2010年8月アーカイブ

さてさていろいろお話することがありすぎておいちゃんの頭はブスブスゆうてるしー。

先日の日曜日はあいあい本キャンプから帰ってはじめてのミーティング、振り返りの日でありました。

各プログラムごとに検証するところから始まったわけでありますが、この日は5時間かけて初日の開校式までの振り返りができました。 プログラムとしては出発式と、バスレク、開校式ですから3つのプログラムということになります。 全体の1/4くらいかな。 まだまだ続きマース。

 

して、その中身は私がその場にいなかった(先発隊として早朝よりキャンプ場で受け入れ準備のため) 出発式とバスレクはどうしても根掘り葉掘り聞かないと見えてこないがゆえにたっぷりと時間をかけて聞き取りをしていったわけでございます。

今年初めて参加したメンバーからは、すべて順調に進んでいた旨のお話がありうまくいったのかなー的な空気も流れたのでしたが、事前にある程度の状況を聞いていた私がそれを見過ごすわけはございません。

少しずつそこにいたスタッフに聞き取りを開始していくと、  出るわ出るわ ・・

まあまあショッキングなことも出るわ出るわ ・・

どしたんこれ、 ザーザー降りやん、 みたいな ・・

若者だけでは絶対この扉は開けんかったやろなー みたいな ・・

おいちゃん こーゆー時にもうキャンプ止めとーなるんよね。  毎年毎年繰り返し繰り返し振り返り、改善し、共有し、確認し、 みたいなことでやってきたはずなのに ・・

勝手に書き換えられたり、確認自体が間違っていたり、指示系統が機能してなかったり、挙句の果てにバスに乗る時間がないということで、チャレンジドを含む子供たちを信号機の交差点があるにも係わらず車道を横断させたりという信じられないことまでしっかりやってくれておりました ・・

本当にキャンパーを始め、保護者の皆々様に対して申し開きもございません。 大変なご心配をおかけしたと思っております。 この場をお借りいたしまして深くお詫び申し上げます。 もちろん改めて別の機会にご挨拶させていただきます。

小さな道路だから大丈夫、時間の方が大切、   こんな風に若者の一部は価値のすげ替えを瞬時に行ってしまう場合があります。

何よりも大切な、優先順位一番の「命」を即座に忘れてしまえるのです。

それを端から見ている保護者の方々の気持ちたるやいかがなものであったか?  私も親の端くれとして心が痛みます。

そんな具体的な話をしないとピンとくるメンバーもおりません。 リーダーと呼べる存在がいない。

包み隠さず、これが今のはーと・ねっと・くらぶの若者です。

 

親ではないからわからないのかも知れません、では済まないのですが、まずもってこういう失敗からきちんと振り返りながら確認していく以外に方法はないのかも知れないことも少しは承知しております。 何せ今の今までこんなことを考える機会など20年やそこらの人生経験ではないのが普通なのですから ・・

 

社会の中から 「体験」 というかけがえのない価値がどんどんなくなってきています。 それができる環境がどんどんなくなってきています。 ほとんどの若者が本当は何も知らずに、だけどわかった風に社会人となり、結婚し、親になり ・・・     いったい何ができるのでしょう? 何を子供に教えてあげるのでしょう?  

 

しかし、人は気づくことができます。 気づくことができれば改善することもできます。 そしてまた行動で示すことで信用回復することもできます。 

そんなことを彼らと話しながらこの日の振り返りは幕を閉じていくのでありました。

 

  ・・ いかがでしょう、  私、 まあまあ大変でしょっ!   いっときますけど、そーとー疲れますからっ!    これをあと十数時間やるんですよっ!   止めたい気持ちも少しはわかってねっ!

 

     って、  誰に言ってるんでしょう??   

 

 

  

今回より本キャンプの様子などをいろんな視点から集めた情報として少しずつ残していこうと思っている。

その小さな出来事の数々から見え隠れする様々な心象世界はきっと日常の中にも役立つことがあるはずだとも思っている。

様々なキャンパーと若者たちが織り成す、厳しくもやさしい、過酷だけど甘酸っぱい世界がほんのりと見え隠れしてくればいいのだが・・

 

今回のエピソードのひとつは、あいあいキャンプにもう何年も来てくれている肢体不自由のキャンパーとグループスタッフとの会話。

 

このキャンパーは筋肉が発達せず、骨と皮が目立つような体であり、関節もスムーズに動かずびっこを引いてやっとこさ歩くのだが、上体はそのたびに大きく揺れていつ倒れてしまうのかと心配で仕方ないといった状態である。

そのキャンパーにグループスタッフが話しかける。

「暑い日向でかまどの火付けや管理を担当してくれているキャンパーにコップのお茶を持って行ってくれないかなあ?」

するとそのキャンパーは「自分が持っていくとこぼれちゃうよ」 と答えたという。

そしてスタッフはその子の体が揺れるからしょうがないよねと思い、 「そうかあ」 と答えたという。

その後そのスタッフはこの自分の答えに疑問を感じ始める。

後日私にこの対応はどうだったのでしょう?  と聞いてきた。

私は今だったらどう答える? と聞き返した。

そのスタッフは考えて「何かに載せて持って行かせる??」  「・・・」 といくつかの方法を答えた。

だがどうすればこぼれないようにするかという領域を出ようとはしない。

そこで私はゆっくり時間をかけてから最後に、私なら 「こぼれてもいいじゃない、そのお茶が半分になったとしても、ほとんどなくなっていたとしても、君が一生懸命誰かのために運んで来たという気持ちは伝わるんじゃない?」 と答えるかなぁ、  と言った。

お茶を届けることが目的ではあるのだが、みんなそのキャンパーがそういう状態であることは知っている。 だからこそその状態のままで頑張ってみることでどんなことが起きるのか、どんな反応が返ってくるのかを体験できるチャンスと捕らえるのである。

お茶がなみなみと運ばれてくるうれしさと、お茶は少ないけどやさしい気持ちがなみなみと運ばれてくるうれしさと、それをいただく側としては、 その光景を目にする者としては、 それを運んで渡し終えた本人としては、 どちらが喜びに溢れているんだろう? 

あくまでも私の仮説である。  日常の世界であれば「アホか」 で済まされても当然でしょうと思うかも知れません。  でもここあいあいキャンプの中では、みんなで助け合うしかない世界で「生活」をしているとそうではなくなるのです。  本当です。  びっくりするくらいどんどん心が素直になっていくのです。  だからこんなことを平気で書けるのです。  まあ私が変人であることは否定しませんが・・ (苦笑)

そんな普段の状態のままそのキャンパーが行動したことで、自分やみんなが喜びに溢れる体験をしたとしたら ・・     キャンプから帰ってからも、 日常の中でも、 ひょっとしたら同じようにありのままの姿でチャレンジできる人になっていくかもしれませんもんねぇ。 

 

こんな風にこれから様々なエピソードが白日のもとにさらされてくると思います。         ・・ たぶん

みんな覚えてるかーー 。

 

 

 

見えない成果

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本日夕刻過ぎに、はーと・ねっと・くらぶのスタッフで今回のあいあいキャンプではグループスタッフ(キャンパーと共に寝食を共にする父母のような役割)を務めたあるスタッフが飛び込みでやってきた。

私は一仕事終えて隣のブルーマーブルさんで久しぶりのうまいコーヒーを飲んでいたのだが、そこまでいきなりやってきた。

まあかなり真剣な面持ちであるのでここは聞かねばなるまいなと思い、帰る予定を返上しお聞きすることと相成った。

内容は「自分と自分のグループについての代表の感想や気づきが聞きたい」と言うものであった。

わたしは何が欲しいの?   と聞き返した。 

わざわざここまで来ているのである。 キャンプが終わって昨日今日と本人は考え通して、悩み通して来たのだろうと推察する。  だからこそ何かを求めてここに来ているはずである。

中々答えられない。

いくつかの質問や答えのやり取りをしながらたどり着いたのは、同じグループのスタッフに関してこの人選をした理由や意図が知りたいということが見え隠れしてきた。

一つのグループにグループスタッフは2-3人、それにキャンパーが7人という構成である。 したがってこのスタッフ同士のコミュニケーション如何によってグループの雰囲気や、仕事の進め方は大きく左右されることになる。 したがってうまくいけば最高の同僚にもなるし、馬が合わないと険悪にもなりかねない。 コミュニケーションをキャンプ中に取れない場合は、ずっと我慢しながらのキャンプ活動となるのでこれほどつらく厳しく感じることはないであろう。 もっとも回りのキャンパーの方がつらいことになるのではあるのだが・・

さて、このスタッフはこのうまくいかないスタッフの人選の理由なり意図なりを私から聞き出し、何とか自分なりにこの問題にけりをつけたいというのが本音であったかと思う。 

ゆっくりとたとえ話をしながら行き着いたのは、 「ではあなたはそのスタッフに対して先輩として自らの気づきを表現したのだろうか?  きちんと伝える努力を惜しまずやり続けたのだろうか?  指示も的確に出せたのだろうか?  という質問から導かれた気づきであった。

何も大した努力もせず、チャレンジもせずただ相手に対して不満を募らせたところで到達するのは余りに無知でわがままな自分の存在に出会うだけだ。 ということである。

私がこのスタッフ人選をした意図は、このスタッフにはこの人材を当てることでおそらく苦労するだろうということを考えてのことであった。

なぜそのようなことをするのかと言えば、そのうまくいかないということをまず体験してもらう。 そしてなぜそうなったのかを改めてきちんと振り返る。 その中からまた思い、考え、言葉にして、改善したことを行動する。 それを一循環で完結というのではなく、螺旋階段のようにグルグルと回りながら上っていくようなイメージで成長し続けるという信念が在るからである。

うまくいかないということはそこには紛れもなく成長の種がわんさか溢れ返っているのである。

これがたとえば相性のよすぎるメンバーと組むと、単なる気持ちのいい盛り上がりに支配されたいい思い出くらいにしかならないのである。 もちろんそういう場面は必要なことなのでそういう時も他のスタッフの力を借りて行う機会も往々にしてある。 しかし、原石としてまだまだ光る可能性のあるメンバーにはこの試練こそが研磨剤として有効なのである。

そのような話を小一時間ほど話しながらそのスタッフは理解を深めていったようであった。

今週末から数回に分けて、数十時間に渡る振り返りミーティングにおいて全員の前で自分自身を受け入れ、認めていく行為に挑戦する。 

こういうことも含めての色濃い振り返りが、次年度の人材育成と、キャンプの質作りへとつながるのでもある。  

これも常々スタッフに言うことである。 「キャンプが終わってからが実は本番、せっかくキャンプで体験したのだからそこから初めて机上では見えなかったことが見えてきた訳である。 そこで振り返らずして一体ここに何をしに来たのだろう?」  

こうやって考え、表現し、行動し、振り返り、考え、改善し、表現し、行動しながら螺旋階段の10年間を歩んできた訳です。  だからこそ、今があるのです。 この今は、10年前のあの行動と振り返りがあるからこそあるのです。  一足飛びで成果は絶対に手に入らないのです。

今年のスタッフがそれぞれ何を気づき、表現し、行動に変えていくのか、楽しみに見ていこうと思います。

 

今日のスタッフと別れ際に、そのグループのチャレンジドの保護者さんから本日頂いたメールを紹介させていただいた。

「子供がとても喜んでキャンプの話を家でずっとしていること、 また来年も参加するんだと意志表明していること・・」    

これがその悩みながらでも、迷いながらでも、逃げずに最後までやり切ったそのグループスタッフが生み出したお世辞抜きの価値と成果ではあるまいか ・・・

 

 

 

残酷なまでに感じる日差しの中、とうとう10年目のあいあい本キャンプが終了しました。

軽い熱中症にスタッフの数名は倒れ、仲間に肩を抱きかかえられながら校舎に避難するという光景を何度も見ることになるほど過酷なキャンプになろうとは・・・

地元の人でさえこんな夏は初めてだと話してくれた。

あらかじめ厳しいことは予想してスタッフにその対策と準備はしつこいくらい言っていたのだが、ここまですごいとは・・・

今も頭の中に熱の芯が残っている感覚であります。 

わたしも中年というお年頃、  来年は無理かも・・     とやっぱり思ってしまうくらいの厳しさでした。

しかし、そんな一生懸命のスタッフと、そんな中でも気丈に振舞ったキャンパーの心意気のおかげで全員無事に帰って参りました。

まずはそのことのご報告。  これが一番大事なことですので。

 

後のご報告は、   またこれからぼちぼちと・・

何せ今は、   体力と気力が回復できてないのデース。

 

ではおやすみなさいませ ・・    

 

 

 

さあて、 いよいよ明日から2010年 あいあい本キャンプが始まる。

メンバーもキャンパーもそれぞれが、それなりの準備をしてきただろうなあ。

キャンパーなんて事前に送っている「しおり」を見ながら心は既にキャンプ場に行ってるんだろうなあ。

みんなに会えることを今か今かと待ちながら、どんな毎日が生まれるんだろうとか、何が起こるんだろうとか、お友達ができるんだろうかとか、おにいちゃんやおねえちゃんと仲良しになれるんだろうかとか、ご飯は作れるのだろうかとか、キャンプファイヤーはどんなになるんだろうとか、スタンツは恥ずかしがらずにできるのだろうかとか、それはそれはたくさんの期待に胸ときめかせながら、約30名のキャンパーが今日という時を過ごしているんだろうなあ・・

 

彼らにとっての、そのとても大きな大きな期待と喜びに対する私の準備は万全か?

私の役割はスタッフとは違う。 

何が起こっても、どんなことが起こっても、一人でその責めを負わねばならぬ。

いいことも、悪いことも何でも受け止めねばならぬ。

告訴だってされるやも知れぬ。

子供たちに、薪割りを含めた様々なチャレンジを許容するキャンプ。

なたも使い、包丁も使い、火も扱い、いろんなことにチャレンジできる。

その反面危険とは隣り合わせ。

そしてその管理はまだまだ未熟な若者が担う。

私は彼らを信じながらひたすら見守るしかない。

信じられるだけの準備はしたか?

毎年の私の葛藤。

だがこの環境から生まれてくるものは本当に何ものにも代えがたき世界がある。

しかし、その影には常にリスクが伴う。

楽しさだけを追いかけていたのではこの影は見えない。

いつも半々の気持ち。

私の在り方。

今も生きているか?

私の在り方。

そう自身に問いかけながら、 キャンパーともスタッフとも違う私一人の今日という時を過ごしながら、      明日という日を迎えるのである。

 

 

 

傍らの言霊

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1977年、花神社より発刊された詩集 『自分の感受性くらい』 がある。

作者は日本を代表する詩人のひとり、茨城のり子である。

 

  自分の感受性くらい

 

ばさばさに乾いていく心を

ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて

 

気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

 

苛立つのを

近親のせいにはするな

なにもかも下手だったのはわたくし

 

初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもが ひよわな志にすぎなかった

 

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

 

自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ

 

 

  わたしの陳腐な解説など言うつもりはないけれど、時々において読み返すべく傍らにおいて置きたい言霊です。

 

 

 

豊かな大人とは

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おなじみ?の剣道形の加茂先生から聞かせていただいたお話はどれも貴重なものが多く、普段の私の生活の中では中々出会えない文献や、実際に剣の世界に係わり続けて一生を過ごされた剣聖と呼ばれた方々のお話などもご紹介してくれるので、本当に別の価値観の世界を身近に感じさせていただける大切な時間であります。 

今回ご紹介させていただくのはこんなお話。

加茂先生の持つ、剣道教士八段という「位」は前にも少し触れさせていただきましたが、最高段位でありますので、わかりやすく言いますと私などから見ますとまさに雲の上のお人、ということになります。

昔からこういう世界ではこの「位」というものをとても大切に扱ってきた伝統がございます。

これもわかりやすく説明するなら、初段や二段くらいのぺーぺーが八段の人に稽古をつけてもらうことなどありえない話だということです。  せいぜいその前後の段位者同士での稽古を積み重ね、少しずつ精進していく。 そこに至るまで数十年という年月が当たり前のように流れていく。 それでもあきらめず、毎日の鍛錬、練習、生き方を磨き続けた挙句の挙句に八段という「位」を授かれる。

すなわち、試合をしてたまたま勝ったから段位がもらえるのではなく、たとえ勝ったとしてもそんな小手先で勝ったことなどはじめから意味がないことを承知の上、用意されているシステムと言っていいのではないでしょうか。

それどころか、この「位」という概念は、自らの意思で辛いことや、苦しいことや、しんどいこと等々をきちんと体験、経験できたという、そしてそのことをどれだけ長く続けてこられたかを表してくれるバロメーターのようなものではないでしょうか?  従ってその「位」が高い人ほど多くの困難に立会い、多くの悩みや葛藤を潜り抜けてきたのではないかと思えるのです。  単に強い、弱いの概念でははかり知ることができない豊かさを持っていると思えるのです。

 

では、それはどのようなものなのでしょう?

加茂先生が先日お話くださった中に・・・  中央の剣に係わる大会などに行ったり呼ばれたりした時によく聞かれることがあるそうです。

「先生は70歳まで続けてこられて今まで苦しくなかったですか? 辛くなかったですか?」

先生は答えたそうです。

「楽しいですよー。」  「わたしは段位に係わらずどなたでもお相手いたしますが、その時にひとつだけ注意することがあります。 それはその人より少しだけ上の剣道をするのです。 二段相手なら三段くらい、五段相手なら六段くらい、初心者なら一級くらいという風にです。  昔のやり方は全力で相手を叩き潰しにかかりましたけど、それを続けても楽しくないのです。  そして相手も恐ろしくありこそすれ決して楽しくはないでしょう。  しかし、相手より少しだけ上の剣道をすれば相手はもう少し頑張れば勝てるかもしれないと思うのです。 自分の今の力と近い相手だと恐れる気持ちがなくなるのです。 やってみよう、やれるかもしれないと思うようになるのです。  そうなると少し楽しくなり一生懸命練習します。 その打ち込む姿を見て私も楽しくなる。 だからわたしはもうずっと楽しいですよ。」

 

どうでしょう?  自分を高めるために人よりもはるかに多くの苦労なり、体験なりを積み重ねたあげくに授かった「位」を、あらゆる人の楽しみのために、自由自在に自分の「位」を操りながら自分も楽しむ人。   高みから見下ろすための「位」ではなく、どんなポジションの人にも寄り添うがために「位」を使う人。

どうです、素晴らしい大人がいるでしょう?  誇りに思います。  稽古は厳しいので今も時々ビビリますけど、でも本当に素晴らしい人なのです。 生き方も、考え方も、その立ち姿でさえも惚れ惚れするほど素晴らしいのです。 

こんな大人と一緒にいられる幸せ、  大事にしたいと思います。

 

 (注・先生のお話は実際はかなりの想像力と集中力、ある程度の知識がなければこうは聞こえてきません。 ほんとはソートー簡略にしゃべりますので注意が必要です。 ここは私なりの翻訳をご紹介させていただいております。  違ってないと思うんだけどなー、まあ先生ブログなんて見ないからまあいいっか。。)

 

 

 

昨日本キャン前の最後のミーティングを行った。 泣いても笑っても最後のミーティング。

様々な確認事項のチェックに始まり、マスプログラムのリハーサルチェックまで5時間と少々。その後作業もありという、まあいつものパターン。

キャンパーにとってとても非日常に感じられるものがキャンプファイヤーとスタンツ大会であろう。

キャンプファイヤーのリハーサルはトレキャン③で行い、振り返りも行っているので後はその反省に基づくニュープログラムの決定と内容の披露が見られるのかと少し思っていたのだが、まったくなかった。

スタンツ大会はその素案がこの日初めて具体的に出てきたのだが、あまり使い物にならないレベル。

その後全員で筋道やら内容やらを話し合い、とりあえず原案の一部を生かしながらの最終案が出来上がった。  ただし、練習はこれから。

全員で盛り上げるために歌う、自分たちで選んだ歌のいくつかもほとんど歌えない状況。

これが今現在のはーと・ねっと・くらぶメンバーの姿である。

 

さあ、これからあと10日間で彼らはどんな成果を作り出すのだろう。 

毎年ここからのかかわり方しだいで天国にも地獄にも行けるのでありますが・・

今年のメンバーの真意と人間性がまざまざとうかがい知れるとても楽しみなお時間なのですねえ、私にとっては・・

いや、別にだからといって何が起こるわけではありませんよ。 淡々と見させていただくだけなのですから。

この環境を用意はさせていただいておりますが、最後はどうやったって彼らスタッフ一人ひとりのものなのですから。

満足する人も後悔する人も、感動する人も落ち込む人も、助ける人も助けられる人も、喜ぶ人も喜べない人も、悲しくなる人も慰める人も、いろんな人が生まれてくることでしょう。

年に一度のこの機会、ここまで来て最後の頑張りどころで手を抜くか、本気でやるか、自分自身に対する問いかけとチャレンジがものすごい圧力で圧縮されているこの数日間。

 

言えることはただひとつ、 自分の魂だけは、 黙ってあなた自身を見ているということ。

あなたの魂は、 あなたに何を体験させるためにわざわざあなたをここまで導いてきてくれたんでしょう。 

また過去のどこかで言ったことのあるような、同じ反省をその口から言いますか?

それとも、 今までの自分からほんの少し成長したかもしれないあなたと出会いますか?

 

 

 

長いつぶやき

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実は一つだけ気になっていることがある。

毎年あいあいキャンプのビデオ撮影とその編集作業を行っているのだが、すでにプレキャンプが一ヶ月前に終わっているのにもかかわらず、あと二週間後には本キャンプが始まるのに、プレキャンプの編集が出来ていない。

毎年オオゴトになることは分かっているのでこの時期にはプレキャン編集は終わっているのだが・・

何やかやでまとまった時間が作れずにここまできてしまった。   あぁ、 やばいかも・・

これもやったことのある人でないと分からない世界なのでぼやいても仕方がないのだが、せめてつぶやいておこう。  

プレキャンで撮影した1時間半のビデオをワンカットずつ見直しながら、どのカットを使うのかを決めていく。 決めながらそのカットのどの部分を使うのかを微調整していく。 そして全体としてそのカットのつながりが必要最小限に伝えたいことを表現できているかを確認する。 だめならやり直す。 それを最終的に10分くらいにまとまるようにまた調整していく。 そしてツナギの部分の処理を選びながら、そしてタイトルをいれる場所を考え、内容を考える。 そして書き込む。 そんな辛気臭い作業を専門機材でなく、パソコンで黙々とこなすのである。 

初期の頃は編集ソフトもパソコンも原始的なもので、ちょっとした事ですぐにフリーズして、数十時間かかった作業も一瞬でパーにしたことも何回もある。  これはかなりショックをうける。 本気で死にたくなるような気持ちにもなった。 でも、子供たちや保護者さんの少しでも喜ぶ顔が生まれるかもしれないと思えばこそ乗り越えてここまでやってきた。 実際は直接的に感謝されたことは余りないのだが、一人の自閉症の男子はこのビデオが宝物になったようで、毎日何回も家でこのビデオを見るのだという。 それだけではなく、学校に行く時も、家族で外出する時もこのビデオをカバンに入れていくのだという。 もうボロボロになっているのでそのうち写らなくなるかも知れないと心配していた。 お母さんは困ったような顔をしながらも、とても嬉しそうにそのことを私に話してくれた。 私はとても嬉しくなり今までの苦労が瞬間で喜びに変わる体験をした。 

"過去の想いは変わらないものであるのではなく、今のあり方次第で大いに変えれるものである"  と気づかされた瞬間でもあった。

そうやって小さくて、そしてとても大きな支えに助けられながらこの10年、延べ千数百時間、私は一人でこの作業を繰り返してきたのでした。 正確には97年のビデオ編集は私が倒れる状態だったので勇士パックンがやってくれたけどね。 ありがとうパックン。 でもその後は引き受けてくれないねぇ。。

もういやよねえ ・・   分かるわ、その気持ち・・         ?

まあこんな風に作られているのでした。

 

この後ある本キャンのビデオは8時間くらいの素材を撮り、アフターキャンプの素材とあわせて全体で2時間弱くらいにまとめるのでまた百数十時間のご奉仕です。 

でもこれってご奉仕だから出来るけど、バイトでは絶対やらないと断言できるんだなあ、これが。

だから、ご奉仕は見返りのない愛に近いものだと本気で思えるのです。

換金する、すなわちお金の価値に置き換えた瞬間に、誰のために何のためにするのかという原点から少し離れてしまうのです。 これだけやったからこれだけの見返りがほしい。 この労力の対価としてお金をください。 もちろん当たり前に必要なシステムですよ。 勘違いしないでくださいね。

ただただ私が思うことはこの置き換えるというシステムが今、いろんな勘違いや誤解や各種問題を引き起こす原因にもなっているのではないか? と言うことなのです。

この当たり前のシステムになる前は、実は助け合って、できる人が出来ない人のために、持てる人がもてない人のために与え合って生きていた時代もあったという事実から、何か改めて学びなおすこともあるんじゃないかなあと思うのです。

ただ与えるという行為、何の見返りも期待しない、このまさしく純粋な心から生まれる行為だからこそあの考えられない作業も苦痛ではなく、喜びの作業としてさせていただけたのかなあと思えるのです。  そして、あの純真な男子の心へ届いたのかなあと思えるのです。

時々はーと・ねっと・くらぶのメンバーに話すことがあります。

"会社の仕事も学校の勉強もとても大事だけど、 無心でご奉仕(ボランティア)ができるということは、何物にも価値を置き換えないもっとも純粋で尊いものである。 あなたはそれだけで自分はそういう存在であることを証明している。 誰から何の評価が返ってこなくても、あなたは自分自身であなたのことを評価たらしめている"

真のボランティアを通して自分で自分を認めてあげられるようになれば、 隣の人も認めてあげられるようになるか・も・・

 

あっ!       こんな話じゃなくて、    大変なんだった ・・・        ぁぁ~

 

 

 

顛末の続き

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三日酔いのあいあいミーティングも各プログラム担当者からの素案発表から始まり、それに対する質問や意見等を集約して次回の最終ミーティングとリハーサルへと進んでいくのであるが、ここまでくるのにリーダーはそら恐ろしいほどの準備をしてきているのである。

たまにしかミーティングに来れないメンバーには想像すらできないであろうことを長年に渡り、事務局のまりんや今年のPDパックンをはじめ歴代のリーダーさんたちは私と共にこのシステムを構築してきたわけである。

10年間の重みのある準備であるのだが、もはや一つ一つを説明する気力もないほど多岐に渡る。

そのことを愚直に準備しているからこそあれだけのイベントをほとんどのメンバーの負担を軽減しながら短期間で作り上げることができるわけなのである。 新メンバーからすればものすごい負担じゃないか! と思っているかも知れないが、一度でもリーダーを経験すれば自分たちがいかに恵まれた環境にいるかが死ぬほどよくわかるであろう。

新人さんが少しずつ学んでいけるように、先輩たちはその見えない苦労を背負って立ってくれているのである。 しかし、その強烈ともいえる体験と経験を通してこそ、リーダーはリーダーになれるのであり、リーダーという肩書きがあるだけでは何の意味もないに等しいし、むしろそこで責任を果たせなければ逆に信用を失うことになるのである。

リーダーは、その役割を通して真のリーダーに成長する機会を選択できる人でもある。 しんどいことから逃げ出したい人はまずもって立候補はしないから何の問題もないのだが、 あまりにも簡単にリーダーになれると考えて立候補する人が時々いる。 これはなかなか後から大変なことになるので私としても避けたいところなのであるが、今までは「自主性」の名の元に許容しすぎて来た帰来がある。そのために全体がえらいことになったこともあるので今後はもっとリーダーの仕事が普段から見えるようにしていこうと今年から改善を始めた。 リーダーの下の小さなリーダーから初めてもらうのである。

鬼のお局? 事務局まりんのお仕事を分割してその責任者に立候補してもらう。 そのひとつの仕事を通して実務を知り、体験をし、全体の中に果たしている役割を認識していく。 それらがつながって全体像が現れてくる。 そのひとつの体験がある人にとってはすさまじいほど魅力的に映るはずである。  苦労を知って、しんどさを知って、大変さを知って、なおかつ魅力に映る人、 それが未来のリーダー候補者だろう。

 

これから始まる本キャンに向けての最高の準備期間だからこそ、このお話を書いておこう。

素晴らしい意識体が、ひっとすると反応を始めるかもしれないから・・

 

 

 

 

週末の顛末記

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またしてもの週末でありました。

反省しきりは金曜日の夜。 石手寺住職を始めとするお坊さん軍団と元道後PTA役員軍団による恒例の飲み集会で、一次会で素直に帰ってればいいものを、いらん事言ってメンバーのミキちゃんの高級住宅で二次会やろうと言い出したのが運のつき、またしても撃沈でした。 翌日目覚めたところで記憶は無し。  「あ~ あ~」 の世界です。  恐る恐るずっと同席してたはずのかみさんに尋ねても悟りを開いた御坊のごとく多くを語らず、静かに微笑む姿がなおさら私の不安と恐れを増幅させるのでありました ・・・

 

いや、 すみませんでした。 すべて私が悪うございます。 皆様すみません。 悪の権化の田中でございます。   と言っても、内容は分からないのですが、たぶん、おそらく多大なご迷惑をおかけしたことであろう事は間違いないと思います。  いつでもどこでもこうなるわけではないのですが、このメンバーはどうもこうなる確立が高いのです。 たぶんの予想ですが、居心地がいいのだと思います。

とかいっても何のフォローにもなりません。 そろそろ私はきちんと決める時がきたようです。

お酒の量です。 

あるお店のデータによりますと今年に入っての私の変化と酒量の関係は、3-4杯くらいだとまあ普通というか、どちらかと言うと面白くない人だそうです。

それが7-8杯になりますと、絶好調に面白くなるそうです。 回りも巻き込んで実に楽しい場が作られているそうです。 私の旬はこの間の約20-30分間。  なんと短い春でしょう・・

それから進んで10杯も越えますと、限度を超えた大声でしかも同じような話をくどくどするようになるそうです。 まあそれでも最後まで暴れるようなことないようで、まあ周りの方がだいたい大人なので聞いた振りしながら適当に私の面倒を見ているようです。(なんとおやさしい・・ この影のメインに我がかみさんの献身があることは言うまでもありません ・ 感謝と懺悔)

ここまででお気づきのように、すべて ~そうです、~ようですと記載しておりますのは大体において最終パターンまで行き着いておりますので、本人の記憶がないのであります。

従いまして、このお店のデータは非常に貴重なものでありまして、私自身の生態を客観的に把握する世界に唯一の代物と言うわけなのです。 (オー、拍手)

・・ などと馬鹿なことを言っている場合ではもうありません。 決めます。

お酒と名の付くものは3杯までとします。 これを徹底すれば私は最後まであまり面白くない人のまま、しかし、意識を持ったままお家に帰れます。 もう人に迷惑なことはやめないといけません。

どなたか、これを見ていて4杯目の酒に手をつけようとしている私を見かけたら、どうぞ 『うそつき』 と罵ってくださいませ。 さすがにそこまで言われて飲もうとは思わないと思うのですが ・・ (甘い?)

いい案があったら教えてください。  何とかせねば・・ 

 

翌土曜日は、予定の仕事も出来ずに撃沈。

翌日曜日は午前に作業を済ませて13時からあいあいキャンプミーティングを20時30分まで。

三日酔いのまま長い日曜日は続くのでした・・・