2010年12月アーカイブ

25日のクリスマスの夕方4時、寒風吹きすさぶ夕暮れの中を2台のオートバイは松山を後に国道196を北東に向かって走り出すのでありました。

時あたかも12月とはいえ比較的暖かい日々を感じていたのではありますが、ここにきて雪の予報。 普段の生き方がいいとこうなります。  はい。

旅のつれあいは19歳のワカモノ一名。 それぞれのバイクにまたがりいざ大三島へ。

波方町を通り抜けるころには体温もいい感じで抜き取られ、いよいよしまなみ大橋へ。 予想通り橋の上では横風というか突風に飛ばされながらよろよろと、ふらふらと片側車線をフルに使いながら時に100キロくらいのスピードで早く着かぬかと思いを馳せながら、暗くなった路上に目を凝らすのでありました。   軽く意識がよそごとに行った時、大三島の出口看板にハッと気づき、間一髪で出口へ。  すでに宮窪の町は人通りもなく、暗くなった中にかすかに浮かぶ宿屋の看板にほっとしながら滑りこむのでありました。  

なんとその宿、かの有名な大山祇神社の近所にあるにもかかわらず宿泊客はどうやら私たちだけ。  まあクリスマスの日にわざわざここまで来る人もないか、と軽く考えながら宿の計らいで近所の塩湯温泉に連れて行ってもらい、ほっと一息ついた後は海の幸に舌鼓を打つわけですが ・・・

これ、誰が食べるん?? くるわくるわ。 でかい鯛のさしみ1匹と焼いたの1匹、あこうのさしみ1匹、たこ、いか、諸々の刺身、さざえのさしみと焼いたの2個づつ、オコゼのから揚げ2匹、貝の盛り合わせ多数、鯛飯3合 ・・・       食えるかっ! 

私たち、  無理でした。 とても無理です。 ごめんなさい。 1泊2食10500円、ごめんなさい。 大三島。 すごすぎます。      (翌朝のおかみさんとの会話、若い男性二人だし大丈夫と思ったんやけど、宿帳の年齢みたらお年やし・・  でも10歳以上若く見えるねー)       ・・・ 汗。

朝食も50-60畳の大広間に二人だけ・・    スゴイぜーーー、 大三島ー¥。

 

さて、 異常に腹ごしらえのできた二人はそそくさと荷物をまとめ、いざ神社参拝へ ・・

こっ、  これはいかに ・・・             人が、   ひとがおらんっ!!

 

大三島 044.jpg

何回こちらに参拝させていただいているか忘れましたが、 この広い境内に人がいない風景は見たことがないっ。   伊勢神宮の祭神天照大神の兄神である大山積神を祀る、全国1万社余りの大山積神を祀る神社の総本社であるこの場所が無人とは・・   おまけにきれいにホウキで掃き清められた庭に残るその文様はまるで雲の上のようであり、天上界にいるような錯覚さえ・・・

正直驚きながらも、 正直うれしく、 正直気持ちよく、 正直心静かに、 ゆっくりとゆっくりと境内の一つ一つのお社にご挨拶して回ることができました。  この時点で昨日の宿も 「それまで団体客が入っていたのにこの日に限ってキャンセルになってねえ」 というおかみさんの話しを思い出し、昨日といい、今日といい、どなたかのおかげでとんでもない空間世界を頂けたなあと、感慨もひとしおにお参りすることができました。    ありがとうございました。

そのあと源義経や武蔵坊弁慶が奉納した刀などが納められている宝物殿にてしばし現在を忘れさせていただいて、 さあいよいよ出発です。

この旅の目的は、あるようでない、ないようである、とだけ申し上げておきましょう。

昨日来、必死になって私の後をバイクでついてくるこの19歳の青年。 立派な不登校児童でありました。 今は退学して大検に合格しておりますが、昼夜逆転の生活は続いており、ほとんど家の中で生活しているわけです。 その彼が二輪の免許を取ったのをきっかけに一緒にツーリングに行こうと誘った話が、今実現したわけでございます。  

彼のバイクの走行距離は約600キロですので、慣らしも終わっていない新車であり、おまけに本人も新車であります。 そんな世間を知らない新車君といきなりの寒風風雪ツーリング、 素敵でしょっ。

さすがのおいちゃんもこんな時期にツーリングするの二十数年ぶりだし ・・  でも約束の方が大事です。  まあもくろみもあってのことですが・・

して、その道中やいかに。  ここまでは先導してきた私でありますが、実は昨夜のごちそうをいただきながら「明日は君に先導してもらいたいが、やるかね?」 と確認し、返事をいただいていた。

簡単に地図を見ながら単純明快な島の道路についての説明をし、ルートを決めた。 あとは彼の後について行くだけ。  それなりに緊張感をもって走り始めた彼は徐々に慣れてきたのか、それなりのペースで距離を刻んでいきますが、先刻約束していたきれいな場所があったらいつでも止まって楽しもうね、ということはすっかり忘れてただ走っているだけ。 私は自分なりにところどころ止まりながら景色を楽しんでいるのだが、彼は私が後ろにいないことにも気が付いていない。 私はペースを上げればすぐに追いつくのだが、どこで気がつくかを確かめてみようと様子を見てみた。 5キロくらい走ると気がついたようだ。 また彼は一本道だと思い込んでいるわけだが、小さな町の旧道内で見事に間違え、来た道を走り始めた。 それでも私はどこで気がつくか付き合うのであるが、これも5キロくらいで気がついた。 そこで私はバイクを降りて地図を見せながら「今まで右手に見えていた海が左手に見えていること、道路には標識や道路の番号があること、バックミラーの見方、などを教えた。  交通量の少ない島だからこそできる冒険であるのだが、たっぷりと間違える時間をいただきながら2時間半くらいかけて大三島を一周した。  私の後ろを走るだけなら自分で全く考える事もなく、感じる事もなく、無意味に近い時間だけが過ぎていく。 ところが先導することにより、ただそれだけで軽い責任を感じ始める事が出来る。 自分のせいで後ろまで影響されるという小さな事実だけで、小さな責任が生まれてくる。  そうやって注意力や集中力が磨かれ始める。  家にいたのでは一生わからないものがたったこれだけのことで体と心を一つにしながら感じ始める。 リアリティーをもって。  その後降りしきる雪の中をまた突風にあおられながら大橋を渡り、そこから松山までの帰り道も彼に先導していただく。  標識の見方を間違え一回とんでもない場所に出たりしながら・・、 その後途中の休憩所で最後に交通の流れに乗ることの大切さを教えた。 彼は前車との車間距離が開きすぎるが、自分本位のペースで後続車のいらだちの心理が分からない。  私が後ろでブロックしているからいいようなものの、一人だと完全に幅寄せなどの危険行為を受けやすい状態である。 そのあたりのことを「君が逆の立場ならどう思う?」というところから振り返る。  そして理解した彼のその後の走りはものの見事に中堅ライダーでありました。  とてもほぼ1日のツーリングでここまできたとは思えないレベルでした。  

無事に家まで送り届け、私も帰って近所のサウナにつかりながら、いろんな思いをもってこのツーリングに臨んだ彼が、今朝私とかわした約束について考えていました。  自分で決めた約束、 一般には普通のことだけれど彼にとっては並々ならぬ不安に駆られていること。  その新たな挑戦に期待はしないけれど、 私は心からエールを送り続けようと思いました。

 

寒さにすっかり同化した私の体は、風雪注意報の出る今朝でも気持ちよく感じ、朝のビルの清掃時にブルーマーブルの店長さんと挨拶を交わす時、 「今日はあったかいねー」 と言ってしまいました。   当然のごとく、 少々間をおいて店長さんは獣を見るかのような目で、体を硬直させながら  「あ、あっ、 あ・っ・た・か・い・で・す・ね・ー・」 とご挨拶してくれるのでありました。  やさしい店長さんでしょっ。  感謝。

大三島 043.jpg 

 

 

メリークリスマス!

あれ、 まだ続きがあるんかいな?   

ありまっせー。 この先生タダもんやないですさかい、まだまだ紹介しまっせー!

 

ほんまこの先生おもろすぎます。 頭脳明晰はもちろんのこと、音楽にも精通し、自ら八丈島の八丈太鼓の奏者でもあったり、宇宙のことや、目に見えない世界のこと、等諸々幅広い世界をお持ちの方であります。 しかし、何より私が感嘆しますのはそのお人柄に対してです。 本当に真摯な方であり、私のように簡単に上げ足を取ったりするようなこともなく、いつも静かに冷静にまじめに相対してくださるのです。

お話にもありましたように、カブトムシを追いかけていた少年がそのままここにいるかのような錯覚を起こします。

実は、先生が用意してくださった資料の最終ページはある歌の歌詞が書かれてありました。

英訳は先生自らがされたものですが、普通に訳せば到底この様な訳には至りません。

いかに普段からこの様な考え方で生きているかの証明書のように思えるのです。

是非この機会に触れてみてください。 そしてこういう感性の人に会いたくなったら、ブルーマーブルにいらしてみてはいかがでしょう? 17時くらいにいつものカウンター席で、一人でランチとアイスコーヒーを楽しんでいるかもしれませんよ。

なぜ今回この先生を ○○先生としかご紹介しなかったかと申しますと、ここで安易に紹介してネットで検索して 「ああ、こんな人」 でわかったような気分になってほしくなかったのです。

人は情報ではありません。 ネットの中に 「人」 はいません。 直接会って、目で、耳で、口で、匂いで、手で触って、感じるものです。  素晴らしい人には会いに行かなくてはならないのです。 その行為が尊いのです。 だから幸せな気持ちになれるのです。 

ちょっぴりシャイでお茶目な先生がやさしく受け止めてくれることでしょう。   

もしも、隣に私が座っていたら ・・    無視してください。早々に引き揚げます。

これにて新生シリーズ、 終了。

 

" Talkin' Loud "

incognito

 

There's a new generation takin' up 

the challenge

To raise the consciousness of all mankind

Tellin' it straight without a chaser

Like Train the motivator

Bringin' on new dimensions to fundamental vibes

 

Unfoldin' revelations from a universal source

Deep awareness for the wonders of the world

People yearnin' for the learnin'

Positive where life's concernin'

Optimistic in the quest for peace

 

So detach yourself from stress and

Ignite the cultural fuel

We're standing in the frontline with

The message clear for all

We've come in search of wisdom,

Inspiration, information

Listen and learn

 

概略:

人類の意識を高めるため新たな挑戦を

する人たちが出てきた。

一生懸命に話す。新しい波動について。

それは宇宙の源から広がる波動だ。

世の中の不思議を奥まで見通そう。

みんな知りたがっている。

前向きに、平和に生きることについて。

だったら圧力をはねのけて

「文化」を築いていこう。

誰でも分かる言葉を胸に最前線に立ち

私たちは、智恵、インスピレーション、

インフォメーションを求めて集まった。

さあ、聞いて、学ぼう。

 

 

Chorus:

Talkin' loud

And sayin' something

'Bout the way we live our lives today

Talkin' loud

And sayin' something

Revelations from a risin' generation

 

Buildin' on solid ground foundation

Complete with soul seduction

Come together, elevate your mind

What have we got if not each other

You can lean on me my brother

We got clear intentions

On planetary vibes

 

Detach yourself from stress and

Ignite the cultural fuel

We're standing in the frontline with

The message clear for all

We've come in search of wisdom,

Inspiration, information

Listen and learn

 

 

今という時代にどう生きていくか、

どう生活していくかについて

大きな声で話し合い、

メッセージを出そう。

魂の求めによって

しっかりとした土台を築こう。

みんなで集まって、意識を高めよう。

ひとりでは出来ないこともある。

君もぼくから学べるよね。

地球の波動をしっかりと受けとめながら

私たちは、智恵、インスピレーション、

インフォメーションを求めて集まった。

さあ、聞いて、学ぼう。

 

 

 

 

 

はーい、今度もよく出たかなー。        (誰かのつぶやき・・ おまんは下痢ピーか?)

なかなか聞きなれない単語でよく消化できてないかもしれないけど、今日は大丈夫だよー。 いよいよ先生の本音の部分に差しかかるからねー。 実にシンプルな考え方だから安心してちょうだいね。 では先生、続きをよろしくです。。

 

さて、 では今までお話ししてきたようなお金の価値がなくなるのか? ですが、無くなるとしてもそれは「徐々に」であり、全くなくなるのはその可能性があるということだけです。 どこかの国に占領されたのであれば急激に無くなるかもしれませんが、そうでなければ徐々にでしょう。 (その間に手を打つチャンスはあるが・・)

ところでこの世に「善・悪」はありません。あるように見えるのは人間が作った価値観によってです。 通貨の存在についても「善・悪」は判断できません。 本日云いたかったことは価値を通貨で計測することの危うさや通貨で計測した価値で行動すること(したり、しなかったり)が本当の価値実現(喜びや幸福)に結びつかないことです。 お金の存在価値は交換価値を示すシグナルを発することと、交換自体を容易にすることです。 しかしお金で何でも買えることから、お金を過剰に求めることによって多くの問題が起きているのはご承知のとおりです。 しかし、私が危惧する最も大きな問題を上げるならば、お金の存在によって人と自然が分離してしまっているということなのです。 

人間は「自分が自分でお金を稼いで自立している」と思っています。

ホントはタダで輝いてくれている太陽や、タダで酸素を出してくれている植物が存在しないと明日の命も危ういのに、太陽さんありがとうと言う人は少ない。 植物さんありがとうと言う人は少ない。 

ブルーマーブルの食事もお金を払えばいただけますが、この食材がどんな場所で生育していたかを知る人は少なく、直接食材そのものに感謝する人は少数でしょう。

ところが、もしこの世にお金がないとすれば、自分で自然と対話しながら作物を作り、海や山で獲物を捕ってきてそのありがたみに感謝していただくことになります。 さぞかし自分で作ったキャベツはカワイイだろうし、イノシシをさばくとき命について意識するだろうし、自然と感謝の念が沸き起こるかもしれません。

このようにお金の存在や通貨のシステムを単純に「善・悪」で判断することはできません。 もし、お金の存在によって人間が喜びや幸福、自然や宇宙から遠ざかっているとすれば、それは、 人間自身の心の問題ではないでしょうか?

最後になりましたが、人間が行動する動機において「損・得」で判断していること、また、判断させることが目立ちます。 特にお金の価値で、高い、安いと言って、または予算がある、ないと言って。

それよりも私は、人は 「愛情」 によって行動すべきだと思うのであります ・・・

 

このように先生のお話は終わっていくのでありました。 

 

今回お金という見慣れた形のものを通して、その隠れた意味の再確認を通して、改めて形のないもの、価値だと思ってないもの、価値を忘れているもの、にふれるきっかけを作ってくれたのではないかと思いました。 

その後飲食を楽しみながら先生を質問攻めにしながら、それでいてかつてない心の開かれた状態の雰囲気の中、女子大生も、経営者も、サラリーマンも、OLも、農家の方も、教師も、主婦も、非正規社員も、十数名が入り混じり、マーブルデーは深夜まで熱を帯びていくのでありました ・・・

資料の最後に記された言葉

ブータンに伝わることわざ ・・・ 都会にあるものに価値はない。 森にあるものはどんな小さなものでも価値がある。

道元禅師のことば ・・・ 我、山を愛するとき、山、主(ぬし)を愛す。

 

 

 

はい、 長ーいトイレ休憩でしたねー。 たくさん出ましたかー。  それでは気を取り直して第二部へとまいりましょー。

 

先生はおもむろに取り出した手作りの紙芝居を1枚めくり、日本銀行券と書かれたお札のマンガを見せながら(若干起笑)、この一万円は「日本銀行があなた(一万円の持ち主)から一万円を借りている」という「借用証書」です と説明を始められるのでした。 そして日本銀行が国立印刷局に一万円1枚当たり20円で作ってもらい、その印刷した紙幣で国債などを購入していること、国債は日本政府の購入者に対する「借用証書」であること、その国債発行残高が急上昇していることを政府資料を見せながら説明を続けるのでありました。 

このいつ返済が終わるかわからない借金を抱えた政府は、増え続ければ破産するわけですが、なぜしかしこの破産しかねない政府に対しさらに資金を貸す人がいるのでしょう?

日本政府の主な収入源は「税金」です。そう、私たちが納めているこの税金は限りなく長期に及ぶ国債の返済に使われ続けていくのです。この国の民はこれから先もずっとまじめにたくさんの税金を納めるだろうと思われているのです。 すなわち国債は、「将来のあなたや自分の子供たち、孫たちが負担するはずの長期にわたる税金」を担保にした借金なのです。

自分の持っている一万円=自分や子供が今後納める税金一万円? (私が持っている今の一万円は将来私が稼いでその中から支払うはずの一万円)   しかもその価値は、通貨供給量の増大=国債発行残高の増大によってどんどん減少しています。 おまけに少子化進行・団塊世代退職による就労人口大減少(税収減の進行)、新興国の台頭による国力減少等が重なればその価値はますます減少するかも・・

通貨の価値はその供給量により変動することは周知の事実ではありますが、極論すればそれも誰かが潤うために作られたシステムかも知れません。 とにかく預金通帳に並んだ大きな数字は、紙の上に数字が並んでいるだけであり、これが近未来に意味がなくなる可能性があることは否定できないのです。 (そうなるとお金持ちはショックで愕然となるが、私のような借金持ちはワーイと喜ぶかも・・ ゴメン低レベル)

まして通貨供給量の増大(国債発行残高の増大)は、環境破壊の進行にも大きな影響を与えるでしょう。 国債発行によって調達された資金によって、山にダムができ、川や海の岸辺はコンクリートで固められています。 (大量のお金を既得権力者は無理やり回すために意味のない開発行為も必要)

というところまで先生のお話は進むのでありました。 

 

『この時点でなかなか聞けないお話であろうことはおわかりでしょう。 もちろん先生の冒頭の注釈にもありましたように、すべてが正論であるということではありませんが、大局の考え方として今持っているお金は将来自分で納めるはずのお金であるかも知れないと考えれば、恐ろしくてそうそう使えまへんなー、ということにもなりかねません。 のでそこは政府さんもあまり触れたくはないでしょうし、経済界も買い物してくれへんと困りますさかいそないなことは言いしまへんやろけど、一つの考え方として知っておくことは国民の責任ではないでしょうか。 まあもっともここまで知ったところで、そないな先の話知るかいなー 言うて関係なく生きていく人がほとんどでしょうから、同じか? 

しかし、あえてここで云わせていただくなら、企業の破たんに例をとると、誠実にがんばったのに、やむを得ない理由で債務超過に陥ったケースの場合、なぜこうしたことが起きているのかを考えていくと、その根本は「資金調達の方法」にあることが多々あります。 借金や買掛金といった「負債」は、「いつまでに返します」「払います」と約束をしたお金です。一方、株式で調達したお金というのは「資本=会社の元手」ですから会社が存続する限り返済期限はない。株式というのは「出資者みんなでリスクを分担して、失敗したら、その失敗はみんなでかぶろうよ」というお金の調達方法です。だからリスクがある事業ほど、株式(資本)で調達する比率を増やすべきである という考え方があるわけです。

この考え方と国債を照らし合わせるならば、国債という概念を国は「株式」という位置づけで見ているのではなかろうかとさえ思えてきます。 「出資者(国民)みんなでリスクを分担して、失敗したら、その失敗はみんな(国民)でかぶろうよ」 です。 実際は償還期間があるのでれっきとした借金ですが、専門家でも意見の相違があることも事実。 余談ですが、この機会に知っておいてね』

というところで、 おぉー、またもやトイレ休憩ですー。  さあ、クールダウンクールダウン。。

 

 

 

さて、ではその新生マーブルデー第1回目を飾る華々しい発表者は誰か?

謎の助教授○○先生であーる。 先生とはこのブルーマーブルで出会い、お互いカウンター席の常連として隣席した折から少しずついろんなお話をする間柄になっちゃったわけです。 この先生のもつ不思議さにオーナー藤山氏と私はぜひ新生マーブルデー開幕投手としてお願いしましょうということになったわけです。 その見立てはものの見事に当たったわけでして、 いえそれ以上の成果を導き出してくれることと相成りました。 そのお話を少しずつご紹介させていただこうと思います。 あまりに面白く、 あまりに深く、 あまりに輝いて、 あまりに包まれて、 その愛情にとろけてしまいそうなお話でしたから、皆にもおすそ分けしないと目覚めが悪そうなので ・・・

 

この先生の専門は森林保全であります。 して本日の話題のテーマは 「通貨の本質について」

   は?  でしょっ!      なんで森林がお金の話を ??    

そこが面白くて深いのですが、 ゴメン、私の解釈で正確にお伝えできるのかちょいと自信が ・・

まあガンバリますです。

 

先生はまずきちんとした佇まいでもって、最初に自分を初回に選んで頂いたことへの謝辞を述べられ、次にはこうやって皆で実際に顔を見ながら集まって話し合うことの意義も述べられました。 マーブルデーの内包する意義と可能性をきちんと認識されての上での今回の依頼の承諾であったことを表現していただき、私たちもありがたく、そしてうれしい気持ちで一杯でした。 この時点で理念を共有できる仲間というものがどれほどありがたいものであるかということに心が震えておりました ・・

そして先生のお話は自分の生まれた時代背景へと進みます。 場所は愛知県、高度成長という名のもとにあらゆる自然物を開発の名のもとに破壊し、人工物へと置き換えてしまう時代に生まれ育つ中から、大好きなカブトムシの数がどんどん減っていくことに子供心に違和感を感じたといいます。 森が消えていく。 これは何とかしないと、 という思いから森林保全という道へと進み始め研究を進めていく中から、森林を守るためには社会の在り方(政治・経済)を変えなければならないのではないかと気づき始めます。 そして社会の在り方を変えるには、人の心の在り方が変わらなければならないのではないのか、という気づきへと昇華していくのです。 そしてこの気づきはみごとに折り返し、人の心の在り方が変われば社会の在り方が変わり、社会の在り方が変われば森林保全ができるのではないかと考えた訳であります。 この時点ですでに既存の学者という概念・観念を超えているというか、無視しており、本来論理的、理論的にのみ解釈し続ける性格を全く持って捨てているこの人は誰?   という感じで私はカルチャーショックを受けているわけで、 しかし、個人的には全くもって同質の考え方であり、歓喜すべきなのでありますが、まだ始まったばかりなので様子を見ることにいたしました。

そうすると今度は10年以上前の新聞はまだ見通しを大切にした記事が書かれてあったように思うのだが、それ以降の記事は高速料金がどうのこうの、公務員の給与がどうのこうのといった目に見えること(現象)だけの羅列に終始し、目に見えない本質(構造と力)には触れようともせず、見通しも表現しようとしていない。 (もちろんその背景には目に見えることにしか反応しない、興味を示さない国民の姿が垣間見えるのであるが、そこは先生我々をいたわりそこまでは言わない) 

そしてだからこそ今回通貨というものを通してそのことを垣間見てみようと思われたということでありました。

資料として配られた中には、先生の一つの意見として「お金でほとんどのことが手に入る(ようにみえる) 現代社会」、「環境破壊は常に人間の(好ましくない)欲望の反映である」 と記されていました。

いよいよこの後は手作りの紙芝居を使っての通貨の意味へと迫っていくわけですが、長くなりそうですので本日の講義はここまで。

はい、 トイレ休憩でーす。  

 

 

 

思いのある手紙

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親愛なる お客様へ          マーブルデー参加の皆様へ   ・・・

  こんな出だしで始まる手紙を受け取りながら今回のマーブルデーは始まった。

一周年を迎えたマーブルデーは次なる成長のために自ら形を変える。 その意識と意思を大切にする。 そして新生マーブルデーの幕が開いた。 それはこの1年間自らの意思でこの会に参加し続けた故の産物であるコミュニティーという付加価値を手に入れた人たちによる次なるコミュニティーへの挑戦でもある。 今まで出会いの場所、出会いの機会として機能してきたこの会は、今度はその人、一人ひとりに焦点を当てながらより深くその人を知り、新たな知識を知り、考え方を知り、他者の意見を知り、そして何より自分を知るためにこの機会と場所は機能し始める。 お客さんによってこの会は育っていくのである。 その新生マーブルデーのご挨拶文が冒頭の出だしで始まるブルーマーブル・藤山オーナーの手紙である。

とても素晴らしい手紙なのでぜひご紹介したいと思います。

 

"いつもザ・ブルーマーブルをご利用いただき大変ありがとうございます。

マーブルデーを開催し、1年が過ぎました。

知らない人や気の合う仲間が自由に集まり、自由に楽しめる日(マーブルデー)を作ろう! と青葉土地の田中社長(大家さん)と考え開催してきました。

たった1年で素晴らしい出会いや繋がり、絆が出来ました。 私どもスタッフも大変感謝しております。

もともと、このマーブルデーは1年間はやってみようという趣旨で私と田中社長とでアイデアを出し、続けてきました。 そして今、2年目を迎えるにあたり今後のマーブルデーを考えています。

私たちの本来の希望は毎日がマーブルデーになることです。

海外のパブやカフェは毎日がマーブルデーのように人々が出会い、語り、交じり合っています。

ここ松山でも多くの人が、本当の意味での国際人、グローバルな社会になり、人の繋がりという資産として絆が出来る事を願っています。

マーブルデーに頼らずに私たちスタッフやお客様がもっと自由に繋がり、もっと広い輪ができる事を強く望みます。 

今後、この中のメンバーのだれかがマーブルデーを主催し、新たな輪が広がるきっかけ作りを提供してたいただければと願います。

本日からは一人ひとりが参加者となり、一人ひとりが持っている話題や知識を皆様と共有できる参加型を開催します。

第一回目は愛媛大学の○○先生のお話があります。

今後のマーブルデーがどのようになるかは、皆様のパワーで決まります。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

ブルーマーブル 代表 藤山 健  スタッフ一同"

 

 

 

余計なお世話?

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不動産同業者が来社した折に、大変な時代がきたもんだ、憂鬱なもんだ、どうしたもんだ、どうしようもないもんだ、 というのが大概あいさつ代わりのセリフとなっている昨今である。

まあどこまで本心で言っているかどうかはそれぞれ違いはあるだろうが、まあ総じて雰囲気は似たようなものである。

この不動産業という世界、なかなかに経済世相に敏感に反応する世界でもあり、普通の会社さんよりもいち早く変化を感じることが出来やすかったりもする。 そこで素直に先を予想し、さまざまな準備に費やせば何とか生活するだけの環境は用意出来たりもするのではないかと思われるのだが、現実なかなかそこまで準備されていないケースも目につく。

この準備、たとえばうちのような仲介業であれば仲介がなくなったとしても収入の生まれる環境を作るということになる。 そのひとつに収益物件(アパート・マンション・テナントビル) の管理や所有もある。 うちで言うならフレッシュりーブスという物件になる。 

しかし、その物件というものは入居者さんがいてくれて初めて収益が生まれるものであり、ただの空き部屋であれば、固定資産税や修繕費用といった大きな支出が生まれ続ける負の財産にもなりえる。

その入居を斡旋することにより、管理することにより、初めて収支バランスが作られていく訳なのだが、そこに不動産のオーナーの影が意外に薄かったりする。

管理は依頼した不動産屋がするもの、私は何もしなくて当たり前。そのために管理料を支払っている・・・

まあごもっともな答えの一つではあるのだが、さあ、いつまでこの考え方でやっていけるのだろう?

オーナーの仕事は未入金の入居者がある場合、急ぎ不動産屋に文句を言い、あれもやって、これもやってと言いながら、通帳を眺めているだけでこの先安泰なのだろうか?

もちろんそうではないオーナーさんもたくさんいらっしゃるのでこの表現は適切ではないのだが、あえて極論の中から見えやすくするための手法とご理解ください。

 

何が言いたいのかというと、賃料や敷金、手数料のあるなし といった条件に左右される環境に甘んじていると、それよりいい条件のライバルが現れたとたんに経営が左右されてしまうということ。

そうではなく、ここにいることに別の意味や価値がある(付加価値) かということの方が息の長い経営ができるのではないのか?  ではその付加価値とはなんぞや?

たとえばその場所にオーナーもおり、なんやかんやと入居者さんの相談に乗れたり、毎日顔を見て挨拶したり、人を紹介しあったり、一緒にお茶を飲んだり、立ち話したり、そのお店にお客としていったり と まさに日常の何気ない風景がオーナーの意思として作られているかどうか? ということではなかろうかと思うのである。

そんな当たり前なこと今更言うな!  と叱られそうですが、さて本当に当たり前でしょうか?

私は毎日風呂に入っているときに 「毎日こんなあったかい、きれいなお湯につかっていられる、あぁなんて幸せなんだろう」 

布団にもぐりこんでホッとその温もりに安心したときに 「あぁ、こんな布団に包まれて温もりを感じながら眠れるなんてなんて幸せなんだろう」

冗談ではなく、本当にそう思いながら過ごしている。    笑いたい人は笑ってね。。似合わないのは確かだから・・

ここで話を戻すなら、本当に入居者さんが入っていてくれることは当たり前のことなのだろうか? 入居者さんが家賃を払えることは当たり前のことなのだろうか? そんな大切な人が一生懸命仕事していてくれるのに挨拶もしなくて当たり前なのだろうか? 自分に何ができるのだろうと考えなくて当たり前なのだろうか? ・・・

すなわち、 感謝出来なくて、 しなくて、  当たり前なのだろうか?

「あぁ、 居てくれてなんてありがたいんでしょう」 「来てくれてなんて幸せなんでしょう」

 

当たり前と思えることは本当に当たり前なのでしょうか?  人類の9割は毎日お風呂に入れてないでしょう、そんなことも想像せず私たち日本人はまだ何か足りないのでしょうか?

足りないことを探す前に、今あるたくさんの幸せに感謝くらいしませんか?

 

 

 

 

 

神出鬼没

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先週の金曜日、以前にもご紹介させていただきました、廃油を集めて軽油に精製しなおして走るバイオディーゼル車(トヨタ提供・1億円くらい) により、世界一周をし、現在日本一周をしている山田周生さんが友人であるブルーマーブルの藤山オーナーに会うために九州のイベントの帰り道に寄り道された。 急ぎ東北に行かねばならないのではあるのだが、ここまで来て藤山氏に会わないわけにはいかないだろうと言ってこられたのでありました。

私も久しぶりだったので、仕事ほっぽり出してしばらく新鮮な外の世界のお話で盛り上がりました。

ありがたいです。 こんな話なかなか聞けないですから・・

 

それからマーブルさんの廃油を給油して、次に会う四国の友人にそそくさと連絡したかと思うと四万十川に向けて出発していかれたのでありました。

その時の模様が周生さんのブログにありますので、ご紹介。(藤山氏からのメールで気付いた次第)

まだご存じない方は、まあこの機会にゆっくりご覧あれ。 この方もとんでもない人ですから・・

http://space.rgr.jp/bio/

 

 

 

 

フゥーー 。   です。

何とか無事にあいキャンクリスマス会及び忘年会が終了いたしました。  今年の行事は以上です。

すごい楽しいクリスマス会(あいキャンブログ参照)と、すごい顛末の忘年会(ブルーマーブル貸切で保護者様とも深いお話をして、おいしく安心安全な食事を満喫し、二次会のsing outではまた盛り上がり、二回目のビデオ上映会もし、その後seedで三次会)と、どちらもすごかったですねー。 というか忘年会はよくわからんこともいろいろあるのでまた後日詳細が分かればご報告を ・・

何せ解散したのが翌朝の5時すぎという記憶しかなく、なぜそんな時間まで話をしていたのか? 

まあ私の言い分だけ言わせていただくなら、私は自由解散という意識があったので、残っているメンバーはそれなりに話し足りないメンバーだろうと思っていて、自由に話していると思っていたのだが、気がつけば私の周りに人がいるものだから、私に聞きたいことがあるのかなあ? と思って質問に答えていただけの認識しかない。

そうしたら何人か聞きながらウトウト眠っているし、私自身もどえりゃあ眠たくなってきたものだから、今何時? と聞いたら 「5時です」    「ギャーーーー」 でしたよ。 ほんま。

なんでそこまでいるの? みんな? 私が悪いの? 私のせい? うそー? 

急きょ解散となりましたが、メンバーの駐輪場が朝7時まで出入りができないとのことでしたので、そのまま数名のメンバーとseedにて仮眠。

私が目覚めたのは9時でした。 駐輪メンバーは書置きを残しお帰りになったようで、お目覚めメンバーは私とクリボーの二人でした。

この振り返りは厳しいものになるかもです。 何せ顛末がよくわかりません。

まあ年に一度くらいゆっくり話を、 という考え方もあろうし、いやけじめをつけるべき、 もありましょう。

自由ということはどこまで自由なのか?  しらふの頭で考えてみようと思います。

 

かみさんは目覚めの後、私がいないので  「またやりやがったかも ・・ 、あのおっさん」  と思ったかどうかは分かりませんが、7時ころ着信の跡はありましたとさ ・・・   くわばらくわばら。

 

 

 

資料を整理していたら懐かしいものが出てきた。 道後中学校創立50周年を祝う記念誌への投稿文です。 当時PTA後援会長を仰せつかっていたもので、この機会をいただいたのでした。

35年前の出来事の一つですが、一つくらい色あせないものがあってもいいですよね。

 

 

 

             平成15年度後援会長 田中 啓文

 

 

" 昭和47年4月、12歳の私は不思議な感覚で母親と共に道後中学校の入学式へと町内を歩いていた。出発する前は、父親が制服姿の私を写真に納めていた。何となく大人になったような、まだまだ子供のような、今思えば恥ずかしい限りの感情であるが、当時の私はそんな気持ちだった。

また私は数ヶ月前に松山市へ転校してきたばかりゆえ、学校生活と言うよりはこの都会の事に興味が湧いて仕方がなかったように記憶している。

 

案の定、正直にその興味を満たさんがために勉強そっちのけでデパートの屋上にあるゲームコーナーやおもちゃ売り場に入り浸っていたり、町々のおもちゃ屋に居座っていたりと、今まで山と川と海と田んぼしかなかった生活から逃れ出ようともがくようにこの遊びに浸っていった。

 

やっと一部の勉学に興味が湧き始めた中学2年生、この年の運動会では今も続く道中伝統の「ミスター道後」(砂の入った俵上げ競技)  に借りだされた。少々太めの体力ありそう系と見られての選抜だった。それでも他の競技と違い、なぜか無性に責任を感じたのを覚えている。

 

一人でクラスを代表して戦う、そういう事とは全く無縁な存在であったのだから無理もない。家でバーベルを上げて少し練習なんぞもしてみた。

本番は1位と二人で長い間接戦の上の2位であった。

その後のクラスリレーのアンカーも2位で終え、クラスは総合2位を得ていた。

すべての競技が終わり、教室に戻り担任が記念品のノートを配る折、一つ余ったノートを「今日の功労者にあげよう。」と提案しその候補者を募った。 なんと私が選ばれた。

取り柄のない、うだつの上がらない私であったが、なんと今振り返ればこれが中学時代の一番の思い出になってしまった。

 

ささやかな思い出である。しかし大きな思い出である。この思い出のおかげでその後自身を支えてくれたこともあった。 一つの変化のきっかけが生まれたと思う。

そうしてそれからの数十年、様々のきっかけを経験しながら今の私がいる。

 

あの取り柄のない少年が会社を経営し、ボランティア団体を立ち上げて代表を務め、様々な青少年と関わり続けている。

一人一人の少年と出逢うたびに私は自分のあの日と同化する。

自分の前にあり続ける未来に対して、大いなる不安に呑まれながらも一抹の可能性にすがりたいような青い感情。

その感情をいとおしくさえ感じる。だから今も私はあの時の私とつながっている。時という糸を今も紡ぎ続けているのである。

 

そして今、道後中学校の少年たちはそれぞれの糸を紡ぎ始めようとしている。"

 

 

 

新手の厄落とし

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昨日の剣道形はとんだ厄払いを受けることと相成った。

いつもの通り、ひとしきり7本目までの形を相方と済まし、打太刀・仕太刀の役割を交代し、その後師匠から細かい点のご指導を受けていた時のこと、 おもむろに刃引きという真剣の刃の部分をつぶした刀を二本持ってきたかと思うと一本を私に渡し、いきなりそれで先ほどの稽古の再現をすることに相成りました。

刃がないだけで、後は本物ですので当たれば木刀よりも大事になるのは必至。 実際この八段の師匠は同じ八段のお仲間とよく稽古をされたそうですが、気が付いたら小手の部分や頭から血が垂れていた、なんてことはよくあると聞かされていましたし、無数の傷跡を見てましたのでなかなかやばいんじゃない? って感じでしょ!

でも逆らうことなんて絶対無理ですし、やりましたよ。 

「ヒュッ」 って空気が切れるんですよ。 あっという間に私の小手に当たる1-2ミリ手前でみごとに止まるんですよ。 なんか師匠、木刀の時より楽しそうなんですけど ・・・

でもその時理解しました。  あぁ、 このまま真剣で切られていたら恐らく何の痛みもなく、ショックさえ感じることなく、私の右手首は地面に落ちていただろうなあ と。

美しすぎます。 本当に無駄のない動きと、手首を切り落とすために集中された気力。

変な表現でごめんなさい。 恐ろしい世界なのですが、しかし美しい世界なのです。

語弊を恐れずに言うならば、茶道や華道といった「道」の世界と同じ匂いなのです。

もちろん本物でないとこんな匂いはしませんけどね。 つくづく素晴しい師匠に教わっているなあと感じた次第です。 

こんなに美しくも気迫に満ちた気力に切られた私は、たぶん立派な厄落としが完了していると思うんだけどなぁ ・・・      

 

 

 

さてさて来週の土曜日はあいキャンクリスマス会開催ですねえ。

今年の事業もこれで最後、後は来年2月のあいキャン祭りで今年度事業最後となります。

夏のキャンプ事業とは一見関係のない余興事業として見られがちな冬の事業ですが、どうしてどうしてこれが実に深いのです。 プレキャン、本キャン、アフターキャンプとそれぞれの味を出しつくし、キャンパー、スタッフ、保護者のコラボレーションをしてきたわけで、その時は無我夢中で、また当事者として客観視できなかった世界を、このクリスマス会のビデオ上映を通して、しかもその時の仲間と一同に会しながら、共に笑い、共に楽しむことができる唯一の場所・環境でもあるわけです。

これも体験した人でないとなかなかその喜びは理解しにくいでしょう。 一人で見るビデオより100倍楽しめます。 ホントに不思議なものです。 同じものを見るのに、なんでみんなで見るとこうも違うのでしょう。 このあたりに人が仲良くなっていく、理解していく、大切に思える秘訣が隠されているようにも思えるのですが ・・

そんなクリスマス会の楽しみは他にもいろいろありますが、スタッフ手作りの小さなプレゼントもその一つでしょう。

本日のミーティングはそのほとんどの時間を割いて、スタッフはコツコツとプレゼントを作り続けていました。 静かに、しかし和気あいあいと、安心に満ち溢れた時間と空間の中で、まさに厳かにその作業は進行していくのでありました。 スタッフの顔はそれはそれは慈愛に満ちたものでありまして、個人的にはこういう作業時間はとても好きな時間であります。

普段彼らをバカたれ、アホたれと叱咤し続けている鬼の軍曹がこんなこと言うと、 「ウソー」 と思われるかも知れませんが、確かにあまりに不足している彼らの事業スキルに対しては情けなく思うことはありますが、しかし最も大切であると思っている 「思いやりスキル」 はとても高いものがあるのです。 ここが恐らくこの はーと・ねっと・くらぶ の価値の源ではないでしょうか。

本当に一生懸命に、キャンパーのことを思い、少しでも良い物を、時間がかかっても作ろうという「意思」を強く感じます。

果たしてキャンパーが喜んでくれるかどうかは分かりませんが、少なくともこの関わっている時間と空間の織りなすプロセスは永遠の喜びを表現していると言っても過言ではないでしょう。

この裏方の、地味な作業の積み重ねこそ、真に値打ちのあるものだと私は確信するものであります。

今はそのことがよく理解できなくとも、何年か後、何十年か後、きっと関わった人の心の中にある小さな種火は、何がしかのきっかけをもってして大きな炎としてその人自身を育てていくことでしょう。

もちろんここに来られなかったメンバーもその思いが一つであれば全く同じことなのです。

さあ最後まで思いっきり準備して、悔いのない新年を迎えることといたしましょう。

 

 

 

昔、といっても20年位前のことなのだが、愛車DUCATIでバイクレースなどをやってた若かりし頃に、サーキットで100キロ位のスピードでコーナーに侵入し、調子に乗ってアクセルを開けすぎ、後輪がおもいっきりスライドし始め、あまりのスライド量に驚いてアクセルを戻してしまったことがある。 これはすなわちやってはいけないことなのだが、今までやったことがなかったのだが、魔が差すとはこのことで、やってしまった。 当然ハイサイドというげに恐ろしき結果を導くのでありますが、簡単に言うと、スライドしていた後輪がアクセルを戻すことで急激にグリップすることにより振り子の原理でパンクしていた反対方向に向かって投げだされること、 ということになります。 すなわちバイクもライダーもスーパーマンよろしく、遥か空中をさまようことになるわけで、一つだけ違うことはもうどうにも止まらないコントロール不可能状態であるということです。 私は本当にこのときは空中で恐ろしくなり、もう駄目ーーーって感じでなすがままでございました。

長い時間のように思いましたが、無事というか必然としてサーキットの路上にたたきつけられたまま数十メートル滑走し、やっと止まったと思った所へ自分のバイクが激突してきたのでありました。

踏んだり蹴ったりというのはこういうことかと、まさに身をもって経験をした瞬間でございました。

頭・肩付近から落下し、そのまま地面に叩きつけられ、まだそのエネルギーは収まりがつかずくの字になった私の体はもっともっと折れ曲がり、一の字になるほど折れ曲がったときに、ボキボコッ という音が聞こえたのでありました。  やっと滑走が止まってしばらく動けずにいるわけですが、びっくりしたのは息が出来ないのです。  あ~、 このまま終わりですか~   みたいな空気が漂い始めたころ、 息が戻ってまいりました。  すごいですねー、息が出来るというのは。 うれしいですねー。

と 言ってる場合ではないのですが、そう思いました。

で、 それからもめちゃくちゃ大変なことはいろいろいろいろいろあったのですが、はしょります。

結果はろっ骨二本完全骨折と、左腕のひじが縦に割れる骨折と、手首の複雑骨折でした。

二十年たつ今でも後遺症は立派に残っております。 貴重な経験ありがとうございました。

 

っていう話ではなくてー、 その時と今まではそうでもなかったのですが、この一、二年位前から首の違和感が顕著になってきたのであります。  普通に首が回らない、肩から腕にしびれが走る、会社のお金も回らない ・・

失礼、 それは関係ない?    年のせいなのかどうかはわかりませんが、やはり後遺症として出てきたのでしょう。 まあ生きてるのが不思議ですからねえ。 

それまでマッサージなど行ったこともなかったのですが、超音波療法なるものと出会ったりなんかして(マーブルデーで) 行き始めたら、やっぱり出ますねーって感じで痛い目にあってます。 でもこれいいんです。 今まで動いてなかった部分が動いてきた感じです。 悪い部分というのはすなわち血行が悪く、動いてない、冷えている状態ということだそうです。 その理論は私にも多少なりともわかりますので、意識して今はそのことに注意を払おうと思っています。

白湯をたっぷり飲み、軽い運動を必ず行い、体を温め、血流が良くなる状況を作ること。 特にパソコンの姿勢を長時間続けない。 

まあもっといろいろありますけど、どちらさまもお寒くなりますと何かと変調をきたしやすくなりがちでございます。  くれぐれもご自愛されますことをお祈り申し上げます。