2011年1月アーカイブ

卒業記念

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  2011 151.jpg先週末の土曜日はうちのお嬢の通う上田安子服飾専門学校恒例の上田学園コレクションhttp://www.ucf.jp/topics/index.html?id=104# に行ってきました。  126回目のショーであり、開校69年の歴史を誇る学園を体感できる場所でもあります。

お嬢は今年の3月で卒業します。 最後のチャレンジでこのショーに出品できるかどうかにチャレンジを続けてきたようです。  1000人の学生のうち出品出来るのは約195名、学年は関係なく実力のみの世界です。 去年のチャンピオンは2年生でした。 そのための事前審査は前々に終了しており、なんと今年初めてお嬢は残ることができたようです。 ジャンルは「学生ブランド」  これは一から仲間を集め、そのチームでコンセプトを練り上げ、そのコンセプトにのっとった作品をそれぞれ一人ひとりが創るというもの。 6人のメンバーのレベルが問われるだけでなく、チームであるがゆえの統一感、インパクト等々さぞかし様々な視点で審査されるのであろう。 ここに来るまでに一人ひとりもちろん大変な思いと苦労があったことと思う。 お嬢もたびたびかみさんに泣きごとメールを入れてきていた。 さぞかし行き詰るのであろう。 「自分は底辺の人間である。才能がない。ダメ人間。 ・・・」

そんな言葉をたびたびかみさんは受け取ってきた。 そのたびにかみさんもお嬢と同じ気持ちになり苦しみを共有していた。 どれだけ心の中でエールを送ったことだろう。 しかし、ここまでなんとか逃げずにやってきた。 大したものだと思う。 課題課題で寝る間もなく、その間を縫って今回の作品作り。 2ヶ月間はほとんど寝てないと言っていたが、ショーの翌日彼女のアパートの掃除に行ってびっくりした。 寝る空間がない。 布切れの山、山々、マシン、裁縫道具、型紙・・・

どうやってやっていたのかが判る空間だった。   メンバーの誰もが、 いやほとんどの学生のほとんどがこうなのだろう。 その中から誰かが浮かび上がる。 厳しい世界はどこも同じか。

私はそれまで興味のないただのおじさんであったのだが、彼女のおかげで少し判ってきて改めてびっくりすることが多々ある。 彼女たちが創ってきたものは無地の布を選び、その布を草木染めなどで思い通りに着色し、また装飾加工し、それをパターン化し、カットして、裁縫していく。 もちろんそれ以前にデザインが決まっていなければならない。 どこにもないものを作り出すしか認められるものはない世界である。

そうやって生まれたものだからあれだけたくさんの人の心に染みいるのだろう。 感動となるのだろう。  ショーで見せる先端の感性と技術は見せびらかすためではなく、どんな要望にも答えていくための手段の一つに過ぎないのかもしれない。 その手段を使い、これから彼女たちはそれぞれの場所で誰かのために何かを創っていく存在になっていくのかなぁ。 

自分でこの場所を決めて飛び込んだ学園、 そして周りのあまりのレベルの高さに驚き、あっという間に自信を失い、それでも仲間に助けてもらいながら頑張り続けた。 そんな3年間であったと思う。

その劣等感のかたまりのようだったお嬢が仲間とともに舞台の上で表彰されるのを見て、改めてこの学園の力に感謝させていただいた。 あの子をここまで育ててくれたことに本当に感謝の念でいっぱいになった。 厳しくあり続けてくれたおかげである。 素晴らしい指導者の先生方、ありがとうございました。 

 

2011 228.jpgグランプリを含めて賞は10。 お嬢のチームは繊研新聞社賞という業界新聞社さんの賞でした。 受賞の瞬間、仲間は悲鳴をあげて感極まり喜び合っていましたが、そういう光景を毎年見ながら周りの学生もやる気を維持してきたのでしょうね。 いいものを見せていただきました。

ではしばらくの間ショーの片りんだけでもご覧あれ。

お嬢の作品

 

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マスコミをはじめ様々な場所で、まことしやかに語られ続けることの中に、「就職難」という言葉があります。 100年に一度の不況という言葉の影に隠され続けようとしているもう一つの世界はないのでしょうか?  

経営の師匠の言葉の中に、何かを感じることができると思うのですが・・   こういうことを語り続ける「人物」なりがなかなか少なくなったような ・・

 

「仕事で磨く人間力」 田舞徳太郎(コスモ教育出版発行)のまえがきに、

 

「どんなに不況になっても、人間力を磨き、考える力を向上させ、 仕事で成果をつくり、お客様にも、職場の仲間にも感謝されるような力をもっていれば、仕事はいつでも、どんな時にも、どこにでも必ずあります」

 

つまり、私が言いたいのは、不況でも就業する能力を磨くことです。  求人が多い時は別にして、当分雇用の問題が解決しないときに、働く人の仕事能力が試されているのです。

私は弱肉強食ということを言っているのではありません。  仕事で成功している人も、泣くような苦しみを味わっています。 手放しで喜び成功する人は誰も存在しないのです。

我慢、忍耐、辛抱、困難を乗り越える力は与えられています。  与えられている力を日頃から訓練して鍛えて行使していないと、やがて、諦めやすい、飽きっぽい、中途半端な態度が身につきます。   

 

 

真に経営者と言える人は、真に哲学者であり、真に実践者であり、真に弱者でもあるのでしょうが、やはり特徴的なのはそれらの気づきなりを 「理念」と「経営」 という 「理想」と「現実」、「心」と「お金」 という相対世界の中においてバランスしながら、共に生み出し続けているところにあるのだと思います。  だからこそ真の経営者と思える人は、人間として限りない魅力を放ち続けられるのでしょう。

 

わたしなんぞ、口が裂けても「経営者」などと言えませぬ ・・・      

                               へぃ、 御用聞きの田中です。。

 

 

 

来月剣道歴57年目を迎える70歳の我が師匠、加茂 功教士八段の本日のお言葉。

 

「56年間同じことの繰り返しです。 毎朝稽古に行くこと、稽古の順番、練習の内容、試合での緊張、結果に対する喜怒哀楽、 そんなことを繰り返し繰り返し56年です。  いやだと思うことも、好きだと思うことも、 繰り返しです。  でもここまで続けてこられたのはずっと、その都度その都度学びや気づきがあったからです。  奥が深いのです。  どこまで行っても学びがあります。  だから続けてこれたのです。 だからこれからも ・・・」

 

「昔、当時の大先生が言われました。  形はその時々の年齢のまま、ただ素直に一生懸命表現すればよい。  若いのに年寄りのまねをしすぎるより、若さ、未熟さをそのまま出しながら、一生懸命やることが次の年齢に正常に進める方法です。  そのことで初めて後輩に対してかけてやれる自然な言葉が生まれてくるのです」

 

 

もちろん例によって私の特注翻訳ですが、このような内容かと・・

先生の子供時代の寒稽古は剣道着を道場外の氷の張ったタライの水につけてから行ったそうです。

子供でも高段者に当たり前のように竹刀で本気でしばかれ、鼓膜も4回破れながら、それでも当たり前の世界で医者にもいかず、 「あーぁ、また破れた」 と言いながらまた稽古する日々であったそうです。  

その人の言う56年間の繰り返しと、私たちが自分の尺度で思う繰り返しのいかに重みの違うことか ・・・

 

目の前にいてくださるこのお方は、           

      「いてくださって、ありがとうございます」

   

 

                              

先週末の土曜日に、2月12日に行われる寒中あいキャンまつりの会場である父二峰小学校の視察に遠藤校長先生の車でわざわざ連れて行っていただきました。

その詳細を本ブログに書いたのですが   ・・・  最後の最後にミスって ・・  消えてしまいました。

 

これって、 やっぱりショックなのです。   朝からぼちぼち書き始めて、メンバーにも裏表の世界観をお伝えしながら遠藤先生への感謝の気持ちを表現させていただいたのに ・・    昼前 ・・

 

あぁ、    あぁ ・・       あ、 ありがとうございました。     

        

                え・ん・ど・う・ せ・ん・せ・い ・・    

 

                                

 

北への旅 二

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おおっーと、 忘れてしまいそうでした。 上野からの続きを・・

三崎の熱にまだポーッとしておりました。 まあそれもありますけど実際はこう見えても他にもいろいろあるわけでして・・  

では気を取り直して上野からいきますか。

 

丸々一日早朝から乗り物に乗りっぱなしでここまで来た18歳の私は、後はこの夜行列車にさえ乗ってしまえば目を覚ませばそこは雪国 ・・    と思っておったのでございます。

こんなに遠くに一人で来たのは初めてですし、これから乗る東北行きの夜行列車となりますとそれはそれは旅人としての性根をくすぐられるものがあります。 それゆえ気分は実際テンション高いものがございました。 興奮してというか、お金がもったいないというか、晩飯を食ったかどうか記憶がありません。 なにせ田舎の飲食相場もろくに知らない小僧でしたので、東京の相場や駅弁の相場はその時の私にとってカルチャーショックであったことは間違いありません。 したがって、我慢だけはこなれている性格でしたので、「青森に着いてから食べたのでいいや、その方が安いし」 と考えた可能性は「大」です!  そう私はケチです。 小心者です。 笑ってください、ワッハッハッ。

・・くらいの、のんきさであったろうと思います。  して、 定刻になり列車はいよいよ発車いたします。  列車の名は、 急行「八甲田」だったと思います。 いい名でしょ。 雰囲気抜群!

もちろんディーゼル、だったと思います。 電化では間違ってもなく、ひょっとして蒸気だったかも、くらいの感覚です。 私の子供のころは田舎から松山に出るのに蒸気機関車を普通に使ってましたので、新幹線は開通したけれど、蒸気もあるでよ。 みたいな渾然とした世界でありました。

まあそのディーゼル「八甲田」ですが、動き出すと各客車の連結部分にクリアランスがかれこれあるために「ガチャン」-「ガチャン」-「ゴチン」-「ゴチャン」・・・・・・ という風に先頭車両から順番に音が聞こえてくるのです。 昔の汽車はこんなものでした。 おまけに自分の車両が動き出す時は「ガチャン」の音と共に「ショック」があるのです。 すなわち急に動き出すのです。 体が揺れるのです。 + 「ギィー」とか「キィーン」とか車体が発する音、線路との摩擦音「ガタンゴトン」、線路の各ポイントでのショック、棚の上の皆の荷物が発する音など、実に多彩な ・・  いや、 うるさい音がイッパイ聞こえてくるのです。 ほんとスゴイんやから・・  今の時代やったらものすごいクレームやろなあと思いまっせ。 ホンマ。

マニアの皆さんはこれがいいのでしょうが、私は5回聞いたら十分です。 しかし、 しかしこれが14-5時間続くのです。 この後から・・・

当時のこの夜行「八甲田」の座席は、子供のころに乗っていた蒸気機関車と同じ木でできた座席でした。 今の人たちに言ってもわからないと思うのですが、座面はかろうじてスポンジが入っていますが、背もたれは直角です。 しかも「木」でてきています。 背もたれは真後ろの人との共有ですから、私が「ドン」ともたれかかれば、後ろの人にも「ドン」と衝撃がかかります。 そう、否が応でも一心同体の関係を結ばされるのです。 たまたまコワーイお兄さんでもいようものなら、 「地獄」 です。

そんな関係で当時の日本は作られていたのでした。 素晴らしい。 復活すればいいのに・・

さて、 その直角のかたくて気持ちのいい座席でウキウキ気分のうら若き私は夜の上野を出発し、埼玉県の大宮駅などという初めて見る駅をしげしげと見つめ、聞いたこともなかった宇都宮駅などというところを見、いよいよ地の果ての入り口だと思っていた福島県に突入するのでありました。 

つづく

 

 

 

 

三崎の熱い夜

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先週の土、日を利用して西宇和郡伊方町平磯というところに出かけました。 三崎半島の端の方から国道を外れて離合ままならぬような道をかれこれグネグネと走ったところからまたグネグネ登った所に車を止めて、人一人が歩ける幅の道のようなものを今度は降りて行き、迷路のようにグルグルと歩いたところが第一の目的地です。 500ml×24の缶ビールを肩に担ぎ、宿泊セット、ビデオセットを忍ばせたカバンを持ち、+ カメラバックをぶら下げてやってきたその宿の名は ・・ 「喜久家」

喜久家プロジェクト http://blog.goo.ne.jp/kikuya2009 としてその世界ではつとに有名な活動であるが、詳細はHPで。

世界中からこの地にボランティアとしてやってくる若者たちの宿泊拠点として利用されている築100年の古民家である。 玄関をくぐると土間である。 台所も土間である。 トイレ・フロは外である。 隙間風というか、どこからともなく空気が流れる。 涼しいと取るか、寒いと取るか、自由である。 土曜の夜からすっぽりと寒気団にハマった。 この喜久家は半島の中腹、海の見えるというか海風モロの絶好の場所。 最高の場所に最高の時期に来たようです。 そして、 ・・・

その日集まったお仲間の濃いーーーいことと言ったら ・・・

 

宴会.jpg喜久家代表の浅野農園社長の浅野洋海氏、副代表の浅野長武氏(現役のヒューマニズム教師)、らいぶ「あっ」実行委員長兼会社経営者の増田氏 http://goske.jp/live-a/index.htm、田村菓子舗代表の田村氏 http://ameblo.jp/sizenndou/、海外青年協力隊経験者の田村保健師さん、ロス在住で正月帰省中のりえさん、清家町議会議員さん、喜久家で住み込みお手伝い中の橋本氏、 という平磯、二名津地区だけでこんなすごかましい人たちが集まるんかいっ!   っていうくらいの面子でした。 人口比率でいえばすごいんじゃないでしょうか?

一人一人がまさに活動家なので例をあげるときりがないでしょうし、また例のごとく私の頭は寝るとリセットされるためあまりよく覚えておりません。

皆さまごめんなさい。。 悪気はありません。 起きてる間は多分一生懸命話しているし、聞いていると思うのですが・・   寝るとだめなんです。  病気かも ・・

でも確かに覚えているのは、 外気の低さをモロともせずに、心内気温は熱いまま午前4時に寝たような記憶はあります。 その後まだやってたメンバーもいたようですが、無理です。限界です。 

 

朝まで.jpgしかし、楽しかったなぁ。 初対面にかかわらずずっと本音で接する仲間というのはそうそういませんよねー。 っていうか、相手から見れば私はえらい迷惑だったかも知れないのですが ・・  ごめんなさい。。  その代わりのぼさんと特にジョナサンが頑張ってくれたから大丈夫だったかも・・

 

朝は橋本氏のお手製のおいしいお味噌汁で少し生き返り、ここに来た目的の一つであるあいあいキャンプ候補地見学へと出発するのでありました。 一面銀世界の中を感動的に車は進みます。

 

朝.jpg

浅野代表は朝まで飲んでいたのにもかかわらず、いやな顔一つせず我々を先導して廃校跡を案内してくれるのでありました。 いくつか見せていただきながら私の頭の中でいろんな情景が浮かんできましたので、また後日確認に行き、練り上げた上で地元の方々も含めてお世話になろうと思いました。 

あいキャンは元々県内各地とコラボレーションしながら、障害者も含めた人間理解、およびそのことにより生まれ来る相互扶助の精神育成という目的があります。

長年現在の中津地区にお世話になってきましたが、きれいになった中津小学校では我々の活動以外に「中津ミュージックキャンプ」という町以外のミュージシャンも招待した合同音楽会も年に数回行われるようになりました。 スポーツ合宿もあります。 地域の集まり、飲み会、宿泊大会も盛んです。     廃校が生き返ったのです。 

そろそろ次の場所でまた初心に帰り活動する時が来たように思います。

慣れすぎず、依存しすぎず、適度の緊張感を失わず、また一から作る。 そんな気持ちこそが、子供たちと関わる私たちが一番大切にしなければならないものではないでしょうか?

その気持ちを   私は   「チャレンジ」   と呼びます。

 

この地域の若者が素晴らしいのは、厳しい自然の中でチャレンジし続ける両親の背中を見て育ったからこそに他ならないのかも知れないなあと思えるからこそ、子どもとかかわる大人は自らにチャレンジを強いる責任があるようにも思えるのです。 そのことを再確認出来た気がします。

三崎の皆さま、 その節はよろしくお願いいたします。  取り急ぎこの場をお借りしまして御礼申し上げます。 本当に ありがとうございました。

 

 

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永遠の今

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本日のお昼頃、これまた奇跡のような出来事がありました。

何年か前に「はーと・ねっと・くらぶ」に所属していたメンバーから会社に電話がありました。 するとそのメンバーはいきなり私に対してお詫びを言うのです。 「自分が所属していたときにとても中途半端なことをしてしまったこと、そのために私をはじめその時のメンバーやキャンパー保護者に対してもご迷惑をおかけしたこと、そのことが自分は気になっていたくせに素直な気持ちを表現しなかったこと、そのことをどうしても伝えたかったこと、そして自分はこれからどういう人間であり続けるかの決意を正々堂々と述べられた。

そのメンバーは泣いていた。 しかもボロボロに泣いていた。 それほど大きな勇気を必要としたのだろう。 それほど大きな重荷になっていたのだろう。 それほど心を占領していたのだろう。

少し、私にもわかる。

私はしばらくして答えた。

「ありがとう。 今の気づきと行動は素晴らしいね。 私が君の年の時では考えられない。 それほど深く考え続けたということだなぁ、 何も問題はないよ、 ありがとう」   そういうと受話器の向こうからとめどのない嗚咽が聞こえてきた。  長い間固まっていたものが、怒涛と化した魂によって崩され流される様を見た気がした。

 

これまでの時間はこのメンバーにとっては恐ろしく長い時間であったかも知れない。  がしかし、それと同時に一生かかっても出来ないことを成し遂げた短い時間だったともいえる。  それほど価値のあることだと素直に思えた。  なぜなら私はまだこのメンバーがした行為を、多くの人に対してし切れていないから。

 

かつてかかわった、そして今かかわっているいろんなメンバーがいろんなところで、いろんな思いの中で生きている。 過去という区切りはどこにもなく、永遠の今と永遠に結びついている。

そのことを思う。    

いつだって気づける、 いつだって言える、 いつだって動ける、 いつだって変われる、 どんなにボロボロだろうが、 どんなにみじめだろうが、 どんなに孤独だろうが、   生きてさえいれば ・・・ 

 

 

 

夢のコラボ

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本日は誠にテンパッたお仕事の打ち合わせに追われながらも、今年のseedライブをプロデュースしてくれるおなじみsound  gardenの相原社長をはじめ、いつもの誠意あふれるスタッフさんたちとの打ち合わせの日でもありました。

彼らはこの地元松山を拠点にしながら地元に埋もれた人材発掘や、様々な音楽教室の主催、オリジナルレコーディング、主催ライブ、等々限りないほど活動をされている。 昨年などはseedでの主催ライブのために企業協賛を営業努力で集め、そしてその協賛金をすべて使い楽器を購入し、養護学校等に寄付してまわったという実績を持つ。

単にライブをするだけならアホでもできるが、+α がなかなかできない。 その気づきまで行くことが稀である。 なぜか知らないが、このミュージシャンというジャンルの人にはナルシストぽっいのが多く、自分かわいさで止まっている人を多く見かけてきた。 まあそれ以外でもたくさんいるのだが、特に目立つ。

その世界にいてこの会社のメンバーは社長はじめ本当に謙虚であり、真面目である。 もう2年のお付き合いになるのだが、そのスタンスは益々謙虚さを増してきた。 これはすなわちどういうことかというと、益々成長しているということである。 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」 は事実である。 彼らはまだ成長している。 すなわちチャレンジしている。  素晴しい若者たちである。

だから私もついつい一緒にコラボしたくなる。

そこで彼らが考え、提出してきた年間スケジュールをたたき台にしてあれやこれやとミーティングを行った次第である。 いくつものイベントが用意された。 それぞれに味のあるイベントである。 それ+ seedの隣のsing  outの隅田店長とのコラボを提案させていただいた。 「単に場所として利用するだけでなく、様々な意味で人間づきあいを重ねることにより、sing  outのお客さんも交えたイベントや打ち上げなどが日常になる中からここでしか生まれない、君たちでしか作れないイベントができるよ。」

松山軽音楽界の古株、隅田店長と新進気鋭の若手ミュージシャンの 「交わり」 は恐らく想像以上の効果や成果を生みだすと思います。 そしてこれは簡単なことではないけれど、彼らならできると思うのです。 わたしは彼らとお付き合いしながらそう確信しています。

ここにしかないもの、そして間違いなく関わるすべての人が幸せでいられること。 まだ光のあたってない人にも光があたる機会を作ること。

大真面目に11年前seedを作る折に立てた目標の一つ。 

それをよその若者が中心となって私ではできないことを生みだそうとしてくれている。

おいさんはつなげることしかできないけれど、お手伝いするからね。

 

夢のコラボレーションが始まろうとしている。

 

 

 

 本日は成人の日。 まことにおめでとうございます。

おめでたい日にかみさんは賃貸のお客様のご案内へと出発いたしました。 恐らく夕方になるだろうとのこと。

すいません。 ツーリングに行ってきます。。 ないしょで ・・

ということで午前11時過ぎ、例の友人から借り受けているビッグバイクを引っ張り出していざ出発。

行先は波方半島。  新車同然の1200cc、105馬力、トルク11kのモンスターは低回転でもおそろしいパワーで走り始めた。 まずは人間もバイクに慣れるため海沿いのルート196にて小手試し。 すごいいいです。 文句ありません。 という間に以前ご紹介した鴨池海岸へ到着。 缶コーヒーでとりあえず一服。 相変わらずの美しさに満足。 さて、これからが未知の場所への旅路です。 今まではバイクで走ることがメインであったため、実のところこまごました場所には一切立ち止まるということをしてこなかったのであります。 とてもいちいち止まっては走るというようなことをさせてくれるバイクに乗ってこなかったし、私という人格がそういう程度で止まっていたからですが、お年を重ねて少々お考えが変わりつつある旬な中年ライダーは、今回より今まで行ってなかったところにスポットを当てていこうと思ったのでありました。 考え方が変わればプロセスも結果も変わるという実践です。

多少のワインディングをまあまあのペースで楽しみながらも、そこで初めて見せ始めるバイクの癖と相談、葛藤しながらたどり着いたのは御崎神社。 海の守護神と農耕の神を祀る合祀神社ですが、初めてお参りさせていただきます。 途中からの道が離合もままならない道になるし、駐車場もない状態なのでよほどの通でないと来ないでしょうね。 そこはバイクの特権です。 人っ子ひとりいないその参道を歩いてゆくと・・    竹林と山桃の木々が覆いかぶさるようにしてトンネルを形成した情緒あふれる参道へと変化してゆくのでありました。 ところどころにある木々の隙間からみえる瀬戸内の海はみごとに光輝き、チラチラと舞う粉雪とあいまって旅情豊かに語りかけてくるのでした。 神社の配置もわざわざ海側から廻り込んで参拝する、すなわち参道は社の後ろ側につながり、そこから表に廻り込むというものでした。 どうしても神様に海を見せ続けてあげたかったのでしょうか? 空気感の気持ちの良い神社でした。(お願いばかりする人が多いと空気が悪い)   さてそれからも初心者では不安になるような細い道を行きますと、今度は海岸に降りていく道が・・  ガードレールのない崖道を下りてゆきますと・・・        す・ご・い ・・ 

本当に美しい海岸でした。 海の水は限りなく透明に近い淡いグリーン、日の光を受けてその下の白砂は妖しいほどに揺らめきかがやく。 左右の小さな岬の間に弓状に広がるこの砂浜の全長は約6-700メートル。 中間地点から50メートル沖合には二本の見事な松を携えた岩山が一つ。       日本の美です。      雲の上にも日が降り注ぎ、その複雑な形から生まれる光と影の見事なまでのグラデーションもこんなにゆっくり見たのは何年ぶりでしょう。  岩に腰をおろし、どのくらいたたずんでいたことでしょう。  波の音、 潮の香り、 鳥の声、 光と影。  

今朝の朝日新聞天声人語の記事がよぎりました。   清岡卓行さんの詩が紹介されていました。

「耳を通じて」

心がうらぶれたときは 音楽を聞くな 

空気と水と石ころぐらいしかない所へ

そっと沈黙を食べに行け!

遠くから生きるための言葉が

こだましてくるから

 

本当に素晴らしい一日でした。

お家に帰った私は、遅れて帰ってきた奥様に、    「下見に行ってきたから今度は一緒に行こうね。」 

返事は       ありませんでした ・・・

 

 

 

新たなる鼓動

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本日は新年初のあいキャンミーティングでありました。 いよいよ今期の事業も寒中あいキャン祭りを残すのみとなり、そのための話し合いとともに、来季の新たなる組織編成についての具体的な説明と役割決めの議題でした。

その中の来季についてのことに少し触れさせていただきますと、あいキャン10年の歴史の中でもこの試みは初となります。 それは今までプログラムディレクターとマネジメントディレクターという二人の偉大なリーダーの存在と私とのコラボレーションによるシステムが中心となり、そこから生まれたものを素案として全体ミーティングで修正肉付けし、決済していくというものでした。 そうやって10年間工夫を重ね、改善し続け今日があるわけです。 そのシステムを次年度から捨てます。

これは肥大したマネジメントディレクター、プログラムディレクターの業務はとても一人で扱えるレベルのものではありませんし、いつまでも偉大なリーダーに依存していたのでは会員一人一人がこの組織を本当に理解する機会を逸してしまうだろうし、また一人一人が責任を自覚することで初めてその苦労と喜びを体験できるのではなかろうかと考えた次第。 全員が参加して作り上げるということを真に実践できるシステムがあってこそコミュニケーションも活発化する機会はふえるだろうし、組織力も高まるだろう。 しかしここで最も大切なのはどうすれば全員が参加できるシステムが作れるかということであった。 入会はしていてもほとんどミーティングにもイベントにも参加しないメンバーもいる。 出欠の連絡さえ行わないメンバーもいる。 本来ボランティアとはその事業を行うために主体的な能動者が集まってきているはずなのだが、実態はそうである。 もちろん本人のレベルの問題もあろうが、それだけではないだろうと思えるからこそ今回の変革に臨むわけである。 そこで今回より次年度のための準備ミーティングを行うこととし、本日少しずつその内容に踏み込んでいった訳です。

さて、ではその内容とはいかに? ですが、まずマネジメントディレクターの業務をジャンルごとに分類し、そのジャンルごとにリーダー希望者を募る。 これは全員が必ずどこかのジャンルに所属するようにしているので複数人になるわけだがその全員がそのジャンルのリーダーである。 これがチームである。 ジャンルごとにチームが構成され、チームのメンバーで業務を行う。 必要があれば他のチームとのコラボレーションとなる。 その連絡調整などのマネジメントもそのチームに託す。 それぞれの味わいが良くも悪くも生まれてくる。 

プログラムディレクターの業務も、それぞれのプログラムごとに同じようにチームを構成しそのチームの素案をたたき台にしながら全体ミーティングで決済する。 

もちろんこれは今まで二人のリーダーが行っていた業務を分担しただけの話で、これ以外に今までどおりの月2回の5時間ミーティングや作成作業、練習はあるわけですが ・・・

そしてこのリーダー立候補ですが、ものの見事にあっという間に決まりました。 ちと時間がかかるかな?  と読んでいた私はあっさり外れでした。 うれしいことです。 すでに立派なリーダーさんでした。 間違いなくこれからのあいキャンの核となっていくことでしょう。

新たなる鼓動が聞こえてきました ・・・

 

 

 

 

北への旅 一

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YHの続編で恐縮ですが(長い?) 、思いだしたので記録しておきましょう。。

30数年前の私がカワイイ18歳のとき、高校の卒業式の後、大学入学までの期間を使い、日本国有鉄道(JR)にて20日間の学割周遊券(20日間国鉄の汽車、電車、バス乗り放題・途中下車自由で23000円)を購入し、3月の北海道一周の旅へと出発したのでありました。

なぜだか私は北は冬に限る、といった風に当時からひねくれ者のあまのじゃく君であったので、何も知らないまま勢いよく飛び出したのであった。 その頃の私の考え方はちとおかしいというか(今も)、世間を一切関知しない、俗に言う「アホ」であったため、真冬の北海道に行くのに普通のジーンズ、長袖じゅばんに毛糸のセーターと普通のタウンユース用の真っ赤な中綿入りのジャケット、多分雪が深いだろうと思い普通の長靴、そしておやじが昔使っていた黄土色の登山リュックを満杯にして(約20キロ)、極めつけは毛糸の真っ赤な帽子。  この恰好のままいそいそと松山駅を後にしたのでありました。 (爆)

当時もちろん瀬戸大橋なんぞありませんから高松までジーゼル急行列車で4時間、そこから宇高国道フェリーに乗り換え1時間半、そこから岡山まで1時間半くらい、待ち時間も含めるとこれだけでゲーが出そうですが、若い私はうれしくてたまらないのでありました。

そこから新幹線の特急料金を追加で支払い(周遊券は特急料金は入っていない)、いざ花の都東京へ・・   もちろん今の「のぞみ」もなーんもあらへん時代ですから、何時間かかったんでしょうねえ?

そして東京駅から上野へ行くのですが、この東京駅がでかすぎてわからん。 あのリュックを背負った独特のファッションのまま、迷子になりながらなんとか山手線へ乗ることができました。 そしてあのファッションのまま混雑する車内で他人の迷惑顧みず「ポー」としておりましたら、「どこまでいくの?」 と声をかけてくれたサラリーマンがおりました。 「上野から乗り換えです」と言うと、「次ですよ」と教えてくれたのでした。 私はもうこの時点で完全に忘れておりましたし、混んでおりましたので確認もせずぼーっとしておったのですが、今考えるに、あの人は恐らくこのファッションは上野から東北へいくのだろうと察した上で、しかも田舎丸出しの子が「ぼーっ」と都会に上がってしまっているゆえおせっかいを焼いてくれたのだろうなと思えるのです。 完璧に浮いてたと思います。 あのファッション。 はずかピー。 そして今頃ありがとうございました。。

して、かろうじて上野に転がりこめた私はそこからまたトボトボと夜行列車乗り場へとよろめいてゆくのでありました。 

上野発の夜行列車といえば、もちろん「津軽海峡冬景色」です。 まさにあの歌のまんまの世界に私はいるのです。 この喜びだけでめしが二膳食えます。(なんのこっちゃ)

そう、浮かれる私はまだ気づいてはいなかったのです。 この上野発の夜行列車の恐ろしさを ・・・

つづく

 

 

 

ムズムズの原因

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前回のブログで軽く触れた「ユースホステル」、 これは何ぞや?  という向きもござろう。 この機会にまだ知らぬ若者たちにご説明を。

YOUTH  HOSTEL は、ドイツで生まれた世界的な旅の宿ネットワーク、というところでしょうか。 

安全に楽しく、そしてリーズナブルに旅ができるようにと考えられたもので、世界80カ国に4000のYHがあり、日本にも260あります。 部屋は基本的に男女別の相部屋で1部屋に4-8名、2段ベッドの構成です。 現在では家族向けやシングルユースにも対応できるYHもあるなど、かなり改善進化しているようです。 私が現役で使っていた30年前はお酒も飲めず、門限も9時くらいだった気がしますが、今ではお酒も置いてあり、24時くらいの門限のところもあります。 

しかし、何よりもの特徴は、食事を18:30から19:30までに済ませるというシステムと、その食事やその後の過ごし方はその日の宿泊者で家族のように過ごすというところでしょうか。 そしてそれぞれの旅の情報交換も含め、その日に出合った人たちがコミュニティーを作り上げていく、そんなことが楽しくて、好きで仕方がない人たちが集まる場所でもあるのです。 普通の宿に泊ったのでは風呂入って、酒飲んで、めし食って、テレビ見て、寝るだけですが、ここでは毎晩就寝時間まで目一杯みんなで楽しみます。 当然世界を旅する外国人も混じりながら、バイリンガルな世界が当たり前のように作られているのです。 

そしてこのYHにはそれぞれのペアレントという名で呼ばれるマネージャー(実質オーナー)がおり、それぞれの個性を存分に発揮して「味」を出していることも特徴で、その地域が大好きで、その地域のことを熟知した人たちなものですから、季節季節に合わせたその地域の面白いイベントや仕掛けを趣向を凝らして仕掛けてくれているわけです。 だから初めての地域に飛び込んでもこのYHに宿泊するだけでとんでもなく地域通になれるというおまけもあるわけです。 もっともそれ以外にもここの宿泊している人たちの大半が旅の通ですから、そんな自分だけの秘密の情報なども教えてくれるチャンスが大アリなのです。 これらは本当にお金では買えません。 

ただ、決して施設に期待してはいけません。 家の風呂に毛が生えた程度の浴室、2段ベッドでの雑魚寝、小さな古民家のところもあるし、ビルになっているところもある、普通の宿しか知らないと驚くかもしれませんが、そのうちこれがたまらなくなってくるのです。 旅は道連れといいますが、一人旅でもここに来れば連れ合いが待っていてくれる、という感じでしょうか。。

もちろん女性の一人旅でも安心なように男女別の部屋構成になっており、ペアレントがしっかり管理をしていてくれるので私が知っている限り大きな問題は聞いたことがありません。 まあ泊ってみればわかりますが、宿泊者の雰囲気自体が心配するようなオーラを持っていません。 モラルという目に見えない価値を理解できる人しかこの環境に入ってくるのは難しいでしょうね。

私が旅を再開すると決めた途端に思い出したのがこのYHですが、なぜなのか、少しご理解いただけましたでしょうか?

1泊2食で約5000円。 + 時に想像を絶するようなイベントや情報、出合いや感動、満足は無料。

どうです?   あなたもそろそろムズムズしてきたのでは??

 

 

 

必然への旅

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この場所で出会わせていただけるマイノリティーの皆さま、明けましておめでとうございます。

本年もこの特異な空間でよろしければ、どうぞよろしくお付き合いくださいませ。。

 

さて、今年という年はいかなる年になるのかは、私次第。  まあ当たり前の話でございます。

ではどうしたいのか? どうするのか?

                                  ・・・  旅に出ます。

昨年末に19歳の若者と厳冬ツーリングとしゃれこんだおかげで、この20年くらい遠ざかっていた「旅をする」ことにまた目覚めたかも ・・

若かりし頃は何も考えず、当たり前のように旅に出てまだ見ぬ自然や人とかかわり続けていたのだが、さまざまな活動(独立開業・新規事業・団体設立等々)を始めてドップリ漬かり込んでいくうちに、すっかり趣味的空間から思いっきり遠ざかっていることに気がついた。

それはそれで何も悪いこととは思わないが、ある意味別な角度から見た見識が欠落しているかもしれぬ。  今の世界に感謝はしているが、何かをまだ忘れているような・・

昔の旅の仕方は今思い出してもとても雑な旅をしていた。 出会う人に対しても、自然に対しても。

でも今の自分なら少し違う旅が出来るような気がする。

その自分を確認してみたい。 体験してみたい。  すっーと、そんな感じを抱いてしまった。

年末にそんな気持ちになってからは、地図を見ながら思いが駆け巡り、次から次へと行きたい場所、旅の仕方が浮かんできた。

 

そんなことで、新年早々氏神様への初詣を済ませた後でユースホステルの会員に入会し、松山ユースホステル http://www.matsuyama-yh.com/ の平野さんと盛り上がってしまった。  この平野氏も全国ユースホステルの名物親父なのであるが、久しぶりにお会いした次第。  彼も昨今の若者が旅をしなくなったことに嘆いていたが、同時に大人として何ができるかということに挑戦も続けていた。 うれしい限りである。  またこのおいさん以前にもましてスゲーバージョンアップしており、その場で私の体に異変(いい)を起こしてしまった。  まあとても紹介しきれないので興味があれば宿泊すべし!!

いかんいかん、また横道いきそう。。    ということで今年は小さな時間で大きな旅をしてきまーす。  あっ、そうそう、も一つこの動機に至らせてくれたのは ・・   私のお金持ちの友人が買ったばかりのオートバイを 「1年くらい忙しくて乗らないから代わりに乗っておいてー」 っていうことで我が家にすごいツーリングバイクが来てしまったことも大きな影響を与えているのだ。。

このタイミング、 もはや偶然などとは思わない。  素直にすべての流れに身を任せます。

感謝。

 

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