本日昼前にわが息子は社会人一年生としての旅路についた。
正確には4月1日の入社式からであるが、その前のオリエンテーションのために出発した。
扶養家族の一人として育ててきた子どもが自立していくわけであるから、ともかく親として感慨深いものがある。
彼は中学の時に学校中の反対を押し切り、自分で決めた高専への道へチャレンジし、全ての予想を裏切り合格した。
その時から親元を離れて学生寮暮らしをしながら、先輩後輩の関係の中から様々なことを学び、親に頻繁に甘えることも出来ない環境から少しずつ何かに気づきながら成長した。
昔で言うところの国立ということもあり、その厳しさは私の想像を超えており、よく短期間でここまでの学習が出来るものだと驚いたものだが、5年生に上がる時の試験に見事失敗した。
その時の彼は正に自分で選んだはずの進路について悩んでいた。 「こんなことをやってていいのだろうか? 本当にやりたいことなのだろうか? 役に立つのだろうか?」
そんな迷いの時期であったことも事実であるが、ものの見事に落第した。
そして二度目の4年生の試験はものの見事に乗り切った。 明確な意思を持って。
そして、何を隠そう、その時の挫折感こそがその後の彼をある意味救うことになる。
就職活動が始まると、1年前に迷っていた迷いは無く、本来の自分で決めた道へと挑戦した。
そして、ある企業の募集、高専枠2名という中で彼は内定をもらうことが出来るのであるが、その時の面接で面接官から「今まで挫折したことはありますか?」 と聞かれたという。
そして彼は「あります。 落第をしました」 と答えた。 そしてその時思ったこと、学んだことを正直に伝えたようだ。
私も経営者としていろんな人とお付き合いさせていただいたり、出会わせていただいていたりするのだが、そこで一つ感じることがあった。
この挫折経験をきちんと持っている人は、認めることが出来ている人は、そしてそこからきちんと学ぶことをした人は、確実に次のステージへ成長できる人であるということ。
ここが認められない、また経験がないと思っている人は、学ばず同じことを繰り返している人は、実に人として弱い。
私自身、この弱い人を長年やってきたのでよく分かる。
彼は又、幼い頃からやっていた剣道を高専時代も最後まで続けた。
この勝負の世界も必ずどちらかが勝ち、どちらかが負ける。 しかし、相手がいてくれるからこその勝ちであり、負けである。 そのことを勝負の世界の人間は大体において理解している。 勝負の数だけ喜びと挫折を経験しているとも言える。 そしてその考え方はお互い様という、相手を思いやる気持ちにまで発展することもある。
もちろんこれだけではないいろんな努力があったことは事実だろうが、遠くにいたバカ親父としてはこんなことも彼をこの企業に導いたんだろうなぁと思うのである。
先日親戚で一緒に食事会をした後、家に帰ってから息子と二人で大酒を食らったようである。 私はやはりほとんど覚えてないのだが、かみさんの話によると大議論大会だったようである。
旅立ちの前に彼も私に言いたいことがそれなりにあったようである。
その内容の一つに、 「もっと母ちゃんを大事にしろっ」 というのがあったらしい。 ついでに「じいちゃんもばあちゃんも大事にしろっ」 というのもあったらしい。。
・・・ 大体においてワカモノは真理を言う。
ありがとう、 ワカモノよ。 改めて肝に銘じようぞ。
それにしても子どもの成長とは、かくもこのように嬉しいものであるとは ・・・
彼の旅立ちの時、 説教一発と 固い握手をして別れた。 力強い、 手であった。








