あぁー 、今日は蒸し暑かったねぇ。 でも久しぶりにゆっくりできた。
例のごとく、いつものかみさんと(?) 映画に行って来た。 直感上、前からなんとなく見たいような気持ちになっていた「ソラニン」という映画。 まあだいたいいつも直感で見るものを決めるので前知識等はまったくなし。 今回もよかったです。
2005年にヒットした浅野いにお原作のコミックを映画化したものであったのだが、筋書きもさることながら映像もすばらしかった。 ストーリーと一体化したように感じさせるさりげなく見せるカメラワークは奇をてらわず素直な気持ちのまま最後まで観客をいざなってくれる。
一言で言うと青春映画ということになるんだろうけど、もちろんその青春というやつが一言二言で語りつくせないことは百も承知。 しかし25-30年くらい前にその期間にいた訳だけど、その色やにおい、生活の具体化による止めようのない心の変遷等がまざまざと、そしてふつふつと身の内側から湧き上がってくるのには少々驚いた。
そして何より初めての感覚だったことは、 当時は自分なりに本当につらいと思っていた。 悲しいと思っていた。 苦しいと思っていた。 嬉しいと思ってた。 楽しいと思っていた。 それをいつの間にか自分で何かに置き換えながら今日まで生きてきた。 あの時何も見えず、何も分からず、なんともいえない不安に覆いつくされてしまったかのように感じていた時の自分と、 少しずついろんなことに感謝できるようになったおかげで、同じようにしんどいけどあまり不安でない今の自分が一つの体の中で同居したような、 そんな感覚。
なんとも不思議な、 時間という空間が無くなってしまったかのような、 それでいて二つの意識が葛藤も無く共存しているような ・・
家に帰りしばらく考えてみた。
あぁ、 何一つ失われたものはなかったなあ。 私はいろんな意味で変化してきたし、成長してきたし、失敗してきたし、捨ててきたし、学んできた。 でも私の中には生きてきたことそのままのことが、色あせず、変わらず、その時の真実のままに残っていたんだなぁ。 人はとかく変わらなければならないと思い込み、過去を捨て去ることでしか前には進めないと思い込んでいるのかもしれない。 私も長い間そんな感覚でいたのかもしれない。
でもそうではないのかもしれない。
忘れていたとしても、失われたものは一切無く、膨大で莫大な経験と体験に基づく知識や、意識や、気づきをその体の中に蓄積し続けているのかもしれない。
この映画の持つ感性に私の感性が同調することで、隠れていた私のその時代の意識が見事に姿を現した。 ってところか?
何一つ失われるものがないのであればこそ、 安定するより、 チャレンジしたい。
青春映画を見て、少し元気になったおいちゃんであった。
(注・お古い方へ) 昔の青春映画とはまったく趣が異なります。 とても日常的で身近なテーマと登場人物ですが、とても深いメッセージを表現してくれています。 ある程度年をとったからこそ、見る映画かもしれませんよ。









12日の昼過ぎ、この「おかけや」と称する卵かけご飯専門店に出かけた。



