くちびるに歌を持て 心に太陽を持ての最近のブログ記事

毎日のように、まあまあすさまじいお話が舞い込んでくる。

本日も長年会社経営をされてきた社長さんから、生活保護の申請のために所有する不動産を売却してくれというお話をいただいた。

かれこれ長年に渡りご活躍されてきた方だけにびっくりした。

とかく不動産の開発というものは土地の買収だけでも何年もかかり、そしてそのつど費用はかかり、金利はかかり、そこからまた開発申請なるものの手続きに何年もかかる場合もある。

もちろんその間は商品化されないわけで、ただの一円も入ってこないことになる。

その間に時代が変化すれば、今までかかった資金は借金のままどんどん膨らんでいくことにもなる。

どんなに努力しても状況がすぐには変わらないこともある。

毎日毎日どんな思いで過ごしてきたのだろう。

眠れぬ夜もあっただろう。

家族を想い、やるせない気持ちをどこに捨ててきたのだろう。

そうやって多くの中小企業経営者が今という時を生きている。

生きているだけで幸せなことだとは知りつつも、いざそれなりの環境下に置かれると人は本当に無力さに慄き、不安に押しつぶされそうにもなる。

幾多の時代にも困難はある。

ある時代に生まれた歌が、今でも輝きながら人々を照らしている ・・・

 

 

心に太陽を持て

ツェーザル・フライシュレン  (ドイツ 1864-1920)     山本有三

 

心に太陽を持て。

あらしが ふこうと、

ふぶきが こようと、

天には黒くも、

地には争いが絶えなかろうと、

いつも、 心に太陽を持て。

 

くちびるに歌を持て、

軽く、 ほがらかに。

自分のつとめ、

自分のくらしに、

よしや苦労が絶えなかろうと、

いつも、 くちびるに歌を持て。

 

苦しんでいる人、

なやんでいる人には、

こう、 はげましてやろう。

 

「勇気を失うな。

くちびるに歌を持て。

心に太陽を持て。」

 

 

 

久しぶりのタイトルである。 このシリーズの作者、小檜山 博さんも投稿誌では終了しているのでそろそろ小檜山さんの文章ともお別れである。

短い言葉の中から、とても大きな世界を感じさせてくれる人、作家として好きである。 それは即ち想像しやすい、思わず同化してしまう、と言った方がいいのかもしれない。 小檜山さんには失礼だろうが、波動が似ていると勝手に思っている次第である。 もっと言うと、本当はみんなの中にもしっかり埋め込まれている感性だとも思うのだが、まだ気づいてない、もう忘れている人が多いのかな??   とも思う。

どうも会社の中での経営者と社員の関係もいろんな形があるようですが、昔は、今回ご紹介するようなタイプの経営者が少なからずいたように思うのです。 言葉は短いが、最大の愛情を持ち合わせているタイプが ・・・    今は、  どうなんでしょうね。    私?   ・・ 論外のような気が ・・

 

ある言葉   小檜山 博    (理念と経営 特集記事より)

"ぼくは北海道にある地方新聞社に勤め、働きながら同人誌を出し、下手な小説を書いていた。 勤め先の人には、ぼくが小説など書いていることがばれないよう心がけた。 会社の仕事に一生懸命でないと思われたくなかったからだ。

三十九歳のとき芥川賞候補になり、東京の編集者から東京へ出てきて書けと言われるが、もし会社をやめて小説の注文がこなくなったとき、もうぼくなど雇ってくれる会社などないと思うと、いまの勤めをやめるわけにいかなかった。 会社には申しわけなかったが、なんとか勤めながら書きたかった。

いくつかの文学賞をいただいたある日、勤め先で社長室へ呼ばれた。 ぼくは恐ろしさで心臓がとまりそうになった。 とうとうクビだ、と思った。 考えてみれば会社から給料をもらいながら小説など書き、講演に歩く不真面目な社員を、経営者が黙っているはずがないのだった。 ぼくが愚かすぎた。

社長室へ入ると、ぼくは目眩がして体も足も震え、いまにも倒れそうだった。 ソファへ座ると社長がいきなり 「君、会社やめるってか」 と聞いた。 ぼくは即座に 「とんでもありません」 と言った。 声が震え、かすれた。 たしかに、ぼくが東京へ出て行くという噂や、ねたみや中傷の噂もぼくの耳にも入ってはきていた。

社長がぼくを見、 「そうか、それならいいけどな。 俺は小説のことはわからんけど、ここで働いてカネの心配ないほうがいいもの書けるんではないかと思ってな」 と言った。

ぼくは飛び上がるように立つと、 「すみません」 と言って頭を膝へ着きそうに下げた。 社長が 「よし、わかった。もう行っていい」 と言った。

ぼくは夢遊病者みたいに、よろけながら出口へ歩いた。 扉をあけようとしたとき背後で社長が 「いいか、会社やめるなよ。 もし、どうしてもやめるときには、直接、俺に断れ」 と言った。

扉の外へ出たとたん、ぼくの眼から涙が吹き出して前が見えなくなった。

 

ぼくはこの会社に勤めさせていただいた四十年間、会う人会う人にずっと、ぼくのところの新聞をとってくださいと言いつづけた。"

 

 

 

さて、従来型の経済世界からみればまったくの不況と言われる時代が本格的に始まった。 もはや大型消費は国内においては縮小せざるを得ないだろう。 順次様々な消費にも影響を及ぼしてくるだろう。 そしてこの不況は当たり前となるだろう。

しかし、考えてみればここまでの経済世界を作り上げる前はもっと何も無く、しかしある意味幸せに暮らしていた時代であった。 したがってこれから続く不況とは、別な見方で見るなら幸せへのリスタートかも知れない。

まあ、こんなことを書いているとまた田中はアホなことを言いよるわい、と言われるだろうが書いてやる。

これからの十年をかけて先進諸国の中から昔とも違う、今とも違う、新しい資本主義なり、生活なりが始まってくるだろう。   新たな心の時代が ・・  小檜山さんが見ているような心の時代が ・・

それを思い出すための準備期間に過ぎないと思う。

 

光る汗    小檜山 博    (理念と経営 特集記事より)

『乗り物で高齢者や体の悪い人に席をゆずるかどうかで、その国の民度がわかると言われる。 調べてみるとアメリカ人は51%、イギリス人は63%もの人が困っている人に席をゆずるというのに、なんと日本人はたったの19%しか席をゆずらない。

ある夕方の通勤時間、ぼくは札幌の地下鉄のホームで電車を待っていた。 ぼくが並んでいる列の前から六人目に、少し腰の曲がった八十歳くらいの小柄な女性が、両手に大きな紙袋を下げて並んでいた。 ときどきよろけては、しゃがんで休む。 そのすぐ後ろに中学生くらいの二人の少女がいて、喋ったり笑ったりしている。 ぼくは列の一番後ろだ。

やがて入ってきた電車は満員のうえ降りた客が少なく、窓から見える空席は一つ二つしかない。 客が乗りはじめ、お年寄りの女性の後ろにいた少女の一人がいきなり前のお年寄りを押しのけ、小走りに車内へ入っていくと人々の間をすり抜けて一つだけあいていた席へ座った。

思わずぼくは舌打ちした。 みっともないことをする女の子だ、と声に出そうになった。 お年寄りの女性はよろけながらドアを入るとすぐ、荷を床へ置いてしゃがみ込んでしまった。

席をとった少女が笑い顔で、後から乗った少女に手を振る。 すると後から乗った少女が床にうずくまっているお年寄りに近寄り 「席ありますから」 と言って片手で彼女を抱き上げた。 さらにもう一方の手で二つの紙袋を持つと、乗客の間を縫って中へ進んだ。

先に席をとっていた少女が立ち上がり、そこへお年寄りの女性を座らせたのだった。 その足元へ紙袋を倒れないように置く。

それから少女たちは、礼を言っているお年寄りのほうを振り返りもせず、逃げるように走ってぼくが立っている連結器の近くへきてつり革につかまった。 顔が真っ赤だった。 その笑顔に浮いた汗がキラキラ光った。

ぼくは何か言いそうになって、やめた。 言葉ぐらいで彼女たちを讃えることなど、無理だと思った。』