2010年3月アーカイブ

本日昼前にわが息子は社会人一年生としての旅路についた。

正確には4月1日の入社式からであるが、その前のオリエンテーションのために出発した。

扶養家族の一人として育ててきた子どもが自立していくわけであるから、ともかく親として感慨深いものがある。 

彼は中学の時に学校中の反対を押し切り、自分で決めた高専への道へチャレンジし、全ての予想を裏切り合格した。

その時から親元を離れて学生寮暮らしをしながら、先輩後輩の関係の中から様々なことを学び、親に頻繁に甘えることも出来ない環境から少しずつ何かに気づきながら成長した。

昔で言うところの国立ということもあり、その厳しさは私の想像を超えており、よく短期間でここまでの学習が出来るものだと驚いたものだが、5年生に上がる時の試験に見事失敗した。

その時の彼は正に自分で選んだはずの進路について悩んでいた。 「こんなことをやってていいのだろうか? 本当にやりたいことなのだろうか? 役に立つのだろうか?」

そんな迷いの時期であったことも事実であるが、ものの見事に落第した。

そして二度目の4年生の試験はものの見事に乗り切った。 明確な意思を持って。

そして、何を隠そう、その時の挫折感こそがその後の彼をある意味救うことになる。

 

就職活動が始まると、1年前に迷っていた迷いは無く、本来の自分で決めた道へと挑戦した。

そして、ある企業の募集、高専枠2名という中で彼は内定をもらうことが出来るのであるが、その時の面接で面接官から「今まで挫折したことはありますか?」 と聞かれたという。

そして彼は「あります。 落第をしました」 と答えた。 そしてその時思ったこと、学んだことを正直に伝えたようだ。

 

私も経営者としていろんな人とお付き合いさせていただいたり、出会わせていただいていたりするのだが、そこで一つ感じることがあった。

この挫折経験をきちんと持っている人は、認めることが出来ている人は、そしてそこからきちんと学ぶことをした人は、確実に次のステージへ成長できる人であるということ。

ここが認められない、また経験がないと思っている人は、学ばず同じことを繰り返している人は、実に人として弱い。

私自身、この弱い人を長年やってきたのでよく分かる。

 

彼は又、幼い頃からやっていた剣道を高専時代も最後まで続けた。

この勝負の世界も必ずどちらかが勝ち、どちらかが負ける。 しかし、相手がいてくれるからこその勝ちであり、負けである。 そのことを勝負の世界の人間は大体において理解している。 勝負の数だけ喜びと挫折を経験しているとも言える。 そしてその考え方はお互い様という、相手を思いやる気持ちにまで発展することもある。

もちろんこれだけではないいろんな努力があったことは事実だろうが、遠くにいたバカ親父としてはこんなことも彼をこの企業に導いたんだろうなぁと思うのである。

 

先日親戚で一緒に食事会をした後、家に帰ってから息子と二人で大酒を食らったようである。 私はやはりほとんど覚えてないのだが、かみさんの話によると大議論大会だったようである。 

旅立ちの前に彼も私に言いたいことがそれなりにあったようである。

その内容の一つに、 「もっと母ちゃんを大事にしろっ」  というのがあったらしい。  ついでに「じいちゃんもばあちゃんも大事にしろっ」 というのもあったらしい。。

 

                       ・・・   大体においてワカモノは真理を言う。

ありがとう、 ワカモノよ。   改めて肝に銘じようぞ。

 

それにしても子どもの成長とは、かくもこのように嬉しいものであるとは ・・・

 

彼の旅立ちの時、 説教一発と 固い握手をして別れた。  力強い、 手であった。

 

 

 

意識的真理

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"真理は子どもの口から出る。

しかし、子どもは口にしたその真理の意味を知らない。"      プラトン

という言葉がある。

 

私の大師匠の言葉に

"問題は、なぜそんな道へ歩み出すのかではない。

すでに踏み出しているのだから。

生まれた瞬間からこの道を歩いているのだから。

問題は、この道を意識的に歩くのか、無意識のまま歩くのかということだ。"

という言葉がある。

 

この二つの言葉は似ている。

 

私は長い間、無意識的に真理めいた言葉を発しながら、理解しているふりをしてこの道を歩いてきた。  

しかし、自分が主体者として様々な活動を始め、責任と自由とを同列で考えることが出来るようになって、初めて意識的に歩くことが少し出来るようになった。

今まで当たり前のように口にしていた言葉が、今までの数万倍重く感じるようになった。

人の話を聞いても、以前何も感じなかったであろう言葉で、恐ろしいまでに感じることがある。

同じ人から、同じ時に、同じ話を聞いても、聞く人の意識レベルによってまったく別な話に聞こえることが分かってきた。

意識的に歩くために必要な体験を、今までさせていただいて来たことも分かってきた。

 

そしてもう一つ、

あらゆる道を、いつでも意識的に歩くための体験は、永遠に続きそうだということも ・・・

 

人生って、    凄かねー。

 

 

 

 

ブレイクの夜

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先日のマーブルデーはブレイクした。

まあ、ブレイクしたのは私だけという説もあるが、 定かではない・・・

でもそうなるにふさわしいメンバーであったことは紛れもない。 一部ご紹介する。

何せ本当に久しぶりにお会いした林 浩彦さん(南海放送やFM愛媛、リックのお悩み相談等々で活躍)は、眼が不自由になっておられその他もいろいろガタがきていらっしゃるようであったが、あのトークは健在で、しかもあのとてもいいトーンは生きていた。。 もう還暦が近い年齢なので私とは約10歳違いなのだが、ご自分に正直な生き方をされている姿を見て私もそう在りたいと思わせていただいた。 これから出来る地下の歌声喫茶の店長さんとも親しいので、益々お会いできる機会が増えそうな予感である。 どんどん歌ってくださいね。

 

また愛媛大学農学部の某先生は森林と社会とのコミュニケーションというテーマとスタンスを研究されている方で、自然の摂理にしたがって人間が生きていくため、自然と向き合う心のあり方、社会のあり方を学んでおられ、概要として、「森林保全のための社会のしくみについて教育・研究しています。社会のしくみについては、森林から持続的に恵みをもらうための制度づくりという観点から、特に歴史と倫理の視点を重視して教育・研究を進めています。」というものである。 また先生のHPに、

"森林は大切だ、森林を守ろう、というのは簡単だ。 では、実際にはどうやったら森林を守れるのか。そう考えると、問題はとたんに難しくなる。 人間は森林を破壊する力を持ってしまった。 また、人間の欲望は計り知れない。 何のために人間は森林にはたらきかけるのか? たらきかけるための意志決定方法は? はたらきかけるための費用負担方法は? 人間は宇宙まで飛び出していく技術をもっている。 しかし、まだ、地球上の森林破壊を止める方策を知らない。 どうしたら、いいのかな?  いっしょに考えませんか"  とある。

ジャンルは違うようでいて、考える視点がとても私と共通していて短時間のお話でもとても「ピン」とくる。 こんな先生に学べる学生は幸せである。 これからの更なるお話を楽しみにしよう。 ちなみに先生は平日夕方もよくブルーマーブルでお気に入りのコーヒーを飲んでおられます。

 

また、病院にお勤めの女性お二人とは初めておしゃべりさせていただいたのですが、お一人がフレッシュリーブス202号の美容室「ビークラブ」さんのブログを見て前回参加し、今回友人を誘われてきたとのこと。 このご縁もすごいなあと思うのだが、この友人のお話もすごかった。

病院内での介護を担っている彼女は患者さんから痛い思いをさせられることもあると言う。 患者さん自身様々なストレスや不安にさいなまれる日々を送っているわけであるが、時にそのストレスはコントロールを失うこともあるだろう。 そんな時真っ先にはけ口として向けられる対象は介護士さんや看護士さんであったりもするだろう。 

腕をおもっいっきりつねられたり、たたかれたりもするらしい。 しかし、彼女は自らの体を守るため引くのではなく、差し出すらしい。 もっとつねっていいよ、たたいていいよ、と差し出すらしい。

それでその患者さんが癒されるのであれば、それは私の喜びだと言う。 傷や病を治療することだけが医療現場の仕事ではない。 ただ、ゆっくり心に寄り添える時間もなかなか許されることではないだろう。 そんな中で、彼女はそのストレスのピークに達した人の行動を一つのチャンスと捕らえているように感じる。 短時間のコミュニケーションではあるが、そのピークのときに本気で係わることこそその効果を最大限に発揮できるということを、体験や、本来お持ちの相手を思いやる気持ちでもってその行動を作り出しているのではないだろうか。 いや、おそらくそんな解釈など意味がないほど彼女は「愛」と言う存在なのであろう。  ガツンときた。  高知の限界集落に母の実家があり、そこの生活がとても楽しみであるらしい。 行動原理の風景があるに違いないと思った。  私の将来介護もお願いした ・・

 

こんな風に何のしがらみもなく、気遣いもなく、個人の存在のみを尊重する場所や空気の中でこそ、人は素直な自我を表現できるのかも知れない。 

初めてお会いする方と出会いの時間を越えて感じあえることの喜びをこの日も感じることができた。

ご参加の皆々様、いつも気持ちよく対応していただき、しかも遅くまでお店を提供してくださっているブルーマーブルの皆々様、改めまして厚く御礼申し上げます。

来月またよろしくお願いしマース。

 

 

 

今週もいろいろあった一週間であった。

ほとほと人生はおもしろいなあと思う。 

言っておくが間違っても面白おかしいという意味ではない。

そんな楽しくてしょうがないようなことはそうそうない。

しかし、 しかし 「おもしろいなあ」 なのである。

 

  • 安心、不安
  • 感謝
  • 驚愕、興奮、好奇心
  • 冷静、焦燥 (焦り)
  • 不思議 (困惑)
  • 幸福、幸運
  • リラックス、緊張
  • 名誉、責任
  • 尊敬
  • 親近感 (親しみ)
  • 憧憬 (憧れ)
  • 欲望 (意欲)
  • 恐怖
  • 勇気
  • 快、快感 (善行・徳に関して)
  • 後悔
  • 不満
  • 無念
  • 嫌悪
  • 軽蔑
  • 嫉妬
  • シャーデンフロイデ
  • 期待
  • 優越感、劣等感
  • 怨み
  • 苦しみ
  • 悲しみ
  • 怒り
  • 諦念 (諦め)
  • 絶望
  • 憎悪(愛憎)
  • 愛しさ
  • 空虚

ざっとこれくらいの感情と呼ばれるものの中で私たちは毎日生きているわけである。

おもしろくて当然である。

しかし、これらの感情をたくさん感じたほうがおもしろいのか、あまり感じないほうがおもしろいのかは、ちとビミョーである。

欲望や、期待や、恐怖や、嫉妬や、軽蔑や、不満や、絶望や、後悔や、怒りや、悲しみや、苦しみに満ち溢れていたなら、あまりおもしろいとは ・・・

 

どう感じて生きるかは、選択できる。  もちろんそう感じるためのプロセスを作り出すことも出来る。

けっして結果ではなく、プロセスの創りかた次第で感じ方は変わる。

どんな感情を作り出した一日であったのか? 一週間であったのか?

そんなことを考えながらこの週末もふけてゆく。

明日のマーブルデーは、どう感じる時間を、空間を創るのか?

 

わたし次第である ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

              

 

へんなお店

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うーん、  何から書いていいのか分からん週末であった ・・・

くたくたである。。   頭が回りっぱなしのようで、回ってないようで・・

まあ、こんなときもあるよね。

seedライブが二日間続き、会議が入り、イベントが入り、打ち合わせがあり・・・のようなことを朝から深夜まで二日やると50のおっちゃんには堪える。  また、それぞれ一つ一つが大事な内容なので知らぬ間に神経使ってるんでしょうね、 これでも・・     何か密度の濃い3月である。

おまけに今月からフレッシュリーブス地下の工事も始まりそうである。  というか、 始まる。

私がオーナーとしてお店を作る。

ただし、店長さんが実際のお店を切り盛りする。

その店長さんとは ・・・

これがまた す・ご・い 人である。

その紹介はまたゆっくりとさせていただくとして、お店の種類は「歌ごえ喫茶」と呼ばれるものであったり、「フォークライブ」の店であったり、芝居の練習場であったり、音楽教室であったり、コミュニティー広場であったり、障害者の働く場所であったり、障害者も気楽に遊びに来れる場所であったり、様々な世代が交流する場所であったりと、 様々に変化していくお店ということになろうか。

まあ、見たことも聞いたこともないようなお店になるような気がする。

運営システムもたぶんあまり例がないと思う。 

やれるのか、やれないのかはわからないが、とにかくやるのだ。

一辺に完成形は作れない。 ぼちぼち少しずつ変化していきながら創るのだ。 

私の場合、青葉土地コーポレーションしかり、フレッシュリーブスしかり、seedしかり、あいあいキャンプしかり、あまり他社を参考にしない。 

自分の頭や心に浮かんでくるモノだけを頼りに組み立てていく。

ただし、何もせずに待っていたりはしない。

普段から興味があることもないことも、あらゆる情報(情けに報いるものだけ) を常日頃から見たり、聞いたり、読んだりしている。 そのときには必要と思われなくとも吸収しようとする。

いつ必要な時が訪れるか分からないから ・・

そして、その時がやはり訪れる。

ああ、 やっぱり準備しておいてよかった、 となる。

不思議なものである。 

必要な時だけ探してもなかなか見つからないのに、何もない普段から用意だけしておくと湯水のように湧き上がる。

もっともそれがうまくいくかどうかは別問題だけどね。  

でも、たのしい。

たぶん、自分の真実に一番近いカタチの表現なんだと思う。

ずっとこの感覚は大切にしたい。

 

四月の終わりまでには、  ご紹介します。     

へんなお店を ・・・

 

 

 

夢 のお話

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昨日今日と真冬に逆戻りである。 寒い寒い。

花が咲く前は、どうしても試練がいるのだよと言わんばかりである ・・

そんな中、いくつかの大学では合格発表が行われたようである。

先日は「はーと・ねっと・くらぶ」の解散式があったばかりだが、別れがあれば出会いもあるのが人生。

いろんな場所でこの二つの光景がしばらく交差しそうである。

 

そんな季節の中で、こんな言葉に出会ったのでご紹介したい。

30年続いてきた企業がある。 その経営者は俗に言う「企業の寿命は30年」という言葉通りになりたくないと考えた。 そこで30年を節目として自社の歩みを振り返り、新たな夢への挑戦を決意した。 会社の存在が地域社会に貢献することを理念として成長してきた企業であったが、30年を迎え挑戦意欲が薄れてきたと感じることで、新たな挑戦が必要と考えてのことであった。 いくつかの新たな柱を作るべく始まった30周年記念式典で配布された記念誌に次のような一文が記載されている。

 

                    夢

 

夢のある者は、希望がある。       希望がある者は、目標がある。

目標がある者は、計画がある。     計画がある者は、行動がある。

行動がある者は、実績がある。     実績がある者は、反省がある。

反省がある者は、進歩がある。     進歩がある者は、夢が生まれる。

 

企業経営を30年続けることだけでも誇らしいことであろうに、そこで初心を振り返り、新たな初心を全員で共有する。 しかも、 「夢」 の大切さを30年企業が今一度説きなおす。 くくりなおす。 そして夢を実現するためには始める勇気があってこそ、一歩を踏み出すことができると説いている。

すばらしき経営者たちだと思う。

この文章の間に共通して垣間見えるものがある。

自分の夢に気づき、希望に気づき、目標に気づき、計画に気づき、行動に気づき、実績に気づき、反省に気づき、進歩に気づき、また新たな次の夢に気づく。

自分はどの部分の気づきで止まっているのだろう?   分かりやすい指標となるかな?

 

もう一つ、夢といえばおなじみマリナーズのイチロー選手が小学6年生のときに書いた作文が有名であろう。  旅立ちと、始まりの春をキチンと迎えるために、今一度自らの心をくくりなおしたいと思う。

 

愛知県西春日部郡豊山町立豊山小学校  6年2組  鈴木一郎

"僕の夢はプロ野球選手になることです。

そのためには、中学、高校と全国大会に出て活躍しなければなりません。

活躍できるようになるためには練習が必要です。 僕は3才の時から練習を始めています。

3才から7才までは半年くらいやっていましたが、3年生の時から今までは、365日中360日は、激しい練習をしています。

だから1週間中で友達と遊べる時間は5-6時間です。

そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球選手になれると思います。

(中略)

だから、この調子でこれからも頑張ります。

そして、僕が一流になって試合に出られるようになったら、お世話になった人に招待状を配って応援してもらうのも夢の一つです。

 

とにかく、一番大きな夢はプロ野球選手になることです。"

 

 

 

2009 解散式

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昨日2009年度はーと・ねっと・くらぶの解散式を行った。

メンバーの一人の祖母が経営しているお店でご好意に甘え、たっぷりとした時間をかけて解散した。

それぞれの思いを交差しながら過ごすひと時であった。

誠に立派な報告書も出来上がり、私の作成したお粗末なDVDと共に皆の手元に渡った。

この報告書は立派であるが、そこには書ききれない思いや、思い出が皆の心に詰まっている。

毎年毎年歴代のメンバーと共に積み重ねてきた活動。

もともと何も無い環境からここまで育つことが出来た喜び。

失敗の連続の中で、必然として気づいた価値ある体験。

自分のために・・が、気づいたら人のためにも・・、に驚きながらも、その時体験したとても大きな喜び。

ただの一年間ではあるが、チャレンジした一年間とそうでない一年間とを比べられる一年間でもある。

今後の人生も同じである。

何かそれらの体験が、皆の役に立てば幸いである。

 

それぞれの旅立ちに、最後に"こころをこめて"言葉を贈ります。

私のある師匠のお言葉ですが、それだけですばらしく生きてゆける魔法の言葉であります。

皆の今後益々の健闘を祈ります。

 

 

"1、学歴必要なし

 

  2、お金必要なし

 

  3、社会的地位必要なし

 

  4、気づきがあれば何でもできる

 

  5、気づきの能力を磨け"

 

 

 

骨折妻 ④

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ん、  しつこい?    ごめんなさい。。

まぁ、心配してくれてる人もいるのでご報告だけ・・

 

本日無事骨折妻は退院しました。

実は手術後、かみさんは猛烈な痛みに三日間悶絶していた。 どうやっても恐ろしいほどの痛みだったらしい。 痛み止めの薬を飲んでもまったく効かず、おそらく地獄をさまよっている気分であったろうと推察する。 私のように子供の頃から数々の傷を負っているものは徐々に耐性が身についているものだが、かみさんは骨折も入院も手術も初めてだったからそのショックはなかなかのものだったろうなぁと想像する。 かわいそうに手術後などは顔色もなく、視線もさまようくらいだったし、あれほどチャアチャアいってる人が無口になってたから相当だったんだろうね。 でも昨日あたりから少しずつ薬が効くレベルまで落ち着いてきたようで、無事本日退院と相成りました。 薬が切れると今もかなりらしいけどね。

まあ、手術後のレントゲンを見てもまあまあですわ。

肩の上から上腕骨に垂直に15センチくらいの針金を打ち込みその周りに3本の針金を放射状に打ち込んでいる。 もちろんそのまま簡単に打ち込めたりはしないから、本人が全身麻酔で眠っている間にドリルで穴開けてその中に打ち込んでいるはず。 そんなの部分麻酔でやれないからねえ・・

あぁコワ。  おまけにその針金は皮膚から飛び出している(一ヶ月後引き抜くため)からサイボーグみたい。 私も昔こんな状態だったからなんか懐かしい・・・  あっ、ごめんちゃい、それ言っちゃあおしまいよね。。

 

まあとにかく子供つながりの日赤の友人のおかげで丁寧な対応や手術ができたことに感謝申し上げます。 ありがとうございました。

また、数々の友人知人の励ましや、お見舞い、本当にありがとうございました。 

フレッシュリーブスの皆さんのお気使いもありがとうございました。

本人に成り代わりまして、心より御礼申し上げます。 とても励まされたと思います。 

 

私がこうなってもたぶん誰も来ないだろうなと、  少し嫉妬したかも ・・・

友人という存在に、  感謝 ! ! 

ありがとうございました。

これにて、 骨折妻シリーズ   完 結 !

 

 

 

 

骨折妻シリーズが続いたので飽きてきた人もいらっしゃるだろうから ・・ というか、私の気分転換に ・・というか、本当に気分転換になったお話を一つ。 といっても皆には分からないだろうなあ ・・

 

昨今、かみさんのことだけでなく、仕事面でもかなり殺伐とした日々をかれこれ二ヶ月近く過ごしてきた。何らかの形が見えて落ち着いたときにでも振り返ろうと思うのだが、今はまだ真っ只中なのでここまで。

そんな中、あいあいキャンプの2009年度の報告書がほぼ出来上がってきた。

皆で確認し合い、校正し合い、作り上げてきた。 その中で最後にメンバー一人ひとりが書き記した個人の報告書というか、感想集というか、想い集のようなものがある。 この原稿がはじめて手元に届いた。

8年間繰り返し続けてきたもの。 決して毎年同じようでいて、同じでないもの。 それなりに皆赤裸々に自己を振り返り、他者を認めてきた文集である。                             (後日hpに記載http://www.aobaland.com/heartnet/index.html)

それが今年の文集ときたら ・・・

 

一気に読ませる ・・    感じる ・・     そして、 泣かせる ・・

 

あぁ、 ここまでこれたなぁー 、   よかったなぁー    って感じ。

一人ひとりが思い思いのカタチで、マンガチックに書いてるやつ、手書き文字で書いてるやつ、一言だけ伝えてるやつ、大人の視点で書いてるやつ、未熟者の視点で書いてるやつ、専門的に書いてるやつ、つらかったエピソードを書いてるやつ、救われた想いを書いてるやつ ・・・

いろんな思いを最後に自分なりに表現していた。

しかも、  ほとんど全員が誰かに、何かを感謝して ・・・   書いていた。

 

これって、 本当にすごいよね。

誰か、感謝できる仲間が最低一人はいた、ということ。 協力者がいた、ということ。 一人ではなかった、ということ。 それを自らが認めた、ということ。

 

そのことが、痛いほど伝わってくる。

 

とても、 うれしい。 

 

あいキャン9年間のチャレンジの積み重ねにより、初めて見えてきた 「理念のカタチ」 。

今年のメンバーの表現ではあるけれど、その表現に至る過程や環境を今までのメンバーが作ってきてくれたおかげである。 だから積み重ねのカタチなのである。

この瞬間を、 この感動を、 今までのすべての仲間と共に祝福したい。

 

おめでとう、  そして ありがとう。        

報告書配布の一足先に、御礼申し上げます。