今回より本キャンプの様子などをいろんな視点から集めた情報として少しずつ残していこうと思っている。
その小さな出来事の数々から見え隠れする様々な心象世界はきっと日常の中にも役立つことがあるはずだとも思っている。
様々なキャンパーと若者たちが織り成す、厳しくもやさしい、過酷だけど甘酸っぱい世界がほんのりと見え隠れしてくればいいのだが・・
今回のエピソードのひとつは、あいあいキャンプにもう何年も来てくれている肢体不自由のキャンパーとグループスタッフとの会話。
このキャンパーは筋肉が発達せず、骨と皮が目立つような体であり、関節もスムーズに動かずびっこを引いてやっとこさ歩くのだが、上体はそのたびに大きく揺れていつ倒れてしまうのかと心配で仕方ないといった状態である。
そのキャンパーにグループスタッフが話しかける。
「暑い日向でかまどの火付けや管理を担当してくれているキャンパーにコップのお茶を持って行ってくれないかなあ?」
するとそのキャンパーは「自分が持っていくとこぼれちゃうよ」 と答えたという。
そしてスタッフはその子の体が揺れるからしょうがないよねと思い、 「そうかあ」 と答えたという。
その後そのスタッフはこの自分の答えに疑問を感じ始める。
後日私にこの対応はどうだったのでしょう? と聞いてきた。
私は今だったらどう答える? と聞き返した。
そのスタッフは考えて「何かに載せて持って行かせる??」 「・・・」 といくつかの方法を答えた。
だがどうすればこぼれないようにするかという領域を出ようとはしない。
そこで私はゆっくり時間をかけてから最後に、私なら 「こぼれてもいいじゃない、そのお茶が半分になったとしても、ほとんどなくなっていたとしても、君が一生懸命誰かのために運んで来たという気持ちは伝わるんじゃない?」 と答えるかなぁ、 と言った。
お茶を届けることが目的ではあるのだが、みんなそのキャンパーがそういう状態であることは知っている。 だからこそその状態のままで頑張ってみることでどんなことが起きるのか、どんな反応が返ってくるのかを体験できるチャンスと捕らえるのである。
お茶がなみなみと運ばれてくるうれしさと、お茶は少ないけどやさしい気持ちがなみなみと運ばれてくるうれしさと、それをいただく側としては、 その光景を目にする者としては、 それを運んで渡し終えた本人としては、 どちらが喜びに溢れているんだろう?
あくまでも私の仮説である。 日常の世界であれば「アホか」 で済まされても当然でしょうと思うかも知れません。 でもここあいあいキャンプの中では、みんなで助け合うしかない世界で「生活」をしているとそうではなくなるのです。 本当です。 びっくりするくらいどんどん心が素直になっていくのです。 だからこんなことを平気で書けるのです。 まあ私が変人であることは否定しませんが・・ (苦笑)
そんな普段の状態のままそのキャンパーが行動したことで、自分やみんなが喜びに溢れる体験をしたとしたら ・・ キャンプから帰ってからも、 日常の中でも、 ひょっとしたら同じようにありのままの姿でチャレンジできる人になっていくかもしれませんもんねぇ。
こんな風にこれから様々なエピソードが白日のもとにさらされてくると思います。 ・・ たぶん
みんな覚えてるかーー 。









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