2010年4月アーカイブ

sing out 040.jpg  28日夜にopenした「SING OUT」は、歌と音楽が大好きな人たちと共に船出した。

私の世代にとってはとても懐かしい音楽であり、気持ちよく歌ってしまいました。。 同行した若者にとってもとてもいい空間だったようで二人でかれこれ飲んじゃいました。

カラオケボックス的な閉鎖型コミュニティーではなく、オープンコミュニティーを目指して作ったわけなので、老いも若きも、男も女も、障害の有無も超えて集える場所として育っていけば本望である。

ホンノさわりの雰囲気をご紹介します。  

sing out 024.jpgお祝いしてくださいました方々に心より御礼申し上げます。

 

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大物

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昨日の剣道形の練習の時に、師匠の加茂功教士八段から聞いた話が印象に残ったので書き残しておきたい。

 

持田 盛二(もちだ もりじ、大正から昭和にかけての日本の剣道家で昭和の剣聖の一人で剣道範士十段) という怪物がいた。 その方が晩年残した遺訓として語り継がれている言葉を師匠から紹介していただいた。

 

 

"私は剣道の基礎を体で覚えるのに五十年かかった。
私の剣道は五十を過ぎてから本当の修行に入った。心で剣道しようとしたからである。
六十歳になると足腰が弱くなる。この弱さを補うのは心である。心を働かして弱点を強くするように努めた。
七十歳になると身体全体が弱くなる。こんどは心を動かさない修行をした。心が動かなくなれば、相手の心がこちらの鏡に映ってくる。心を静かに動かされないよう努めた。
八十歳になると心は動かなくなった。だが時々雑念が入る。心の中に雑念を入れないように修行している。"

 

 

ゾクリとする言葉である。

69歳の師匠はこの教えの通り六十歳の足腰の弱さを補うために心を働かせてこの十年剣道をしてきた。 これが本当に強い。 ツワモノが勝てない。 静かな動きだが、 勝てない。

そして師匠は来年の70歳が楽しみだという。 七十歳になると心を動かさない修行が出来ると喜んでいる。

この人は本当に剣道が好きである。 ほとほとそう思う。 すばらしいオーラを私たちに与えてくれる。 それは師匠の師匠たちがすばらしかったからだと語ってくれる。 そのすばらしき人たちの連鎖の一部に私たちも居れる喜びを全身で感じる。 大家と呼ばれる人は、死ぬまで修行であることを知っているようだ。 すなわち、生きていることだけでも修行であるとも聞こえる。 

人はすぐにいろいろな答えを知りたがる。 結果を欲しがる。 そしてすぐに叶わないから悩み、苦悩し、悲しみ、恨み、自他を傷つける。

しかし、この言葉を耳を澄ませて聴くと、ないものを嘆くより、あるものを如何に高めるかで生まれてくる結果成果は大きく変わる。 とも聞こえてくるし、何もその通りになるわけではないが、死ぬまで生きることが本当の楽しみ方だとも聞こえてる。

師匠は70歳から見えてくる世界を本当に楽しみにしている。 キラキラした目で語りかけてくる。

普通、年はとりたくないもんだけどねぇ。。   変わってるでしょ。   うちの師匠。

 

ところでこの言葉を参考にするなら、50歳の私はさしずめやっとこさ人間の基礎を覚えたかな、どうかな? といったところである。 これから心で人生を生きようとしていく時期ということになる。

実は私の中でこの最近本当にこの感覚があったのである。 

生まれた時にはキレイな魂であったはずだと思うのだが、いろんなことを知るに付け、経験するに付け、周りの人間と比較し、自分本来の価値を見失い、長い迷いの旅路を経て、なんとなくやっとまた自分にたどり着いてきたような感覚があったのである。

しかしそれは決して無駄な旅だったのではなく、意味も分からずに生きていたその価値の数々が、いかに価値あるものであるかを正に身をもって知るという、人生の基礎を築く意味ではかけがえのない迷い道であったということだろう。

 

さあ、 これから心で生きていきましょう。     とは言うものの ・・・                                         それが出来ればわたしは大物。

 

 

 

待ってろよ

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昨日午後に、第二回目のはーと・ねっと・くらぶボランティア募集説明会があった。

現役スタッフ諸氏がそれぞれに頑張って声がけしたお陰で、今回もたくさんの方々に来ていただけた。

説明の内容も一回目より少し改善し、その思いがより伝わる内容であった。 全員が参加者に対してそれぞれ丁寧な説明を行う時間帯にも、こぼれることなく、一生懸命全員参加で参加者と関わっていた。

ここまで一人ひとりが育ったなあ とこれも感慨深いものがあった。

私が一人ぼっちで駆けずり回り、様々な人の力を借りながらはーと・ねっと・くらぶを設立し、あいあいキャンプという事業遂行の為のスタッフ募集と育成、未定のキャンプ場管理者との交渉や地元の協力者探しと協力依頼、キャンパー募集のための各学校や友人知人へのお願い回り、食材手配、交通機関手配等々に忙殺されながら本気で関係者と関わり続けてきた10年間であったが、一番大変だったのが何といってもこのスタッフ育成であった。 何回やめようと思ったことか・・・ 

それでもなんとか少しはキャンパーにもその保護者にも、そしてスタッフにも関係者にも必要とされているようなのでここまで来れたのだろうなと思う次第である。

そしてまた、今年のキャンプが始まる。 新しいチームで。 またいろんなドラマが生まれるだろうなあ。 うれしそうな、悲しそうな、楽しそうな、怒りそうな、泣きそうな、苦しそうな、 そんないろんな「顔」を、見させていただこう。 その向こう側にこそ気づきと成長が待っていると伝えながら ・・・

 

入会者数は前回と合わせて22名。 現役メンバーと合わせると総勢45名のボランティア団体として機動していく。

子どもたち、 待ってろよ。

 

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壁をこえたバカ

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本日のseedは、お馴染みサウンドガーデンさん http://sound-garden.co.jp/ 主催の定例アコースティックライブと「キッサコ」 http://kissaquo.sakura.ne.jp/ ライブのダブルライブであった。

サウンドガーデンさんは、地元松山の音楽大好き若者が代表相原氏の下に集まり、数々のライブを主催するだけでなく、隠れた人材発掘やレコーディング、PA業務、音楽教室などなどを精力的に行っている会社である。

ここの若者たちははっきり言って出合った頃は大いなる未熟者であった。 社長以外単なる音楽バカかと思うこともしばしばであった。 

seedはレンタルスペースなのでその箱の中は貸すのだが、そのドアの一歩外は「社会」であると初めから説明しているにも係わらず、ビルの共有スペースであるロビーや階段、はては隣の敷地まで占領しながら我が物顔で使用してたりするミュージシャンやお客がままいた。

seedを借りた者がその責任者であり、社長であり、プロデューサーであると私は説明している。

企画から運営までをチームで役割分担しながら、予想される事態に対応すべく人員手配や配置までも担っていくのである。 それがあまりの社会常識欠如、知識不足、気づきの能力不足、コミュニケーション能力不足等々により上記のような失態を何回となく繰り返すのである。 そして、その度に私からそら恐ろしい雷を落とされるのである。 正直自分でも自分が恐ろしくなるほど叱ったこともある。

しかし、それでも彼らはそれなりに自分たちを振り返り、反省し、改善することをやめなかった。 毎月1回のライブ活動中、何度も何度も私から叱られるたびに全員でそれを受け止め続けた。 

そして、 1年と数ヶ月がたった。

 

どうだ、  この変貌振りは ・・・

seedの鍵を開ける前から彼らの挨拶は完璧である。 鍵を開けた後の作業のお願いと確認のお願いも完璧である。 外部の監視と管理も完璧である。 部屋の開け閉めも音漏れ上大切なことだが、これも担当者は完璧に管理している。 音だしのテクニック、ミュージシャンの交代上生じる作業も完璧である。 室内温度管理も完璧である。 客の誘導も完璧だから帰り際も鮮やかなもんで、何時帰ったのと聞きたくなるくらいきれいに客は流れていく。 すべての客が出払った後の後片付けも全員が手際よく機材や楽器の搬出を行う。 あっという間に、ビルの住民にほとんど迷惑がかからないうちに終了する。 そして、最後の最後に全員で私の事務所に終わりの挨拶に訪れる。

完璧である。

この一連の作業をしているサウンドガーデンのスタッフはほとんどミュージシャンでもある。 彼らは演奏もしながら、これらのことを協力して行う。

いつの間にか彼らは、音楽バカから一流の人間になっていた。 それはなにも大げさな言い方ではなく、もちろんまだまだ様々な点で未熟なのだが、少なくとも一流の人間になるべく素養があることだけは自らが証明したと言っても過言ではあるまい。

いつだって、素直な努力家は成功しないほうがおかしい。

今、彼らの元に県外各地からオファーがあるという。 うちに来てそのイベントをやってほしいというのである。    努力はいつか認められる。     嬉しいことである。

もう一つ、 嬉しいこと。

あれほど厳しく接してきた私に、ライブが始まるずっと前から「よければ今日のライブを聞きに来てほしい」といって、招待券をかみさんの分と二枚置いていってくれたこと。 

 

かみさんとすばらしいライブを聞かせてもらいながら、私は今までの彼らとの日々から生まれたなんともいえないプロセスの余韻に浸るのであった ・・・

ありがとう、サウンドガーデンのみんな。           ・・・ ありがとう。  

 

 

 

 

店長先生

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本日なんか朝からバタバタしてしまった。 

青葉土地コーポレーションは念のために申し上げておくが、不動産業者である。 宅地建物取引業者として愛媛県にちゃんと登録されている。 これは5年に一度免許の書き換えが義務付けられており、うちは今度二度目の書き換えとなる。 すなわち丸10年が過ぎ、11年目に突入ということである。 その様々な更新手続き書類を書いたり、謄本等を用意したりとなかなかゲッソリする作業を何日間も行ってきて、本日がその提出日というわけでバタバタし、その他物件を見に行ったり、人と会ったり、物件資料を送ったりとしていたら、 一日も暮れようとしていた。

コーヒーを飲んでいない ・・・

い、 いかん  飲まねば ・・    一日が終わらん ・・

かみさんに言い残し、 急ぎ隣のブルーマーブルに駆け込んだ。

      ま・い・う。           ・・・  至福のときである。

 

一息ついた後、店長のサトさんとおもしろいお話になった。 サトさんはすばらしい女性であり、料理の腕前もさることながらその様々なセンスと気づきに驚かされることしきりである。 個人的なファンであるのだが、その話はまた今度・・

その話とは、サトさんは反抗期らしきものがなかったということを聞いてしまったのである。

生まれたときから今日ただいままで反抗期の権化のような我輩としては、聞き捨てならないでしょう。

そのサトさんが、この店のオーナーや私が様々なものに対して憤懣やるせない気持ちを持ち、体制や行政、政治、企業体質、考え方、等々にまできちんと反抗心を持ち、そしてそれに対して行動していることがうらやましい時があると言う。

彼女は昔から今ある環境で満足してしまい、その中で出来る努力や改善はしていくのだが、いつまでも小さな世界から出られないのではないのかと思うこともあるという。

それを聞いて、私はとんでもないと申し上げた。 

サトさんの日常を少しは知るものとして、その平和性あふれる表情や行為行動、ガンバリズムあふれる波動から想像できることは、人たるものにおいて最も尊いことがまずもって現状への感謝だろうと思っている我が身からすればこそ、サトさんのその在りかたこそが尊いものではないのかと思えるのである。 だからこそ、反抗も反論も必要ない。 ありのままを受け入れ、その中で努力する。 その真理を愚直に体現し続けている。 これは、すごいことだと思うのである。

私などは、言うなれば格好のいいようなことを言いつつ、真の感謝が出来ていないのではないのか。 逆に真理を突きつけられたような気がした。 実にあっさりと。 無意識に。

 

あぁ、 やはり真実の真理に近いほど何の帰来もなく力も使うことなく、最大エネルギーを相手に返してしまうなぁ。   まさに、 超良質の鏡である。

サトさん、  参りました。。      本日も気づかせていただき、まことにありがとうございました。

 

 

 

 

 

扉の向こう側

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sing out 021.jpgこれがうわさの(?) フレッシュリーブス地下にオープンする「歌声喫茶のような、アコースティクライブバーのような、DJブースのような、カフェのような・・・」 SING OUT という名のお店の入り口です。  「歌おうぜ」、という意味あいを込めたこのお店の店長さんは長年音楽、音響(PA)の世界で活躍してこられたその世界では有名な隅田さんというおじ様。

本当はずっとミュージシャンになりたい夢があったのだが、その器用さ、センスゆえ、周りから必要とされ続け、音響の世界で定年真近まで来てしまった。 しかし、ここまで来てしまったが故に、最後の力をやりたかったことに捧げることに決めた。 そんなどこか熱いおじ様。

使い方は自由であり、歌声喫茶風に集まるメンバーで一つの歌を歌いあったり、上質な演奏を聞けたり、様々な練習機関として機能したり、それこそいろんな色や形を見せてくれるだろう。

早速、共通の友人でもあった愛媛を代表するDJ林浩彦さんも、病気で大変な思いをしてこられた今までの苦労をもう一度喜びに変えるべく、この舞台で挑戦する。  これにはファンは黙っていまい。

あの本音と癒しのトークマシンガンが炸裂する日は近い。  んー、 楽しみだ、しかもそれを目の前でビールを飲みながら聞けるなんて ・・   んー、 作ってよかったー。

いやいやいやいや、この隅田のおじ様はまだまだ凄い技をいくつも持っている。

ここはほんとに、 ひょっとすると、ひょっとするかも ・・  食事は1階ブルーマーブルさんからのケータリングサービスで、いわずと知れたオーガニック料理がここでも食べられる仕組みである。 seedの控え室としても利用できる仕組みもある。

そう、 ドンドンドンドンフレッシュリーブスは繋がっていくのだ。。  

今日のところはここまでで許しちゃろ。 (?)     

 

この扉の向こう側で、28日夜からミニライブを中心にエンジン始動。

 

 

 

 

 

時あたかも土佐

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昨日の日曜日は、はーと・ねっと・くらぶの2010年度スタッフ募集説明会であった。

2回の説明会を開催し、合計で8名の方に入会していただいた。

これで現役メンバーとあわせて30名のチームとなる。

来週行われる最後の説明会での入会者とあわせたメンバーで今年度のあいあいキャンプを作ることになる。

今年の入会者の中にはお隣の高知大学の学生3名がいらっしゃった。

これは現役メンバーのうちの一人が様々な勉強会や講習等で知り合った仲間にコツコツと声掛けしてきた結果である。

そのような地味な活動から純粋に興味を持ってくださる仲間と出会う。

説明会のためだけに活動するのではなく、常日頃から自分たちを知ってもらおうとするアピールという準備行動が成果を形作る。

そしてその伝え方により、本当に興味を感じたなら、その活動が地元に無いのであれば、隣の県であっても聞きに行こうとする。

そしてまた、本当にやりたい、やってみようと思ったのなら、毎月は無理かもしれないが、出来る範囲参加しようとする。

その考え方もさることながら、実際そう決めたその決断力には正直頭が下がる。

時あたかも「龍馬伝」であるが、そろいも揃って3名の土佐人の入会には胸躍るものがある。

こんな風に違う風土や、血が交じり合うことは誠にうれしい限りである。

愛媛のメンバーにとっても、とてもいい刺激になるだろうなと思う。

 

出会いは、過ごした時間の長さが問題ではない。

ホンノ一瞬でも一生を揺るがすくらいの出会いになることがある。

そこがたまらなく面白い。

昨今特に、公私にわたりその出会いを感じている。

その密度が今までに無く濃くなっている。

いったい何を予感させるのか、 しばらく身を任せてみたいと思う。

 

 

 

おめでとう

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本日やっとこさかみさんの右肩から突き出していた針金が抜かれた。

6週間よく耐えましたねえ。 頑張りました。 といってもまだ右手は満足に動きませんけど・・

これからはリハビリの日々ですね。 でも右手も付いているし、少しでも動くのですからたいしたものです。

本人も改めて自分の右腕に惚れ惚れと感謝していたようです。

本当にこんなことでもないとなかなか人は当たり前のことに感謝が出来ないものです。 私も ・・

ただ、これが目に見えるものに対する感謝であればまだなんとなくできるものですが、これが目に見えないものだととたんにもっと感謝する機会が少なくなってません?

目に見えないものというと、みんなは何を想像連想するんだろう。

私の場合は神様であったり、ご先祖様であったり、それ以外の霊の皆様であったり、生きている人からの生霊であったりするわけです。

この世が目に見えるものだけで出来ていると思っているとこの話はまったく腹立たしいものになるのでしょうが、私にはとてもそれだけで出来ているとは思えません。

普段そう思っていない人にとっても、案外神社仏閣にお参りすると、素直にお願い事をしてたり・・

それって目に見えないものにお願いしていると思いますけどねえ。

 

ここで私がお伝えしたいのは、この目に見えないものに対しても感謝をするということは、目に見えるものに対する感謝と同等、もしくはそれ以上だと思うということなのです。

何か与えてくれたら、プレゼントしてくれたら「ありがとう」と言います。 でもそれ以外にも実のところこの人生をさかのぼること数千万人の田中家のご先祖様が、いや田中家などという名さえない時代から脈絡と幾多の困難の中、命をつないでくれたおかげで今の私が居るわけで、その系譜の頂点に私の子供たちが居るわけで、すなわち私たち、今に生きる者たちはあらゆるご先祖様の頂点に君臨しているわけで、すなわちすべての代表選手として居るわけで、それだけで「ありがとう」なのです。

そしておそらくはそれらさえ内包してしまう宇宙世界を創造した神様に対しても「ありがとう」なのです。

その偉大なる存在たちに対して、軽々しくお願い事をするとは・・   

感謝を先にせずに、願い事を叶えてくれたらする神経とは・・

あな恐ろしや。。

 

現時点で人類最高の代表選手としての責任を多少は感じながら、感謝と共に生きたい。

毎日、少しはそう考えながら行動しています。 今は・・    昔はただのアンポンタンでしたけど・・

 

かみさんの嬉しい感謝の姿を見ながら、そんな想いにしばしふけってしまいました。

 

 

 

リアル

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今年はうちのお嬢が成人式を迎えることができ、写真館で記念の写真も撮ることができた。

ところが去年成人式を迎えた長男は写真館では撮っておらず、ほったらかし状態であったのを、うちのかみさんが不憫に思ったのか、今年の就職前にスーツ姿を写真館で撮っていた。

その写真を選びに行くと言うので先週末に選びに行った際、写真館の奥さんが担当として私たち夫婦に付いた。

何枚か撮ったのを順番に見ていき、気に入ったのを選んでいく。 最終的に3枚だけ選んでお願いしたのだが、そのときその奥さんは息子の顔に出来ていたにきびや汗のテカリを修正して消しましょうと言う。 おまけにトレードマークのほくろまで消しましょうという。

それが当たり前のことできれいに残すことが大事だという。

普段なら 「まあいいか」 で済ましたい所であったが、この奥さんの物言いがそれが正義だと言わんばかりに言うものだから、さすがにカチンときてしまった。 みんなそうしている、当たり前のことだと言い続ける。 間髪を入れずまくし立てる奥さんに私はとうとう噛み付いた。

「仮にも21才のスポーツマンの若者がゆえに、汗も光るし、この年の証としてにきびがあるのならそれを残すことが大切でしょう。 消すことが当たり前になっているとしたらそれは恐ろしいことである。 いったい何のための写真なのか? 勝手に作りたいのなら顔の形まで作り物になってしまうではないか? 私はこのリアリティーが大切だと思っているし、価値があると思っている。 そんなにいじりたいのならこの写真はキャンセルする。」   と申し上げた。

それでも奥さんは執拗なまでに食い下がり、本当にそれでいいのか?  後で変更は出来ないとクドクド言っていたが、バカボンパパよろしく、「それでいいのだ」と申し上げ、早々にその場を切り上げた。

写真館を出た後、大体こんなシチュエーションだとかみさんから「あんたはまた余計なことを言ってから・・」 とお叱りを受けるのだが、このときは小言はなかった。

もう二度と行くことはないだろう。

こんな大切なことにあれほど無神経なまでに麻痺しているとは ・・・

 

これがこの国の大人の姿を如実に現していると感じてならない。

デジタルが生んだ、うその作り物の世界。

子供がはまっているだけでなく、見事に大人もはまっている。

便利なことは間違いないが、本物と、事実と、真実と、挿げ替えるな。

簡単に出来ることと、やっていいこととは同じとは限らない。

今一度 「リアル」 であることの意味と価値を考えないと、一生パソコン画面の中で「一生」を過ごすことになりかねない、そんな気が改めてした出来事であった。

そしてこのリアルを知るとは、すなわち身をもって様々な体験をするしかないのである。

はーと・ねっと・くらぶの目的もここにあるのである。

 

 

 

こわい話

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最近の昼夜の温度差はなかなかのもんですなあ。。

知らず知らずに風邪気味になってしまった。

まあ先週土曜日の夜、道後公園で花見とシャレ込んだのはよかったが、いつものごとく夜中までチャラチャラ話してたのが複線で、翌日の日曜日は朝からseedライブだったこともあり、体力不足に風邪菌ちゃんが付け入ったかな?

花見のメンバーは、昔道後中学校でPTA役員をしていた時分の仲間と、石手寺のお坊さん集団による合同花見である。

四国霊場八十八ヶ寺の一つである石手寺の加藤住職がPTA会長で、私がPTA後援会長だった時のメンバーが卒業後も2ヵ月に1回くらいのペースで、6年くらい続いている。 この二人以外は全員主婦であるのだが、住職の雰囲気がいいので皆楽しみにしながら集まる。  

これもまあ珍しい集まりだと思うが、地域の可能性という点ではかなりのものを秘めていると感じている。 何かをしなければならないと言うことではなく、自然にそのうち何かが始まるかも知れないと思いつつ、今日に至っている。 しかしまあ何はなくとも個性的なメンバーである。 ざっくばらんにいろんな話が出てくる。 家庭の問題から宗教論、政治論、教育論、世界観から哲学等々、同じ世代でもあり子供が同学年で一緒だったという意識も手伝い、なんともいえない雰囲気になる。

密やかな楽しみの一つとして今後も係わらせていただきたいものであるが、そのうちめんどいおいさんは排除されるかも知れないなあとも思っている。  まあしょうがないか ・・

 

この道後中学校では、毎年夏休みの最終土曜日に校庭を地域に開放して、お祭りをしている。

PTAや先生の屋台が並び、汗だくで焼きそばを焼き、カキ氷をつくり、たこやき、焼き鳥、ジュース、etcを製造販売しながら、生徒はステージで楽器を演奏したり、合唱したり、劇をしたりと絶え間なく出し物が続く。 校区に住む幼児から高齢者までが今やわんさと詰め掛ける。  このシステムを作ったのがこの加藤住職の時代の学校関係者とPTAなのである。

もちろんこんなことが簡単にまかり通る訳もなく、喧々諤々の月日を経てのことではあるが、数千人が集まる地域イベントとしてすっかり定着し、校内のいたるところで卒業生たちの様々な年代によるミニ同窓会が開かれている姿を見る喜びは格別なものがある。

こんなことを仕掛けてしまうお坊さんなので相当ヤバイと思われるだろうが、  相当ヤバイ。

このヤバイお坊さんは、卒業後少しおとなしくなったと思っていたら、  今はいえないけど、また仕掛ける み・た・い。

もちろん応援するけどね。  また何かが始まるかも。  っていうか、始めるのよね。  いつだって。

ちなみに私は、 私はしないけど、応援するからね。 って言ってます。

これ以上活動増やしてなんとしょう。    くわばらくわばら 。。

 

 

 

 

ホオポノポノ

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かみさんが骨折するまで、昼飯は愛妻弁当(?) でこの十年あまり過ごさせていただいてきたのだが、右手使用不可能になってからは隣のブルーマーブルにての安心安全、おまけにおいしいオーガニック料理を堪能させていただいている。

本日もいつものカウンターで注文し、さりげなく手に取った雑誌を見ていたらステキな記事が目に留まった。

ハワイの原住民の中に代々受け継がれてきた文化の一つを紹介していた。

もし家族の中で不満やわだかまりが生じた時は祖母が中心となり、心の内を話し合うというものであった。 

毎朝、毎晩一緒に座りひとりずつ話す。

誰かに不満があればその時に話す。

悪い場合はその場で謝る。

コミュニケーションを通し、わだかまりを解消し、心を整える。

それがホオポノポノの基本だという。

怒りがあれば体に影響し、病気の原因となる。 放っておけば周りの人にまで反射してしまう。 だから日々怒りの原因に向き合って、許し、心をクリアにすることが大切だという。

問題のほとんどは人の話を聞いていないことだという。 人がなぜ怒るのか? それは自分の話を聞いて欲しいからだ。 一人ひとりの話を聞くことで違いや誤解に気づいたり、間違いやうそが明らかになったりする。 その時、間違いを認め、謝れるように場所を作ってあげるという。

ひどいことをされた人が相手を許すのも簡単ではない、それでも許す気になるようみんなで祈る、エネルギーを送るんだという。 祈りがとても大切だという。

これを他人に対して行うヒーラーはお金としての報酬は受けない。 解決した時本当に幸せな気持ちになり、それ自体がすばらしい体験だという。 お金には換えられないそれが僕らの報酬だ、感謝しているという。

これはカウンセリングとは違う。 一人の心を治療するという考え方は西洋的だという。 ホオポノポノでは夫婦の問題であっても子どもたちも関係があると捕らえる。 関係する全員が一緒に話して解決するという。

コミュニケーションに原因があるのだからすべて一人の精神力で解決するほうが難しい。

世界中が様々な問題に行き詰っているが、まず月1回でも家族で集まろうと声をかけよう。 それを自分から始めようという。

病んでしまった心を治療することより、病まないように互いに心をかよわせることを大切にしようという。    

そういう生き方が、ホオポノポノであるという。

 

私は昼から、 いたく感動してしまったのである。    しみじみと ・・・

 

 

 

 

いずこへ ・・

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四月に入ってはや5日目とは・・

なんとも早い ・・    いつの間に時間がたったの?  って感じである。

しかし、外は一面桜色。  しばし意識を淡い色にゆだねていよう ・・

ということで、昨日は久方ぶりにかみさんと映画を見に行った。  そう、 骨折妻が右腕を吊ったまんま。

まあかみさんももう慣れたもので、そんな格好でもなんとも思わないらしい。。 私が言うのもなんだけど、彼女の神経もまあまあのもんだと思う。 普段から凄いとは思っているが、 まあすごいやね。

道後の家から大街道の映画館まで歩いてトコトコと小春日和を楽しみながら行きました。

そして見た映画とは、 「花のあと」

女優 北川景子初の時代劇挑戦であるが、なんの、 天晴れである。  実に美しい。。  んー、 いいなあ、景子ちゃん。 また役がぴったりはまってるもんだから余計に惚れ惚れでした。 

などと浮かれていてもしょうがないのだが、おなじみ藤沢周平原作であるからしてもう私に文句は無い。  美しい桜とともに始まり、桜とともに終わる映画であるのだが、その間の1年間で起こるドラマは武士という文化、江戸という時代、その中でしか味わえない恋心であり、義であり、同士であり、家族であり ・・・

心が静かに震えますぞ。    私の年代人には ・・

終わった後、トイレに行ったらワカモノ達が 「なんやよーわからん」 とのたもーて居られた。 かみさんも女子トイレで同じことを聞いたらしい。  と言うことは、 もはや古い人間しかこの世界観に感動できないのか ・・・       かみさんと歩きながらまあまあ複雑な心境であった。

義といってもそのことを体験せざれば、確かに分からんなぁ。 でもどこに行けば体験できるんじゃろぅ。     言葉を交わさずとも心が通じ合うとは、何を持ってして体験すればいいのじゃろぅ。

流行の歌は、これでもかこれでもかと言葉を並べつらい、吐き捨てる。

ちいさな言葉で、みじかい言葉で、間と間のあいだにたくさんの思いと世界が見え隠れした時代よいずこ。

 

 

 

年度が替わった。 

会社はいよいよ11年目へと突入した。よくもまあここまで無事できたもんだ。。  などといっている場合ではない。  これからの10年を考えると、まさしく新世界創造の10年となるわけだから今までと同じような価値観や価値基準ではビジネスそのものが成り立たないだろう。  かといって、ではまったく未知の世界が必要なのかと言えば、そうとも思わない。 むしろ昔にあった世界と現代の融合というか、昔はそうあることの意味が分からず、ただただ外国の進化した世界にあこがれ、それを追うこと、真似ること、超えることに尽力してきたが、ここまで来て、それらを体験してみてある意味捨て去ってきた日本の文化(食文化、コミュニティー文化、芸術美術文化、思想文化、建築文化、農業文化、等々) の中にこそすばらしい価値基準があったということに、一部の人は気づいているし、それを単なる懐古趣味として捕らえるのではなく、今の文化価値と融合することではっきりとその意味と意義を理解した上で、地域文化、国文化から、新しい地球文化へと導こうとする時代が始まりかけているように思えてならない。

今、龍馬伝しかり、坂の上の雲しかり、明治維新という時代が脚光を浴びているが、それこそ私には単に今の閉塞感を打破するための精神を鼓舞する希望であるとか、憧れであるとかというよりも、今こそが新たな地球維新としての波動エネルギーとしてそれらと共振しているように思えるのである。

少しずつその範囲と規模を大きくしながら、地球という規模の維新が始まりかけていると思える。

これからの10年とはそのような10年になるのではないだろうか?

 

その中で青葉土地コーポレーション、及び田中啓文は何をなすのか?

まだよくわからないのだが、  とりあえず今年度一発目の事業が今月末には予定通りオープンする。

以前にもお知らせさせていただいた、フレッシュリーブス地下テナントに 「sing  out」 という歌声喫茶のイメージと、フォークライブバーのイメージとを中心に様々な年代や人種が集い交流するスペースがオープンする。 そしてこのスペースはフレッシュリーブスの様々な部分とつながっており、それらがまた有機的な存在を生み出していけるように機能することにも意識している。 そしてそれはもちろん外部の共振する波動の持ち主ともどんどんつながる。 

そうなればいいなと思いながら、この数ヶ月すばらしき協力者と共に過ごしてきた。

店の形が現れてきた。

おかげで私はまたスッカラカンになった。

その他いろんなことでスッカラカンである。

スッカラカンはある意味、   気楽である。

もう何も無いよ、   である。       失うものは・・

 

振り返れば、 なんかいつもスッカラカンになるように仕掛けてる??

俺って、 ひょっとして ・・

異常性格者?

 

誰?   「今頃分かったか」 って言ったの。