないこともある。

毎日毎日どんな思いで過ごしてきたのだろう。

眠れぬ夜もあっただろう。

家族を想い、やるせない気持ちをどこに捨ててきたのだろう。

そうやって多くの中小企業経営者が今という時を生きている。

生きているだけで幸せなことだとは知りつつも、いざそれなりの環境下に置かれると人は本当に無力さに慄き、不安に押しつぶされそうにもなる。

幾多の時代にも困難はある。

ある時代に生まれた歌が、今でも輝きながら人々を照らしている ・・・

 

 

心に太陽を持て

ツェーザル・フライシュレン  (ドイツ 1864-1920)     山本有三

 

心に太陽を持て。

あらしが ふこうと、

ふぶきが こようと、

天には黒くも、

地には争いが絶えなかろうと、

いつも、 心に太陽を持て。

 

くちびるに歌を持て、

軽く、 ほがらかに。

自分のつとめ、

自分のくらしに、

よしや苦労が絶えなかろうと、

いつも、 くちびるに歌を持て。

 

苦しんでいる人、

なやんでいる人には、

こう、 はげましてやろう。

 

「勇気を失うな。

くちびるに歌を持て。

心に太陽を持て。」

 

 

 

久しぶりのタイトルである。 このシリーズの作者、小檜山 博さんも投稿誌では終了しているのでそろそろ小檜山さんの文章ともお別れである。

短い言葉の中から、とても大きな世界を感じさせてくれる人、作家として好きである。 それは即ち想像しやすい、思わず同化してしまう、と言った方がいいのかもしれない。 小檜山さんには失礼だろうが、波動が似ていると勝手に思っている次第である。 もっと言うと、本当はみんなの中にもしっかり埋め込まれている感性だとも思うのだが、まだ気づいてない、もう忘れている人が多いのかな??   とも思う。

どうも会社の中での経営者と社員の関係もいろんな形があるようですが、昔は、今回ご紹介するようなタイプの経営者が少なからずいたように思うのです。 言葉は短いが、最大の愛情を持ち合わせているタイプが ・・・    今は、  どうなんでしょうね。    私?   ・・ 論外のような気が ・・

 

ある言葉   小檜山 博    (理念と経営 特集記事より)

"ぼくは北海道にある地方新聞社に勤め、働きながら同人誌を出し、下手な小説を書いていた。 勤め先の人には、ぼくが小説など書いていることがばれないよう心がけた。 会社の仕事に一生懸命でないと思われたくなかったからだ。

三十九歳のとき芥川賞候補になり、東京の編集者から東京へ出てきて書けと言われるが、もし会社をやめて小説の注文がこなくなったとき、もうぼくなど雇ってくれる会社などないと思うと、いまの勤めをやめるわけにいかなかった。 会社には申しわけなかったが、なんとか勤めながら書きたかった。

いくつかの文学賞をいただいたある日、勤め先で社長室へ呼ばれた。 ぼくは恐ろしさで心臓がとまりそうになった。 とうとうクビだ、と思った。 考えてみれば会社から給料をもらいながら小説など書き、講演に歩く不真面目な社員を、経営者が黙っているはずがないのだった。 ぼくが愚かすぎた。

社長室へ入ると、ぼくは目眩がして体も足も震え、いまにも倒れそうだった。 ソファへ座ると社長がいきなり 「君、会社やめるってか」 と聞いた。 ぼくは即座に 「とんでもありません」 と言った。 声が震え、かすれた。 たしかに、ぼくが東京へ出て行くという噂や、ねたみや中傷の噂もぼくの耳にも入ってはきていた。

社長がぼくを見、 「そうか、それならいいけどな。 俺は小説のことはわからんけど、ここで働いてカネの心配ないほうがいいもの書けるんではないかと思ってな」 と言った。

ぼくは飛び上がるように立つと、 「すみません」 と言って頭を膝へ着きそうに下げた。 社長が 「よし、わかった。もう行っていい」 と言った。

ぼくは夢遊病者みたいに、よろけながら出口へ歩いた。 扉をあけようとしたとき背後で社長が 「いいか、会社やめるなよ。 もし、どうしてもやめるときには、直接、俺に断れ」 と言った。

扉の外へ出たとたん、ぼくの眼から涙が吹き出して前が見えなくなった。

 

ぼくはこの会社に勤めさせていただいた四十年間、会う人会う人にずっと、ぼくのところの新聞をとってくださいと言いつづけた。"