2010年6月アーカイブ

ソラニン

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あぁー  、今日は蒸し暑かったねぇ。  でも久しぶりにゆっくりできた。

例のごとく、いつものかみさんと(?) 映画に行って来た。  直感上、前からなんとなく見たいような気持ちになっていた「ソラニン」という映画。  まあだいたいいつも直感で見るものを決めるので前知識等はまったくなし。  今回もよかったです。  

2005年にヒットした浅野いにお原作のコミックを映画化したものであったのだが、筋書きもさることながら映像もすばらしかった。  ストーリーと一体化したように感じさせるさりげなく見せるカメラワークは奇をてらわず素直な気持ちのまま最後まで観客をいざなってくれる。

 

一言で言うと青春映画ということになるんだろうけど、もちろんその青春というやつが一言二言で語りつくせないことは百も承知。  しかし25-30年くらい前にその期間にいた訳だけど、その色やにおい、生活の具体化による止めようのない心の変遷等がまざまざと、そしてふつふつと身の内側から湧き上がってくるのには少々驚いた。

そして何より初めての感覚だったことは、 当時は自分なりに本当につらいと思っていた。 悲しいと思っていた。 苦しいと思っていた。 嬉しいと思ってた。 楽しいと思っていた。  それをいつの間にか自分で何かに置き換えながら今日まで生きてきた。  あの時何も見えず、何も分からず、なんともいえない不安に覆いつくされてしまったかのように感じていた時の自分と、 少しずついろんなことに感謝できるようになったおかげで、同じようにしんどいけどあまり不安でない今の自分が一つの体の中で同居したような、 そんな感覚。

なんとも不思議な、 時間という空間が無くなってしまったかのような、 それでいて二つの意識が葛藤も無く共存しているような ・・

 

家に帰りしばらく考えてみた。 

あぁ、 何一つ失われたものはなかったなあ。 私はいろんな意味で変化してきたし、成長してきたし、失敗してきたし、捨ててきたし、学んできた。 でも私の中には生きてきたことそのままのことが、色あせず、変わらず、その時の真実のままに残っていたんだなぁ。  人はとかく変わらなければならないと思い込み、過去を捨て去ることでしか前には進めないと思い込んでいるのかもしれない。 私も長い間そんな感覚でいたのかもしれない。 

でもそうではないのかもしれない。 

忘れていたとしても、失われたものは一切無く、膨大で莫大な経験と体験に基づく知識や、意識や、気づきをその体の中に蓄積し続けているのかもしれない。

この映画の持つ感性に私の感性が同調することで、隠れていた私のその時代の意識が見事に姿を現した。 ってところか?    

 

何一つ失われるものがないのであればこそ、 安定するより、 チャレンジしたい。

青春映画を見て、少し元気になったおいちゃんであった。

 

 

  (注・お古い方へ) 昔の青春映画とはまったく趣が異なります。 とても日常的で身近なテーマと登場人物ですが、とても深いメッセージを表現してくれています。 ある程度年をとったからこそ、見る映画かもしれませんよ。

 

 

 

笑顔の重み

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10年目のあいあいキャンプのキャンパー申込書がそろいました。

今年も色とりどりな仲間が集まってきたようです。

その中のお一人、初参加で、現在普通高校に通っておられる発達障害の生徒さんのお母様より、申込書と共にお手紙を頂戴しました。 そこにはこんなことが綴られておりました。

 

『・・・   子供ですが・・・

毎日の学校生活が辛く、たくさんのストレスの中で過ごしていたので、とても不安定になってしまいました。  (周りの友達から無視され、誰とも一言もしゃべらない毎日、教室でたった一人で弁当を食べるなど、孤独でとてもさみしかったようです。 緊張し続け、失敗の連続、心が悲鳴をあげていたようです)

このキャンプに参加して、この子の笑顔が見れたらどんなにうれしいだろうと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。』

 

 

 この子の笑顔が見れたら・・     そう書き記す母親の姿を想っただけで胸が苦しくなる。

ほんの少しでいい、笑顔が見たい。 そんなささやかな願いを持つその他の保護者様も含めて、私たちのチャレンジは今年もいよいよ本番を迎える。

 

私たちがしてきたこと、 それは特別なことではなく、 みんなそのままでいいよということ、 知っていくこと、 身につけていくことはあるけれど、 存在価値は何も変わらないということ、 年齢も、 性別も、 障害の有無も、 性格も、 違って当たり前だけど、 変わらないものもあるよということ、 それだけを伝えたくて10年目もここにいます。

 

もう少し、 待っててね。     必ず出会えるから ・・・

 

 

 

ある国では毎日の食べ物もままならず、水を汲みに行くのも片道数時間をかけ、家とはいえないような家で濡れないように家族で片寄せあいスコールをやり過ごし、過去の虐殺や戦争の想いに時にさいなまれ、未来を想像すらできない環境で、日々淡々と小さな感謝を持ちながら生きている人々が居る。

そんな中でも少しの笑顔を見せながら・・

 

かたや三食の食事に恵まれ、いつでも好きなときに水を飲め、冷暖房のある雨露を完璧にしのげる家に住み、それでも面白くないといった面持ちでもちろん感謝もなく生きている人々も居る。

まあまあ不幸かも知れないと思いつつ・・

 

はーと・ねっと・くらぶのメンバーに時折お話させていただくことがある。

「不幸は主に条件の中にある。 幸せは状態の中にある。」

 

お金がほしい、 家も建てたい、 車もほしい、 ベッピンの彼女がほしい、 携帯もほしい、 ゲームもほしい ・・・     もっとお金がほしい、 もっと大きな家に住みたい、 もっと大きな車にしたい、 もっといい携帯、ゲームがほしい ・・

条件に心を同調させるとどんどんその欲求は拡大する。 とどまることを知らない怪物と化す。

そしてその心は手に入れた一瞬の満足の後、 すぐにもっと・・ という不満足に変わる。 すなわち、不幸である。

 

何はなくとも、 何にもなくとも、 たとえ病気であっても、 たとえ障害があっても、 それでも生きていることに感謝できる人は、実はその心はその時平穏であり、満たされている場合が多い。 すなわち、幸せである。

 

条件を求めても条件は無限大にあるゆえ、決して満たされることはない。

かたや状態は心のあり方ゆえ、条件に左右されず、いつでもどこでも、誰でもその状態になろうと思えばなれる。

そう、 そして幸せの状態に少しでもなれるために必要なことは ・・・

どんなことにでも 「感謝」 できること。

たとえどんなに不幸だと思っていても、 たとえどんなに悲しく思っていても、 たとえ何もなくても、 たとえ一人ぼっちだと思っていても、 たとえどんなに自分が嫌いでも、 たとえどんなに相手を憎んでいても ・・・

 

それができれば苦労はないわい、 と思うでしょ。 でもそれが当たり前に出来ている人々はかなりいらっしゃるのです。 

山村の限界集落付近に暮らすお年寄りの中にも、 恐ろしい病と長い間お付き合いしている方の中にも、 思わぬ障害を負ってしまった方の中にも、 これでもかと言わんばかりの不幸に見舞われながら生きている方の中にも ・・・

私は知っています。 そういう方々がいらっしゃることを。 とてもステキな笑顔(幸せ) を周りに与えながら生きていることを。

だからこそ、人間の可能性が信じられるのです。 誰の中にもあるはずの「感謝」の可能性を。 ありがとうが創り出す幸せの可能性を ・・・

 

 

 

                 (注) 残念ながら私はまだまだですので、念のため・・ 

 

毎日のように、まあまあすさまじいお話が舞い込んでくる。

本日も長年会社経営をされてきた社長さんから、生活保護の申請のために所有する不動産を売却してくれというお話をいただいた。

かれこれ長年に渡りご活躍されてきた方だけにびっくりした。

とかく不動産の開発というものは土地の買収だけでも何年もかかり、そしてそのつど費用はかかり、金利はかかり、そこからまた開発申請なるものの手続きに何年もかかる場合もある。

もちろんその間は商品化されないわけで、ただの一円も入ってこないことになる。

その間に時代が変化すれば、今までかかった資金は借金のままどんどん膨らんでいくことにもなる。

どんなに努力しても状況がすぐには変わらないこともある。

毎日毎日どんな思いで過ごしてきたのだろう。

眠れぬ夜もあっただろう。

家族を想い、やるせない気持ちをどこに捨ててきたのだろう。

そうやって多くの中小企業経営者が今という時を生きている。

生きているだけで幸せなことだとは知りつつも、いざそれなりの環境下に置かれると人は本当に無力さに慄き、不安に押しつぶされそうにもなる。

幾多の時代にも困難はある。

ある時代に生まれた歌が、今でも輝きながら人々を照らしている ・・・

 

 

心に太陽を持て

ツェーザル・フライシュレン  (ドイツ 1864-1920)     山本有三

 

心に太陽を持て。

あらしが ふこうと、

ふぶきが こようと、

天には黒くも、

地には争いが絶えなかろうと、

いつも、 心に太陽を持て。

 

くちびるに歌を持て、

軽く、 ほがらかに。

自分のつとめ、

自分のくらしに、

よしや苦労が絶えなかろうと、

いつも、 くちびるに歌を持て。

 

苦しんでいる人、

なやんでいる人には、

こう、 はげましてやろう。

 

「勇気を失うな。

くちびるに歌を持て。

心に太陽を持て。」

 

 

 

うたごえ 009.jpg うたごえ 024.jpg 13日の日曜日、sing out にて歌ってまいりました。 こんな感じで・・・

やはり平均年齢はまあまあ・・ でしたが、それなりに素敵な会でした。

本当に初めて出会った人たちと共に歌うのってソートー久しぶりで、どないなるかなーって感じでしたけど、司会の林ひろひこさんやギターの隅田店長、ボランティアの高岡氏の誘導も素晴らしく、1曲目からものすごいハーモニーでした。

ホント林さんも普段よそのうたごえ会を主催していますが、まあまあ本気で驚いていました。。

誰もが知っている歌が当時はたくさんありました。

歌詞も覚えやすく、しかも美しい。 言葉は少ないけれど、その分一人ひとりが想像できる範囲と時間は広い。 その分共感を共有できる。 そんな感じの時間が流れていました。

同じテーブルでご一緒させていただいたその日初めて出会った60歳のおじ様の重厚なバリトンにしびれながら、私もそれなりに・・ 歌わせていただきました。 

休憩時間にはあちらこちらでお話も盛り上がり、体はうっすらと汗をかいておりました。

なかなかいい出だしではないでしょうか。

この輪が広がればまたおもしろい関係が生まれるような ・・・

うたごえ 011.jpg うたごえ 044.jpg  

おかけくん

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おかけや 001.jpg12日の昼過ぎ、この「おかけや」と称する卵かけご飯専門店に出かけた。

このお店は友人でもある柴崎あい氏(通称あいしば) がお姉さんと共に、地域の方々と障害者の働く場所、居場所、近所の特別支援学校に送り迎えする保護者の方々の居場所、地域の方々の居場所、そしてそれら様々な方々とのコミュニティー空間としての意図を持ってしてオープンしたものである。

『東温市 みなら特別支援学校前の点滅信号を西へ(東温高校方面)50m』

以前より入念に構想や場所探し、食材の準備等々に尽力されていたが、主婦として、母としての役割もこなしながら見事に実現されたことは誠に頭の下がる思いです。

使われている食材もすばらしいものでしたが(おいしい・・)、その理念を見事に貫こうとされている姿勢がすばらしい。 

このチラシを持ってきてくれたチャレンジドの従業員の方も元気に働いていらっしゃいました。 笑顔のステキな若き女性で、とても華やぎます。

小さな子どもの遊ぶスペースも店内にあり、ボランティアさんによって遊んでいる姿を見ながらお母さんも食事ができるところなど、さすが母親としての発想が生かされているなあと感心いたしました。

いろんな方が出入りされておりましたが、近所の東温高校の生徒さんなども交流が始まり、地域との架け橋になる場所としても大いに使われていくような気がいたしました。

一生懸命、子どもたちや地域のことやを考え、つなげていこうとする大人がいることに本当に安心すると共に、心強く感じるひと時を過ごさせていただきました。

ぜひまた三越にしか置いてない田中屋のおいしいお醤油を、卵かけご飯にたらしながらほおばりたいものです。

おかけや 004.jpg     オリジナルキャラ 「おかけくん」

今度の日曜日、6月13日 14:00からフレッシュリーブスB-1 SING OUTにて、店のオリジナルうたごえチームの第一回うたごえ会が開催される。

いよいよある程度のメンバーが揃ったと言うことで、隅田店長より連絡を頂いている。

店長以外、どんな人が集まるのか誰も知らない。

この日、初めて出会うメンバーと共にお歌を歌うのである。

 

 ・・・ 素晴らしい ・・・ 感動的である。

 

たぶん、おばさん以上がほとんどで、ちょいとおいさんが混じるくらいかな? ひょっとして若いおねーチャンがいたりなんかして ・・・   等々 妄想は駆け巡る。 ちょいと頑張っていい声で歌っちゃおーかなー、 大きな声でめだっちゃおーかなー、 ひょっとしてもてちゃったりなんかして、 なんちゃって ・・

アホか俺は ・・

それ以前に歌詞カードの字は読めるのか?の心配したほうがよさそうである。

 

とにかく、 始まるのである。 このみんなで歌う輪がどこまで広がり、どんな気持ちが生まれ育つのか、 楽しみに見守っていきたい。

随時、うたごえ会員募集です。 大きくなれば何チームも作る予定だそうです。

他のお店の会員さんも自由に参加できますし、将来お店対抗歌合戦もあるかも ・・

 

老いも若きも、男も女も、障害の有無も超えて繋がりたい、歌いたい方はご自由にご参加くださいませ。。

店長が自慢のギター片手に、ダジャレ満載で? お出迎えしてくれるはずです。

ダジャレが嫌いな方は、入店時にお申し付けくださいませ。 しばらくの間はガマンすると思います。。

 

 

 

 

昨日のはーと・ねっと・くらぶミーティングで今年度のキャンパー申し込みの状況をお知らせさせていただいた。

締め切りがミーティングの前日であり、今年は参加者が20名を切る場合は不採算事業として中止することになっていた。 その時点で参加者は22名おり、予定通り今年のキャンプは行うことと相成った。

今までのキャンパー募集は、実のところスタッフはあまり真剣に考えておらず、たまたま毎年来てくれるくらいの感覚であった。 内情は不足分を私の方でつてを頼りに調整したりしながらのキャンプ運営であったわけである。 

しかし、10周年を前にそろそろこういった運営に関わることにも注意感心を持ってもらおうと、私はこのフォローを昨年のキャンプより控えていくことにした。 そして、その結果去年のキャンパー数は最低の13名という結果であり、もちろん大赤字キャンプと相成った。 もちろん「今年はフォローしないよ」と説明しているのであるが、ほとんど皆軽く聞き流しているレベルの結果だったと言っていいだろう。

その赤字は、私がこんなこともあろうかと以前より用立ててきた安全保安基金やサポーター会費、寄付金等により借用補填することで賄った。

そして、一度失敗体験を踏まえた上での今回の募集活動であったわけである。

この今年参加の22名という数字のみで「成功」「達成」などとはこれっぽっちも思っていない。

最大の賞賛点は、それこそかれこれのメンバーが自分のこととしてこの役割にコミットメントしたという事実であろう。 この事実に勝る成果と喜びは、他とは比べ物にならない。

実際に活動した彼らの中に眠っていた「可能性」がまた一つ花咲いた瞬間であろう。 

ここに立ち会えることを感謝する。

そうやって一つずつまた成長していく彼らの姿は本当に知らぬ間にたくましくなっている。

 

自分たちでいろんな場所に出向き、一生懸命伝え、説明し、集めたキャンパーと、これから一年間新たなお付き合いが始まる。 その彼らと、自分たちがこれまた一生懸命考えた企画を表現していく。 

そんな初めから終わりまで、自分たちのにおいのする一年間は今までとは格段の違いのある一年間になるだろうなあと、おいちゃんは少しほほ緩ませながら思うのであった ・・・

 

 ・・・ まあ、今のうちだけのささやかな喜びであることも知った上でのお・は・な・し 。

                    

 

 

苦しむ楽しみ

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先日かみさんと今春就職した息子が電話でやり取りしていた。  

やっと研修期間が終わり、勤務地も決まり、引越しも終わり、意気揚々と臨んだその場所で、早速の試練が牙を剥いたらしい。 その職場で覚えるべき知識、対応、毎日行うべき業務と記録、責任と義務等々がそら恐ろしいほどあったのだろう、 「死ぬかも・・」 ということであったらしい。 

 

大阪で服飾デザインの勉強をしている娘が、かみさんにメールしてきた。

毎日毎日この3年間課題に明け暮れ、睡眠も数時間しかとれず、休みもなく課題作成に翻弄され続けて、 だけどなんとかここまで乗り越えてきた。 その集大成の一つである花の舞台に立てるかどうかの制作に行き詰っているらしい。  「私はだめ人間・・」 ということであったらしい。

 

いいなあ、 と思う。  いや、失礼な話かも知れぬが本気でそう思う。

二人とも自らが選択したその道に悩みながらも努力の末に進み、そしてその中で数々の課題や試練、困難に出会わさせていただき、そのことにチャレンジし続けれたお陰で気がつけばそこに来る前とは別人の如く成長させていただいている。

そう、 本人はとかくその意識が無いようだが、少なくともチャレンジを続けていくと「同じ」ということはないのである。 どうやったって壁に立ち向かうこと、続けることはそら恐ろしいエネルギーを生み出しているのである。 その恐ろしいまでのエネルギーを持っているという証拠でもあるのである。

「死にたい」と思うことも、「だめ人間」と思うことも、実は逃げてないということである。 逃げてないから苦しいのである。 そして、その苦しいことがまた新たな自分を育ててくれるのである。

 

いいなあ。   親子みんなで苦しもうね。    もっとどんどんどんどん試練が表れてくれるからね。

なんて書いてるとまたかみさんから怒られそうです。

「出来難きことを憂いてでき易きことを努めず、 それ故、大なること為すこと能(あた)わず。   二宮尊徳翁の言葉」

 

別に大きな事をしなければならないことはありません。 でも試練が表れてくれているということは、少なからず自分の魂がそのことを求めているのかもしれませんよ ・・・