2011年2月アーカイブ

さてさて行ってまいりましたぞ。 三崎半島廃校めぐり。 例のお金持ちの友人から借り受けたDUCATIムルティストラーダ1200で走りました。

土曜日朝の8時に出発し、寒気の残る378号線、別名夕やけこやけラインを震えながら、しかし快適に走り抜け、1時間後に新長浜大橋を越えたあとは行ったことがなかった伊方町室鼻公園に立ち寄ろうと狭い農道をクネクネ走っておりましたら、な、なんと素晴しい景色。  IMG_2051.jpg

標高150mくらいの高台を走る農道から見たその景色とは、朝日が海に反射し、その春めいた光の中に宇和海に浮かぶ黒島や鳥島が気持ち良さそうにプカプカ漂っているようでありました。 いったんメロディーラインに戻り、ほどよいところで旧道へと降りて行き、現役校の二見小学校を見学し、そのままリアス式海岸に沿う旧道をクネクネ走り廃校になっている塩成小学校跡へ。  平屋造りの小学校跡です。 小さな学校ですがムードはあります。 校庭にバイクを止めてゆっくりと校庭を散策していると地元の小学生が・・・   さすがです。きちんと挨拶をしてきます。 おまけに 「カッコエーバイクじゃーねー、おいさん」 ときたもんだ。 「ありがとう、僕んじゃないけど」 とはいいませんが、お返しにいろいろ聞いてみました。   水道は使えるん? 電気は? 校舎の中はどがな? 体育館は危なそうやなあ? 全然使ってないの? 君らはどこの小学校に行っとるん? ・・・   しまいには少年3人組は嫌気がさしたのか海の方に消えて行きました。  情報は仕入れました。 ありがとでした。。   今頃不審者情報出回っとんちゃうやろか・・

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さて気を取り直し海なりの旧道を西へと向かいます。 車だと狭い道なのですが、バイクだと私の好きなクネクネ道が永遠に続いていますので天国です。 おまけに本当に美しい風景も永遠に続いていますのでこれまた天国です。 数十年ぶりの本旧道ですが素晴しいですねえ、三崎半島。 何度もバイクを止めて景色を楽しみながらのツーリングとなりました。

次の目的地は大久小学校。 現役校です。   この学校はほとんど海に隣接しているといっていいくらいの場所に立派な校舎を構えておられ、またその目の前の海岸が美しいのなんの。 砂浜なのですが、海水浴場としても立派なものでした。 恐らく教室の窓から見える海の風景はリゾートだと思います。  この風景の中で育つ子供たちも羨ましいなあ・・

お次は名取小学校跡。 これはちと行きすぎてしまいましたが、車道から直接人が歩いて登る階段が入り口なので見落としました。 道端で作業をしておられたおばばに尋ねますと、ここだというのでちとお話させてもらいながら見学しました。 高台にあり見晴らしはすごいものがありますし、校舎もおもちゃのようなコンパクトなものですが、なんとなく郷愁を誘うものがあり不思議な魅力を持っておられました。 ただ、廃校の宿命ですがここも老朽化が進み使用に関しては危険が伴いそうな状態でした。 つらいものがあります。

さて旧道は自然とメロディーラインに合流しそのまま三崎町中心部へと向かいます。 そこに見えるは「まりーな亭」。  私、朝から何も食べておりません。 ただいまの時刻12時半ば。 直行です。    このお店は「じゃこカツバーガー」で有名なお店でもありますが、腹のへっている私はじゃこミックス定食。 じゃこ天とじゃこコロッケと太刀魚巻きがセットになった欲張りメニュー。 うまかったです。

 

IMG_2131.jpg午後1時も回ったので次の場所へ。 今度は学校ではなくキャンプ場です。 井野浦キャンプ場という人口海浜ですが、本当にきれいに整備された砂浜で夏場だけトイレやシャワーが使えるようになります。 ここも一度個人的にキャンプに来てみたいと思います。 あいキャンでは宿泊が野宿になります。。。

その後佐田岬小学校も見学し、その前にある雰囲気抜群の天満神社へお参りさせていただき、近所のおじぃとおばぁが出てきたのでチラホラとお話させていただき、次は伽藍山へ。

ここは以前にお邪魔させていただいた喜久家プロジェクトの浅野さんから三崎半島で一番高い場所で、「九州まで展望できるよ」とお聞きしていたので一度行ってみようと思っていましたが、バイクでよかった・・   この道はよその人はあぶないかも。。  ガードレールなしの林道、同じような道が交差し、迷路で出てこれないかも・・   でも見晴らしは確かにすごかった・・  半島全域が360度見渡せました。 すごいですねえ、この地形。 日本で一番細長い半島だとよくわかりました。

 

IMG_2153.jpgクネクネと走り続けて二名津中学校、瀬戸ふるさと自然の家、三机小学校を見学して帰路につくわけでありますが、この半島の厳しい斜面に柑橘を丁寧に栽培されながらここに暮らし続けた人々の歴史を1日中走り回る中から自然と感じさせていただきました。 すべて斜面といっても過言でない農地での作業は平地でのそれの数倍の労力と根気がいることでしょう。  この日お会いしたどのご老人からも厳しさを越えてこられた人の持つ刻み込まれた深みのあるしわと、深くやさしいまなざしを感じることができました。   目的があるとはいえ、ほろほろバイクに乗って学校回りなんぞやってるヤロウはどんな風にみられてたんでしょうね。 比べる必要はないのでしょうが、鏡として自分の姿を見るきっかけにはしておこうと思います。

この日の所要時間9時間。 走行距離約300キロ。

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さあて、どこの学校を使わせていただくことになるのでしょう?   悩むなぁ・・・

 

 

 

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これが本日のブルーマーブルのお持ち帰りランチ。

美しいでしょっ! お味は前にもご紹介させていただきましたようにとにかくやさしい!  なんでこんなやさしい味がするのっ!  てくらいやさしい。 勘違いしないでいただきたいのは薄い味ということではないのです。 食材の味がそのまま生かされて、なおかつそれぞれの食材がバランス出来るように橋渡しとして調理する、というのでしょうか? 整えているという感じです。 そしてそれらが本当にお互いを生かしながらバランスしているので、薄味のようでいてとても満足のいく味わいとなって感じるのです。 ものすごい満足感があります。 味わいが長く残ります。

この中には実は数々の秘密が隠されています。 ちなみに今日のカブはおっそろしく丁寧に湯どうしされ透明感さえあるカブですが、型崩れしないどころかカブらしい歯ごたえを失ってはていません。 しかもカブの皮もついています。 この皮のおいしいこと。 ここの店長さんはやさいの皮をとても上手に生かします。 本来の育ち方をしている野菜はたぶんこうやって食べるのが本当なのでは? と思わせてくれます。 何気なく見えるこのお料理は、 実はものすごい法則に裏打ちされたものではないでしょうか? 

これからひとつひとつそれとなく秘密を聞いていこうと思いますが、これは自分のために使いますので内緒にします。。

現在ブックカフェとして本に囲まれたお店になっておりますが、まじめにマーブルに置いてある調理本に興味が出てきました。 この中に ひ・み・つ・が ・・・

ちと触れてきましたが、深くて神々しい世界でした。 是非触れてみてください。 

 

お弁当の容れ物には手書きのメニューとメッセージが ・・   全部違います。  どこまで 「手間」 を与えてくれるのでしょう。 ごはんとこころでおなかいっぱいになります。

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北への旅 四

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なんとまあ春めいてきたことでしょう。 バイク通勤などしていますと顕著に季節のささやきが聞こえるものです。 このまま汗が出ないうちに「北への旅」を終えねば笑われそうなので頑張ります。

 

さてさて、前回は夜明け前のまことに美しき、丹頂鶴と白銀と太陽の織りなす世界にしびれていたうら若き寝ぼけまなこの私の姿で終わってましたかねぇ。 見事なまでにこういう感動は覚えているものだなあと感心します。 冗談抜きで大概の事はその日のうちに忘れてしまう私としましては奇跡としかいえませんなぁ。。 一体私が覚えるということができる原因はどこらへんにあるのでしょうねぇ。 うーん、興味深いなあ。   などと言っている場合ではないのです。 そう、そろそろこの辺から怪しくなるのです。 記憶が・・

その感動からどのくらい経ったのか、まずはそれが定かでありません。 とりあえず次の記憶は終点の青森駅でした。 さすがに名前だけは知ってる私は本州最果ての駅ということでまあまあ感動しながら改札を出たと思います。  そしたらね、  田舎なんです。    もうちょっと賑やかしいかな?  なんて思ってたんです。 何せ本州最果ての駅ですから・・  なんかちょっとしたパラダイスかな?  なんて・・  勝手ですけど、 思ってたんです。 

おり立って、  どないしょー、  思いましたもん・・   ほんま30年ちょい前の青森駅はそないなもんでした。  多分今は新幹線いったし、すごいと思いますけど・・       この後の青函連絡船に乗るまでの時間つぶしが・・  あ~~、どないしょー。 くらい田舎でした。  今の若者は連絡船知らないよね。 説明するのも面倒になってきたけど、今は青函トンネル通って汽車走ってるけど、昔はそんなトンネルあらしまへん。  冬は大荒れの津軽海峡を生き死にかけて船で青森-函館間を行き来していたのでありました。 当時国鉄の連絡船として手堅く運航されていたにもかかわらず、昭和29年9月には後に洞爺丸台風と呼ばれる台風15号によって転覆し1155名の死者を出し、その他にも数隻沈没し累積死者数は3000名を超え、タイタニック号遭難などと並ぶ世界3大海難事故となってしまった事実もあるほど緊張感を伴う場所なのです。 私も知識としては知っていましたので、やはりそれなりに緊張したのは覚えています。 冬の津軽海峡を海の上から体験することは知識としての史実とはやはり違うものです。 海を見ながら何か考えたような・・ 思ったような・・     忘れました。

それからの記憶が・・   多分寝たのでしょう。 そりゃそうでしょうよ。 寝ますよ、あなた。 もうかれこれボロボロでんがな、あたい。

あー、 ほんまに眠たなってきた。   今日はもう寝ます。 おやすみー。

 

 つづく

 

昨夜のマーブルデーは先日イタリアカフェ文化取材旅行から帰ってきた藤山オーナーによるスライドライブを拝見することができた。 以前のブログでご紹介させていただいた以外にも心底このイタリアという国のアーティスティックな部分が物や形のみならず、心の在り方にもあるような気がしてくるほどの素晴しい写真と説明でありました。 私も一眼デジカメ初心者用を買っていろいろ撮ってますが、彼のようには撮れません。 いったい何が違うのでしょう??     

 

ところでこのマーブルデーには初期のころから参加している女子大生がおられます。 彼女の参加の動機は聞いたことがなかったのですが、熱心に来ていることは見ておりました。 この日お店に到着すると彼女の隣に座っておられた、先日由良野の森へご一緒させていただいた岩本先生が、彼女が私に聞きたいことがあるとおっしゃいます。 はて何でしょう? ということで食事をしながらお聞きしますと、来週早々にある企業の就職試験があるという。 その試験はすでにテーマが用意されており、そのテーマに基づいた企画原案を提出発表しなければならないという。 その案をチェックしてほしい、アドバイスしてほしいというのです。 大学3年生の彼女にとってすでに就活は始まっているのです。

さてそのテーマとは、あるデパートにおけるワンフロアーを使ってどのような企画イベントができるのか?  そのことにより当社にとって、お客さまにとってどのような利益が確保できるのか?

というようなものでありました。 会社側から見ても外部の斬新なアイデアに触れられるチャンスでもあり、また学生の資質を見抜く上でも有効な手段であるということなのでしょう。 企業側も社内アイデアは煮詰まっているでしょうからすべてを効率的に有効活用しようという姿勢はまあわかります。 

さて、彼女の立てたプランとは・・   このブルーマーブルのようなカフェであり、そこに地域の方々や観光客、そして社員までもが交流できる居場所をつくることでした。 そしてその概略図面(間取り図)も書かれてありました。 

ここで形式的にその図面をもとにハードプランをいじっていくことはたやすいのでしょうが、私にとってはどうでもいいことなのです。 それよりも目に見えない理念に興味がある私は彼女に動機をお聞きしました。 どうしてこのカフェが必要なのか? どうして作りたいと思ったのか?  そのことが面接官に伝わらない以上相手の心は動かないのでは?   ということです。   ここで専門家のアイデアをいただいて取り繕うことができたとしても、当日面接官からいくつか質問されれば化けの皮はすぐはがれます。 そうなれば結果が散々なものであるばかりか、深く自信を失うことにもなるでしょう。  なぜなら素の自分として戦っていないからです。 ありのままの自分として戦うから自身の命が燃えるのです。 だから燃え尽きてもきれいな灰しか残らず、遺恨を残さないのです。

では今の彼女にとって何ができるのか?  そのことが実は当の本人には中々わからないのです。 自分を認識できていないのです。 だからどう伝えていいかわからないのです。 そのためにこそ本当はボランティア活動なり、旅に出るなり、他人と切磋琢磨できる環境に身を置くことがとてつもなく大切なのですが、今の社会環境下ではままならないことも知ってはいます。 そんなことも伝えながら、では今の自分にあるものを振り返っていくように舵を切ります。

"あなたはずっとこのマーブルデーに来ている、ほとんど社会人がしめる参加者の中でも毎回のように参加している。 それはなぜか?   その考えてもみなかった動機の中に、あなたがつくりたいと思ったカフェの動機もあるのではないか?  そしてこれまでのマーブルデーの中で出合った様々な大人たちと交わした言葉や会話からあなたは何を感じ、受け取り、手渡してきたのか?  そしてそのことは嘘いつわりのないすべて真実であること、事実であること、すなわちあなたが体験してきたことに他ならないことであることをお話させていただいた。  そのことを伝えればいいのでは? 表現すればいいのでは?"  ということである。

本当のことを、自分がやってきたことを自信を持って表現しさえすれば、それでだめでもまたやっていける、なにも自信を失うことはない。 成長するのみである。 そんなことをお伝えさせていただいた。

 

帰り際、彼女に  「しっかり悔いなく散っておいで ・・」   と、 言ったような 言わないような ・・・

くわばらくわばら ・・・

 

 

 

先週土曜日に久万高原町、父二峰小学校にて「寒中あいキャンまつり」を地域の慈愛あふれる方々とコラボレーションさせていただきました。 四国とは思えぬほどの雪景色に松山から参加した子供たちは大喜びで地元の子供たちとまるで子犬のように走り回り、転げ回り、滑りまくり、雪合戦しまくり、かまくら作りまくり、叫びまくり、おでん食いまくり、お餅くいまくり、おにぎり食いまくり、また走り回り、転げまくった一日でした。 時々横殴りの吹雪に遭遇しながらも自然のプレゼントを心から楽しみ、仲間とともに共有していたように思いました。 もちろんその中にははーと・ねっと・くらぶの面々もしっかり溶け込み、ボランティア参加の愛大生も溶け込み、そしてその姿を幸せに満ちたまなざしで先生方や地域のいかした大人たちが見守ってくれました。 とても初共演とは思えない光景でした。 

父二峰小学校長の遠藤先生と今年の1月にお会いした折に持ちかけ、快く一つ返事でお受けしていただいたイベントでした。 その短期間のうちに地元教育委員会様や婦人会、PTA様、地域ボランティア様、他校の先生方、校区の小学生とその保護者様まで幅広くお声掛けいただき、地域イベントとしての勢いで、吹雪の中の子供たち参加のお餅つき、おにぎり作り、おでん作りを協力してご用意してくださいました。 

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これは簡単なようでなかなかこうはいかない代物でございます。 お一人お一人に対するご説明とご説得等を想像するだけで大概の場合神経が参ると思います。 「なんでよそ者にそんなことするの?」  「誰が責任取るの?」  「何のメリットがあるの?」  「経費は誰が負担するの?」 ・・・・・・・

当然です。 それをこの遠藤先生と保護者でもいらっしゃる由良野の森http://www.yuranonomori.jp/の鷲野さんご夫妻たちが廻りの方々にご説明をしていただいたおかげでこんなにスムーズに短期間に実現できたのです。

そしてそれは事前にこのあいあいキャンプについて知っていただく機会があったことがこの時につながっていることを忘れるわけにはまいりません。 その機会こそが以前にもご紹介させていただいた「地域教育実践交流集会」http://www6.ocn.ne.jp/~ehimekou/22/ という愛媛県内で子供に関わる活動をしていらっしゃる活動家の集まる活動報告集会なのです。 一つ一つの何気ないような出合いのおかげで、そしてそれを仕掛けてくださった方がいてくれたおかげで、そしてそこに出かけていくという行為があったおかげで、今日が生まれたと思います。

だからこそこの日はそれまでのすべての必然の結果として生まれたものだからこそ、自分たちだけで行うイベントよりたくさんの、より大きな、喜びと幸せに包まれたのだと思えるのです。

一人で努力することは尊いことです。 そしてその努力してつかんだ実力を自分以外の人に対して使うことで、初めて人は自分だけの喜び以上に大きな喜びがあったことに気づけるのかも知れません。その輪が大きければ大きいほど得体のしれない存在と出合えるのでしょうか?  いずれにせよ、あれから3日後のいまだに何とも言えない余韻が残っております。 

こういうことを体験するたびに私の中で、人間の持つ可能性の大きさはどんどん膨らんでいくのです。 こんな時代であろうが、どんな条件であろうが、この可能性の領域は失われないものだと確信できるのです。

 

このお話には続きがあります。  あいキャンまつりが終わった後、皆を松山まで送り届けたのち、また父二峰にとんぼ返りし、先ほどご紹介させていただきました由良野の森のゲストハウスに遠藤先生、マーブルデーでおなじみの愛大の岩本先生、そして鷲野ご夫妻、私とかみさん、若者少々でお泊りしながら、自然について、森について、宇宙について、政治について、その他たくさんたくさん不思議なお話をしたのでありました。 

まああまりここで書いても信用もされないでしょうし、誤解を招いてもいけませんので触れませんが・・           実のところは忘れました (ガハハハハハハハハッ)。

でも私の中では世にもまれなくらいの確率で波動の同調を感じたのです。 あまりこのような体験はないのですが、なんというか、他人とは思えないというか、とはいっても私ではないのですが、あいまいな説明に悔しいのですが、不思議な感覚をずっと感じています。 

人間の可能性の領域、  いったいこの領域に境界はあるのでしょうか?  いったいこの領域に限界はあるのでしょうか?  そもそも可能性という言葉自体必要なのでしょうか?  可能性に縛られるほど私たち人間というものは小さな存在なのでしょうか?

その夜、澄み切った乾いた由良野の森の空に浮かぶ月と星を見ながら、大真面目に少しそんなことを考えました。 もちろん少しです。  

予想通りすぐにアルコール毒にやられた私は撃沈でした ・・    ゴメンナサイミナサマ。

 

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先日ブルーマーブルのオーナー藤山氏がイタリア取材の旅から帰ってきた。 翌日疲れもそのままにうちの事務所にお土産と土産話を届けに来てくれた。 あまりに情熱的な、まさにイタリア的なその話しぶりに思わず引きつけられた私は久しぶりに人の旅の旅の話で興奮した。 大体において人が旅してきた話なんぞ「あーよかったねー」で終わらせたいもんだが、藤山氏の話はちと違った。

彼はもちろん飲食の道のプロであるのだが、元々は大手新聞社のカメラマンとして活躍していたのでカメラの腕前もプロである。 そしておまけにその人懐っこい風貌と語りかけのおかげで本当に人を安心させてしまう何かがある。 このあたりはわたしは大いに学ばねばならぬのだが ・・

その彼がまさに熱のさめやらぬまま矢継ぎ早に旅のエピソードを語ってくれた中の一つをご紹介しよう。   後日改めてイタリア報告会をブルーマーブルで行うと思うので詳細はその時聞きに来てね。

いくつかの話はどれも興味深く、限られた時間はあっという間に過ぎていったのだがその中でもびっくりしたのが、 ローマにある一つのカフェ。

其のカフェはこちらの雑誌等ではあまり知られていないのだが、そこはカフェオーナーであり、カッピングジャッジの藤山氏、どこからともなくその店を直感的に探し出した。 そして他の店の取材をけってでもそこに行くことにしたそうなのだが、探しても見つからない。 地元の人に聞いても「知らない」という。 探せど探せどないのだが、住所は確かにこのあたり・・・     まさか、この小さな店ってことはないよなー、などと思いながら確認すると、  「ここです」

そのお店はブルーマーブルの大きさの約半分。 約10坪(20畳)。    「へっ?」 ここがあの知る人ぞ知るお店?      

ところがどっこいそのお店はほぼスタンディングの形式にも関わらず大入り満員。 朝8時から夜2時まで大入り満員。

そりゃそうでしょう、1日の来店客数を聞いてびっくりしました。     1日6000人。

うそ~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!        って言いました。 何回も言いました。藤山さんに。

だって超有名なオーストラリアのカフェでも1日1000人ですよ。 それがいくらなんでも10坪の店で1日6000人なんて・・・・・・・ 

でも   現実でした。 当の本人の藤山氏は当然私なんかよりもショックを受けておりました。 今まで自分がやってきたことは・・・   とか   世界とは・・・  とか  いろいろ言われておりましたのでかれこれカルチャーショックだったのでしょう。  でもこの数字は尋常ではないのです。本当に。

私は聞きました。 「何がちがうのですか? コーヒーがうまいのですか?」  答えは「別世界のごとくうまい」 でした。     カッピングジャッジhttp://www.cerrad.co.jp/p13_cupping/ 有資格者が喉ほって言うのですから私は思わず唾を飲み込みました。   「ゴクッ、  の のみたい」

彼は熱いままのまなざしで私にたたみかけて言います。   「もう一度必ず飲み行く」   出版社から依頼された取材旅行のため泣く泣く帰国してきた早々にまた行く宣言。  これはもはや私も行かねば・・という気になりますよねー。  エスプレッソの泡をスプーンですくって食べてもめちゃうま。 しかも泡が消えない。 飲んでもなぜこんな味がするのかわからない。  一か所だけついたてに覆われていたカウンターに秘密がありそうだと直感した彼はそこをのぞき込もうとした瞬間。  「nono」

撃沈でした。 しかし、やはりそこにあるのです。 他の店とは全く違うコーヒーに仕立ててしまう秘密が。    このあと恐らく彼はブルーマーブルにて試行錯誤を重ねていくことになると思います。  あの様子だともう止められないと思います。 私たちはひょっとすると松山にいながらにして世界の名だたる人が足しげく通うローマの老舗の味を官能できるやも知れません。  ガンバレー、ふ・じ・や・まっ。。

このお店、これだけ有名なのになぜ廻りのお店は彼が聞いても知らないと答えたのでしょう?   彼曰く、同じ時間帯でもこのお店だけ人が溢れ、他の店は数人の客しかいなかったことから恐らく教えたくなかったのだろうということでした。  わかるような気も・・

しかしその驚くべき味が人を引き付けるのは理解できたとしても6000人にはつながりにくいのですが、彼はここから素晴しい観察眼と質問力で手に入れたことを教えてくれました。

一人の客の滞在時間はほぼ30分、入ってきて従業員やオーナーにまず挨拶をし、おもむろにエスプレッソなりを注文し、一日述べ15人のスタッフが職人のごとくコーヒーを抽出し、そのコーヒーを隣り合わせた客同士おしゃべりしながら飲み干したかと思うと、 「チャオ」 と言いながら颯爽と帰っていくらしいのです。 入ってきて「チャオ」 帰りがけに「チャオ」  チャオは両方に使う挨拶なのですが、この店で一日にさて何回の「チャオ」が聞こえるのでしょう?  正解者にイタリア旅行はありませんが、あまりにも幸せなお店であることはわかりますねえ。

彼は続けます。 世界の有名人は来るたびに訪れるのですが、客のほとんどは地元の人で、中には外に車を止めて急ぎクイッとエスプレッソをひっかけておしゃべりや挨拶を楽しんでスイッと出ていく人も。 そう、ここは典型的な地元の社交場でもあるらしいのです。 ビックリしたというのが、小学6年生くらいの子供が一人でここにきてフツーに大人に混じってジュースを飲んでいたこと、 必ず帰りがけにお客は他のお客と店員さんに挨拶をして帰ること、 常連さんがほとんどだが毎日最低1回は来店することで安否の確認もできていること、 店員さんが誇りを持って仕事をしていること。

ここではまさに日本の都市部から失われてしまったらしきコミュニティーが昔のまんま存続し続けている。 そのことを彼の話を聞きながら強烈に意識しました。  たった10坪のお店で、百数十年、まんまのスタイルでこのローマの町を支えているこのお店。 行政が逆立ちしてもできないことを仕事として行いながらも +α の社会貢献も実現し続けている。 

藤山さんが求め、私も求めている世界が10坪の世界の中にあった。

素晴しいお話でした。    こんなお話が聞けるだけでも素直に幸せです。

 

このお店の名前、 彼は公表するかどうか迷っています。   また理念なき心ない人たちが押しかけていくことを危惧しながら・・

 

 

 

実のところいつ触れていこうかとタイミングをはかっていたテーマがある。   

「食について」

時々お隣のブルーマーブルさんで提供される食材や調理法の入り口付近まではご紹介させていただいた通りである。 一つ一つの食材が持つ「うまみ」を生かした調理法であり、食材を使っているのであるが、それには相当の費用がかかることになる。 ところがほとんどの人の選択は「安さ」にシフトしていることが多い。 1円でも安い方が「正しい」と言わんばかりに反応してきた。 その中にどれだけの残留農薬が含まれていようが、化学肥料の成分が残っていようが、味がほとんど無かろうが、「安さ」が正義のようにふるまってきた。

果たしてその結果はいかがであったのだろうか?  ガンを始めとする様々な病気は増加の一途をたどる。 それらの原因に口から摂取する「食べ物」が関係ないと言い切れるだろうか? もちろん食を扱う企業からも広告料をいただいているマスコミが大々的にそのようなデータを流布することもなく、スーパーをはじめとする小売店も「競争」に勝つために「安さ」を追求する。 どこの誰がどのように作っているのかは問わずに・・      

そのことはもはや批判はしない。 しかしすでに専門機関や学者の中ではそれらの化学物質が引き起こす人体への影響はしっかりとしたデータに裏付けされている。

しかし、知ろうとしないのである。 ほとんどの人は。   いいのだろうか? 大切な家族に微量な毒素を与え続けて。    いざそうなると「なんで私が・・、 なんでうちが・・」と色めき立ち、病院探しに明けくれる。  学校にも仕事にも行けず、死の恐怖におびえる日々を迎える事になる。

いや決して食べ物だけに限る話ではない。 ストレスにしても何にしてもその原因と目されるものに対して私たちのほとんどは日ごろ何の準備もしていないのではないのか? という問いかけである。

どんなに気をつけてもなるときにはなる。 それは承知の上である。 「病む時は病むが候、死ぬ時は死ぬが候」 である。  だが私が問いたいのは何も準備をせずにそうなったのでは悔いが残るのでは?と感じるのである。  私は嫌である。 

常々家族には「予防」という考え方を説いている。 毎日少しずつの気遣いや努力で「予防」は出来る。 なってからではとても大変なことになる。 

そんな考え方に則って少しずつ様々な世界をご紹介させていただこうと思います。

 

先に述べた「うまみ」のことだけど、人が「うまい」と感じるのは「脂肪・あぶら」なのです。

わざわざ霜降りと言って赤身の肉に脂肪を入れるように作ったお肉が高級なのはそういうことです。 うまいのです、 が、 あぶらにお金を投資して健康を捨てているかも・・ です。

ブルーマーブルさんの料理は食材のうまさがわかりやすい調理法です。 あぶらはほとんど感じませんがうまいのです。 食材にきちんと味がある証拠です。 そこにお金を使ってくれているのです。 かといって目が飛び出るほど高くては食べれなくなりますので、いいあんばいのバランスを取ってくれているのです。 食材に味がないものを提供するお店はこれでもかといわんばかりに調味料でごまかすしかないので「濃い味」なのです。 もちろんそこには必要以上の塩分や糖分、脂肪が含まれることになるわけです。  困ったことにその濃い味は「癖」になりやすく、一種の「中毒」を生み出します。  なかなか元には戻りにくくなるのです。

 

open2年目を迎えたブルーマーブルに来られるお客様から最近複数のご意見を賜るそうです。

「はじめは味がない、薄い、と感じていたのだが、なぜだかしばらくするとこれが正解の味かも・・、  本当の味を感じ始めた・・ etc」 

少しずつですが、ブルーマーブルさんの伝えたかったことや意図してきたことが広がろうとしているのかもしれません。   

"みんなが元気でありますように・・ "   そんな声が聞こえてきそうです。

 

 

 

剣道教士八段、加茂功先生の本日のお言葉。   記しておきたい言葉がたくさんあるのですが、何せ唐突に、しかも早口で、脈絡も飛んだりしながら、しかも形に集中もしながら聞いてるので、  ですので全部はとても覚えておりません。 でも一つずつでも残していきたいと思います。

 

稽古の始まる前に他の生徒さんと話していたのを聞きながら、前から聞いてみたいことがあったのでこの時とばかりに聞きました。

『年をとるごとにうまくなっているんですよ』  という言葉は前からお聞きしていたのだが、はたしてそれはどの要因によるものかを聞いてみた。  

「先生、そのうまくなるというのは体は衰えるわけですから精神、心が向上、上達するという解釈になるのでしょうか?」 

『わかるようになるんです、相手が。 相手がどう動くかをずっと考えているのですが、それが瞬時にわかると同時に反応しているということなのです』 

「それは全く考えていない、すなわち無心であるということだと思っていたのですがずっと考えているのですか?」 

『考えてますよ。 こちらの気配を消しながら頭はフル回転、ただしその積み重ね、すなわち数々の試合や練習においての仕掛けと結果と振り返りと改善の連続の中から初めて生み出される動きのことを最終的に無心と呼ぶのかも知れません』   だから剣道家はボケないんですよ というおまけ付きの説明であった。  (例によってソートー色付けの説明です)

 

すごい話です。 心にストンと落ちてきました。 深いです。 

今までどちらかといえば漠然ととらえていたものが、形として現れてきたようでした。

ものごとを進める時に必要なこととして、"プラン・ドゥ・チェック・アクション"という方法があります。"プラン・ドゥ・チェック・アクション"とは、ものごとを行う際にまず計画(Plan)を立て、それを実施(Do)し、計画内容通りに実行されたかどうかを点検(Check)し、そこで気づいたことを元にもう一度行う(Action) という一連の流れのことで、目標を定め、それを達成するためのシステムに非常に適しています。 ビジネスの世界でも、恐らくどの世界でも成果を導き出すための手法の一つであることには間違いはないでしょう。 そのビジネスライクな用語、手法がまさか武士道の中にも存在していたとは・・

"考える・試みる・省みる・改めて試みる"    そうですよね。 シンプルだと思います。

そしてその単純なことを本気で続けてきた人のみが、「考えながらも無心の境地で反応できる人」になれるのでしょうね。 偶然たまたま無心でうまくいったというのはやはり本物ではないということがわかってきました。

努力なくしては本物はあり得ない。    カーッ、  まだまだやのうー。 がんばろっ。

 

師匠が若かりし頃に90歳の先生と稽古したことがあったそうです。 相手がお爺さんだから手加減してやろうと思ったそうですが、やられたそうです。 50年前の90歳ですから当時の平均寿命でいえば化け物です、現役で剣道してるのですから。 その化け物は屏風が倒れてくるようにゆっくりと近づいてきて、ポンと小手を打ったそうです。 化け物といっても動きは年寄ですからゆっくりらしいのですが、自分が動けなければ、打たれてしまえば負けです。 若さなどという武器はありません。 これが深さなのでしょう。  肉体を超えた何かが備わっていたとしか考えられませんが、それを単に魔物のような解釈でごまかすのではなく、本日の師匠のお話は、それにはこういう考え方と実践の積み重ねがあったということを身をもって学び、そしてそのことを教えて頂けたことに心から感謝いたします。

 

師匠は「これからまだまだどんどん強くなる」 と口癖のように言ってます。  本当にそうなるだろうなと思います。  間違いなくあの当時の化け物と同等かそれ以上を目指しているとしか思えません。  私はこの目でこれから何を見せられるのでしょうか?  今でも十分すごいものを魅せられているのですが ・・・

 

 

 

本日のあいキャンミーティングは来週開催される「寒中あいキャンまつり」についての詳細確認、配車手配、また3月に完成しスタッフメンバーやキャンパー保護者、サポーター会員、年間を通してお世話になった多数の方々に対して送付する「年間報告書」の内容確認、次年度に関する話などを行った。

いよいよ今期も残りわずかとなる中、最後まで力の限りその役割を完遂しようという思いあふれるメンバーが集い、有意義なミーティングを行うことができた。

とかくイベント自体のみが注目されやすい環境ではあるが、実のところこういう地味な環境や時間の在り方があってこそのイベントであることは常々表現してきたとおりである。 そうやってこそ本当の力を身につけていくことができると信じて疑わない私であるが、こうやって最後の間近を共に過ごすメンバーがいることは誠に喜びに尽きる。 報告書の内容を確認しながら、あぁこんなこともあったなあ、やったなあ、そうだったなあ、などと思い振り返りながら、隣の今期入会した新メンバーと、 「まだ知りあって1年もたってないんやなー」  「そうですよ、えー、でもそんな感じじゃないですねー」  「そうよなー、古い友達のようやなー」   などとお話もした。    毎年感じることではあるのだが、本当に日常の時間という枠では考えられない深みを共有することができる。  これが「協働作業」を「誰かのために」行ってきた「同志」が得られる感覚だと思っている。  昔風に言えば、「同じ釜の飯を食った仲間」ということになるのであろう。  短期のボランティアではどうしても得られない感覚であろう。  ここから何かに気づいていただければ幸いであるのだが ・・

 

あいキャンまつりの開催地である、久万高原町父二峰小学校では我々とのコラボレーションのために校長先生自らが音頭をとり、自校の生徒への告知、教育委員会やPTA、地元婦人会、他地域への告知や誘いまで、我がことのように行ってくださっている。  どうしてそこまで?  とお聞きしたことがあるのだが、「人が好きなだけですよ」 とお答えくださったことが、今も耳と心に響いている。 下見で校舎を案内していただきながら、このような先生に見守られ、学んでいく子供たちが少々羨ましく思ったものである。  当日は地元の方が用意してくださるおでんや、一緒に作る「もちつき」 「おにぎり」を、あいキャンの子供たちと地元の子供たちが、どんな「協働世界」を表現してくれるのか今から興味津津である。  当日総勢56名以上の老若男女が人間の原風景の一つを見せてくれるだろう。

つくづく人の輪というか、思いというか、波動というか、 自然に、本当に自然に損得なしでつながる人々は美しい。  この「人の風景」を子供たちに、若者たちに見ていただきたい、感じていただきたい。  そんな思いで冬の山へ参りたいと思います。  父二峰校区の皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

北への旅 三

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思い起こすに、1月に入ってからの週末はすべて何がしかの予定によりあっちゃこっちゃ飛び回ってきている。 どおりで体が浮いているというか、旅モードというか ・・・

そんなモードで過去の旅の続きをひとつ。

 

最果てへの入り口だと信じていた福島県へ突入したのは何時だったのかは定かではない、もう一日中乗り物に乗り続けてきたものだからさすがに若者の体も疲れ始めてきていることは確かである。 気分は未知なる土地への旅路であり高揚しているのであるが、体と心のバランスは微妙に狂い始めてきたのだろう。 とてもうるさい列車の音と、振動と、自由にならない姿勢の中ではあるのだが、うつらうつらしていたようである。 ときどき真夜中に目覚めるも、外は真っ暗闇が続く。 延々と街の明かりなど見えもしない。 生まれて初めての東北だが、ここには人は住んでないのかと思える風景を横目で見ながらまた浅い眠りにつく。 

さて、 あれが何時ころだったのかは全く覚えていない。

目を覚ますと車窓が実に濃いブルーに染まっており、暗黒の世界に慣らされた目は瞬間驚きに支配された。 何?  何の色?   というくらい初めて見る色合いであった。

それはまさに朝日の昇る前の前、うっすらと空が白み始めるもっと前、まだ遠くにいる太陽がかろうじてその存在を謙虚に知らせているくらいの感覚とでもいうのだろうか?

見たこともない「色」であった。 色だけで感動した。 鳥肌が立った。 ひとり窓に顔をつけてずっと見ていた。 その色を創ったもう一つの要素は「雪」であった。 あたり一面の農地だと思われる場所に覆いかぶさる雪、 遠くに永遠のごとく連なる奥羽山脈まで「雪」はあたかも一体のごとく存在し続けている。 その雪が、生まれる遥か前のかすかな太陽の光を狂おしいほど見事にやさしく反射している。 それがこの表現の仕方を知らないほどの美しいブルーとなって私の目と心に入り込んでいる。 

誰の話を聞くよりも、百聞は一見に如かずが身にしみた。 

感動に包まれながらも私は子供のように車窓にへばりついていた、 その時、   また奇跡のような光景を目の当たりにする。

以前より白みかけたその世界の中に突如現れたものは、 丹頂鶴であった。

いきなり白銀の日本原風景の背景の中を、右から数羽が悠々と飛んできた。 雄々しくしなやかなその美しい羽をそのバックの世界と同調させながら飛ぶ姿。  頭頂の朱色も見事な彩となり、思わず魂が転げだすほど感動しました。         

日本という国は ・・            う・つ・く・し・い 。

 

そして30年たった今も その感動はいささかも薄れてはおりません。

若い時に見た、聞いた、行った  そして感じたことは、  永遠のものかもしれませんねぇ。

さあ旅に出ましょう 、   若者たち。

つづく