2009年12月アーカイブ

なせる業

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月がきれいである。   空気が澄んでいる。  今夜から寒が戻るそうだ。

なんか時間がゆっくりあると普段使わなくなった部屋の整備整理をしたりなんかしてしまう。

その物置と化した部屋にある古いアルバムなんぞに眼が留まり、何のことはない腰をすえて見入っていたりする。

ちょうど子供が二、三歳のころの写真である。 家族の意見もろくに聞かず、良かれと思いつつ趣味でもあるキャンプにつれまわっていた頃でもある。

車の上にカヌーを積んで四万十川へ、そこで家族四人と犬一匹がカヌーに乗り込み三泊四日かけて五月の連休に川下をする。 刻一刻変わる風景と風と光を感じながら、流れにうまく乗れるように舟をコントロールする。 その舟の上でラーメンを作りそれを鼻をたらしながら食っている子供の写真が、その事実を昨日のことのように思い出させる。 無邪気な顔が幸せを最大限に物語る。

まだ子犬だった我が家の犬君は川面に写る風景を岸と勘違いして川に飛び込み、まったくの予想外に混乱したのかおぼれそうになり、私によって救い上げられたがしばらく放心状態であったなあ。 

その犬君も今年十六歳で旅立った。

マイナス七度の真冬の山キャンプでは、すべてのものが氷の世界に早変わりした。 なべも食器もテントも車も服もテーブルもいすも何もかも凍りついた。 翌朝の朝日を浴びたそれらの神々しい世界は美しさを通り越していた。 その時撮った写真はアウトドア雑誌にも掲載された。

鼻たれ小僧と化したわが家族はそれでもキャンプを楽しんでいた。 ?  かみさん以外かも・・

 

そんな鼻たれどもの下の子も、来春早々二十歳を祝う。

久々に家族四人が一つの部屋に集った。

体が大きくなり、もう四人でカヌーには乗れなくなったけど、今度は少しずつこれから自分の家族を持つ世界に踏み出していくんだろうなあ。

それぞれがそれぞれの家族を持ち、また小さな命を授かれたなら、あのときのカヌーが活躍するかも知れないなあ  ・・ などと勝手に思いを走らせてしまったのは、 古いアルバムのせいかなあ。

 

何のことはない  また作業が滞ってしまった。  ゆっくり時間のなせる業である。

 

  

 

あー、やっとこさ会社とseedの大掃除が終わったー かな?   ということにしよう。 綺麗なもんです。

昨日おとといと名古屋のアサヒキャンプ55周年パーティーで名古屋にいた。 学生時代に同じ釜の飯を喰らいあったすばらしきボランティア仲間のパーティーである。

土曜の12時から延々夜の12時まで懐かしい顔ぶれ達と揺らめいていた。

本当にゆらめくように30年前の学生時代へと誘われていくようなのだ。

とうの昔に忘れていたはずのエピソードが誰彼の口をついて出てくるわ出てくるわ・・

すごいのなんか、私の四畳半の下宿の話なんか当人の私がキレイに忘れていたので驚いた驚いた。。

私の部屋は鍵をかける習慣も無かったし、いろんなやつが勝手に出入りしてたので別にフツウ感覚で過ごしていたのだが、その中にある日同級の女学生が混じってきたらしい・・   

らしいというのは私は忘れているのだが、複数の連れが明確に覚えているのでその話を信じればということで説明する。

その女学生は失恋したらしい、そして誰かに食事を作ることでその期間を乗り越えようとしていたらしい・・

そこで私の自由な部屋に来て、私や連れの食事まで作ってくれたらしい・・

そして、出来上がると自分は食せず、そそくさと帰っていくらしい・・

それがかれこれ何日も続いたらしい・・

来ていた連れは知っているやつはまだしも、知らずに来ていたやつなど目が点状態だったらしい・・

最初は皆同様に私との関係を疑うらしいのだが、私もかれこれ変なところは堅物なのでこれは本当にそういうことなのだろうと連れも段々慣れていったらしい・・

いろいろ作ってもらったらしい・・

そしていつか来なくなったらしい・・

 

ふつうこんなことがあるといくらなんでも覚えているだろうよ、と今思ったあなた。 

これがほんとに覚えてないのよ。 私とそれなりに付き合っている人は分かるでしょっ!

だ・か・ら・・ 、 ホンマにビックらこいたのよ。。

「ウソーーーーッ」 てなもんよ。  

まあこんな話が出るわ出るわ・・          楽しかったです。

 

青春時代といえるのはその時には分からないものなのかも知れないなあ。

そのときは分からずとも何かしらひっちゃかめっちゃかな時を送っていた、行動していた、考えていた、悩んでいた、苦しんでいたまんま、知らず知らずに時が流れたそのときに、そのとき共に過ごした仲間と出会った時に、特別な色を持って現れるものかも知れないなあ・・

そう考えると、50の今、共に頑張っている仲間と30年後再会した時にもやはり青春は現れるかもしれない。 いや、現れるだろうな・・

ちょっと未来が楽しくなってきた ・・・ 

 

それにしても昔のまんま、凄まじくエネルギッシュな人たちであった。  75歳から18歳までのメンバーが集える団体であった。

 

 

 

イブの想い

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昨夜はブルーマーブルとナテュレの全社員さんとパルスデザインさんと青葉土地コーポレーションの合同忘年会であった。

パルスデザインさんはフレッシュリーブスに5年いてくださった方で、こんど目抜き通りの新ビルに出世移転される。 はーと・ねっと・くらぶ等のHPでもいろいろお世話になっているし、私にとっては公私共々大切な友人でもある。  まことに信用に値する人間であり、出し惜しみせず何でも言ってくれる。  

ちとさびしくなるのだが、まあブルーマーブルに指定席が出来ているようなのでまたサボりに来るだろうから、あまり会えなくなる様な心配はしていない。  今まで以上によろしく頼みます。

そんな彼らと、今年新しく入居してくださったブルーマーブルさんとこの数ヶ月で本当にステキなコミュニティーが生まれた。 パルスさんも私もお客として通っているだけなのに、そこでのスタッフの方々との何気ない会話や、オーナー直々の面白いお話やを聞いたりしたりしていると、本当に自分のリビングでくつろいでいるような気持ちになる。

これが行きつけの店と呼べる「関係」だろうと思う。

昨日の料理も各自持ち寄りで、蓋を開けるまで分からずじまいだったが、なんと ・・

ブルーマーブルオーナー自らの振る舞い料理でチキン丸焼き、健康野菜の水炊き(野菜がうまい)、大洲の秘境で極秘裏に作られ全て築地に出荷されてしまうこちらでは手に入らない見たことも無いしいたけ(いまでもまた食べたい)、オーガニックドリンクサービス、非売品スペシャルケーキ、仕上げの最高コーヒー。

パルスデザインさんは社長自らその日の朝から仕込んだおでん、北海道から取り寄せた直送のタラバガニ(生きていた)5キロ、これを焼いて食させていただいたのだがすごうま。

青葉土地は土屋鮮魚の刺身セットとおこわ、コロッケなどとマーブルさんへのクリスマスプレゼント。

みんなでわいわい手作りで作っていったパーティーは私が足痛のためノンアルコールだったこともあり、実に滞りなく、実にスムースに、実に気持ちよく流れていったのであった。(いかに酔っ払いの私がガンであることか・・)

 

それにしても皆さん本当に気持ちのいい方ばかりで正直驚く。  もちろん前から分かってはいるのだが、本当に気持ちのいい方達なのである。  気の使い方が自然きわまる。  自然に振舞えるということは実は結構難しい。  この人たちは恐らくどこでもそうやって生きている人たちなのだろうと思う。  いい方たちと私はお付き合いさせていただいているんだなあと素直に思った。

クリスマス・イブにふさわしい気持ちになれたひと時であった。  何よりのプレゼントである。 

感謝。

 

 

 

 

今のうち

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まだ足いたい。  びっこ引いて歩いてます。  年のせい?   冷いからよけい?   明日はお休みだから思いっきりお休みしよう。   なんか痛いと弱気になるのよね。   実は私は痛みに弱いのであった。。

 

 

気分転換に面白いというか、何というかの出来事を一つ。

 

先週土曜日にseedでイベントがあった。  私はマーブルデーで飲んでいたのだが ・・

今年一年を通していろんなイベントを仕掛けてきたフレッシュリーブス4FのRoute 34さんである。

彼らは今回「チーム対抗歌合戦」という対戦方式でチャンピオンを決めるカラオケ大会を主催したのである。

 

審査員も用意し、コメント付きで採点を行いながら進めていく訳である。

 

もっともここで注目すべきは、我々の世代にとっては不特定の人前で歌を歌うことは当たり前のことだったのであるが(昔のカラオケは高価で店に一台しか置いてないので、客は順番に全員の前で歌わざるを得なかった)、今の若者はカラオケボックスが主流の世代なので、友人知人と区切られた部屋で歌うことしか体験が無い。

したがって、他人の前で歌う緊張感や、知らない人からほめられる喜びや、歌をさかなに知らない人同士で盛り上がるなどのコミュニティーの場としてのカラオケを想像すら出来ないのである。

 

そこにこのワカモノ達が敢然と立ち上がった?!   ごめん、 それほど大げさなことではない。。

 

で、 果たしてその結果は? 

 

初めはおっかなビックリ歌ってたらしいのだが、そのうちの一人が面白おかしくパフォーマンスよろしく歌ったことから大いに盛り上がり、後はワカモノの力よろしく老いも若きも大いに楽しんだようである。

終わってから私の事務所に報告に来る彼らの顔が本当に嬉しさと楽しさに輝いていたのが印象的であった。

 

 

昨今このような世代を超えたコミュニティーの場所が消滅しかかっている時代にこそ、こんな場所やシステムが必要なのだろうと思う。

このイベントの日まで、このメンバーの代表と私の昔話をはじめ、今必要なこととしての話などもさせていただきながらここまで来れたことを、自分のことのように嬉しくなった。

 

ワカモノに何も可能性が無いわけではなく、それを知る環境が無いのであるという持論は又一つ立証された。

 

さあ、ワカモノよ、どんどんやれ! もっとやれ! いろいろやれ! 

やりたいことを私に言え! 手伝えるところは手伝うぞ。 全部はやらんが、ちと手伝うぞ。

 

今のうちだぞ、  ワカモノよ。

 

 

 

 

 

もういや!

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昨日の日曜日はえらいことだった ・・

何せ真夜中から左足付け根あたりが痛くて眠れず、朝が来てもどんどん痛くて動かない状態になってしまった。 歩くこともままならず、トイレも立ち上がることが難しく、えらいことになったと一人奮闘していた。 かみさんはまだねんねだったので・・

よくよく原因を考えてみると、一週間前くらいにジムのマシンでちと無茶をやり同じ部分に痛みはあったのだが、余り気ににせず無視してその後も続けていた。  そして先週土曜のマーブルデーでおビールをまたまた飲んじゃったのよね。  そして、翌朝、  地獄を見たわけ。

まあ、股関節部分だけに、座っても、立ってても、寝てても、何をしても影響する場所であることを初めて知った次第。 ほんと大変でした。

やっと起きていらしたかみさんは、不思議な姿勢で硬直している我輩を見て、「何やってまんねん??」  ってな感じでしたが事情を察すると速やかに救急病院へ連れて行ってくれたのでありました。    その節はありがとうございました。。

病院では通風の検査からレントゲンまでやっていただきましたが、どうやら私の読みどおり、無茶が原因で筋肉が炎症を起こしているだろうとの事。  おまけにそこへアルコールをぶち込んだものだから ・・

皆様、 炎症のあるときにお酒は飲まないようにしましょうね。。

 

今週あと二回の宴会、 もちろんお茶でやらせていただきます。  もう懲りました。

 

 

 

甘党の剣客

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先ほど剣道形の師匠である教士八段、加茂 功先生のところに本年お世話になったご挨拶に伺わせていただいた。

本人はさほど大げさに感じておられないかもしれないのだが、私にとっては中々の一大事の年であったのだ。

若かりし頃剣道を少々かじっていた時には先生方の説教くさい話など、いよいよめんどくさいと思っていた私であったが、この年に至りそれなりの体験経験を経てみると改めて触れる先生からの剣の教えが身にしみることと相成った。 

即生きるか死ぬかどちらかの結果が出てしまう剣の世界においては、それに関わる何人たりとも避けては通れない現実だからこそ生まれた考え方があり、それが身を守ることに繋がったり、人生を深く知ることに繋がったり、生き方に繋がったりしている。 

能という芸術にもなり、茶道という道にもなり、それ以外のあまたの道に繋がっていくのである。

死を身近に感じながら生きると、やはり必然として本気の世界を長く体験することになるのであろうと思われる。 そしてそこに「美」を見つけ出していくように思われる。 「真実」かもしれぬ。

この加茂先生と話していると今の世にいながらにして、武士の時代にいるような気分になる。

先生のあらゆる所作、発言、姿勢、生き様等々が本当にそのような気にさせるのである。

そしてその先生にも実は大先生が昔から存在している。

亡くなられた大先生やご健在の大先生は適宜、先生に対して「渇」を入れたり、あらゆる書物の中に残る「教え」を説いて下さっていたというのだ。 そしてその大先生は殺すための剣ではなく、活かすための剣を説いてこられた方々であるという。 この説明は深くなるので又にするが、これは偶然ではなく、必然であったろうと思われる。 昔から師を選ぶのに三年かけよとも言われてきた。 それくらい誰に教えを請うかこそがいかに大切かを説いているのだが、これがなかなか難しい。

本人のレベルでは本当の師のレベルが分からないからである。  感覚を信じるしかないのだが、データに頼るよりは遥かに確立は高いと思う。  まただからこそ師の方から、弟子の力量、可能性、資質等々を鑑みて門を開いてやらねばならないのだが、弟子が断ればこの関係は一旦は終わる。  そこで素直に受け入れ続けた弟子だけが、その教えを深めていくことになる。

そうやってその考え方はまた熟成していく。  そして考え方はまた場所を変えても伝わることとなる。  その中の流れの一端に私もいる。  そう考えるだけで師匠の師匠のそのまた師匠のまたまた師匠の ・・・    考え方というDNAで連綿と繋がっているというか、心の一族のような気持ちになる。

 

それらのつながり続けた教えを今私は受けられている。  

これを喜びとせずに何としよう。  

いや勘違いしないで頂きたいのは、この考え方が最高であるなどとはまったく思っていない。 如何に様々な考え方があるか少々は知っているし、いろいろあることの大切さも多少は知っているつもりである。 ここで言いたいのは同質の考え方、すなわち理念を共有できているかも知れぬという喜びなのである。

だって、剣道とは勝たねば意味は無いとする先生方もそれはそれはたくさんいらっしゃるし、それが間違いだなどとは決して思ってないことは付け加えておきますね。  どこかでだれかにバッサリやられないように ・・

 

まあ今年先生が始めてくださった剣道形のお陰で、感動と共に、それくらい再確認というか新たな気づきを与え続けていただいていることが本当にうれしいということで、素直で正直な私の気持ちが本日の訪問と相成ったわけであります。 

もちろん甘党の先生の喜びそうな手土産は忘れませんでした。

 

 

本日先生から頂いた教え、  法眼鬼一が源 義経に贈ったとされる書である

 

『来たれば即ち迎え、去れば即ち送り、対すれば即ち和す。

五・五の十、二・八の十、一・九の十、これをもって和すべし。

虚実を察し、陰伏を知り、大は方所を絶し、細は微塵に入る。

殺活機在り、変化時に応ず。

事に臨んで心を動かすこと勿れ。』     寿永三年二月

 

世界平和のための知恵でもある。

 

 

 

 

なんか怒涛の如くいろんなことが押し寄せた日々が続いていたが、やっとすこし雲の切れ目から日が差し込んできた感じである。

あいキャンクリスマス会までに仕上げるビデオ編集も百時間かなんかよくわからん時間を費やしたが、先日のクリスマス会での上映も無事終了した。 スタッフ手作りのプレゼントと共にDVDもお渡しした。 まあ子どもたちや保護者の方々が喜んでくれたのかどうかは分からないが、これから始まる冬休みにでも家族そろって楽しんでいただければ幸いである。

仕事も最後の追い込みで数ヶ月かかった取引が明日契約の予定まで漕ぎ着けた。 かなり複雑な仕事であり、大いに知恵を使い、足を使い、人を使い、おかげさまでここまで来れましたという感じ。

まあもっとも本番は契約が終わった後から始まるというのが真相であるからして、来年初夏まで気の休めない状況は続く。

seedの来年度契約とスケジュールの打ち合わせ、講演依頼、司会依頼、なんやらかんやら ・・・

おまけに地下の空いたテナントでいろいろいろいろ考えた挙句に、自分でお店をやってみようか?なんて事を考え始めたものだから始末に終えない。

 

ん?  どんな店かって?       これがまた訳かんない店。

時々俺の頭はかなりいかれてるっ?  って思うことがあるのだが、今更しょうがないと思っているのでご披露する。

私は学生時代にjazzに凝っていて、三十代まで続いた趣味はレコード約1000枚、cd約1000枚という資産を形成した。 今はほとんど聞かないので売り払おうか?とも考えたのだがどうせ二束三文になるのであれば、違う使い方が出来ないか考えた。 そしてそれはあいキャンを通して理解できたある人材とリンクしたのだ。 

自閉症と呼ばれるコダワリ派の人種は正にレコードとか、jazzとか、音響とか、コーヒーとか、アイドルとか、本とか、絵とか、酒とか、なんやかんや・・・

ではレコードが大好きな誰かに一日レコード係をしてもらい、挨拶の得意なダウン症に一日あいさつをしてもらい、 接客が好きな誰かには接客をしてもらい、 コーヒーにうるさい誰かにはこだわりコーヒーを作ってもらい、 一人一つの個性を出し合い10人が揃えば何か出来ないかなあ ・・ と考えたのが始まりで、 それから車椅子でも自由に出入りでき、 大いに飲んだり歌ったりしゃべったり ・・

働く場所であり、 お客になれる場所であり、 そんな場所を好きになってくれる健常者も含めて交流できる場所 ・・

今まで行きたくても行けなかった人たちこそが大手を振っていける場所。

そんな場所が一つくらいあってもいいかな? と思ったのでした。  市駅の近くに・・

 

私は不動産屋であり、 ビルのオーナーであり、 ボランティアであり、 市民であり、 そして何より人間である。

持てる者が、持てない者のために何が出来るのか?  動ける者が、動けない者のために何が出来るのか?  なぜ天は相反する存在を用意してくれているのか? 

一部の人間が一部の人間のためだけに作った勝手な価値に踊らされてかれこれ久しい時が流れた。

不動産屋は条件に合う人間しか相手にしてはいけないのだろうか?  ビルは金儲けだけの対象物なのだろうか?  人は自分のためだけに生き続けられるのだろうか?  

 

以前よりずっと気になっていたことがある。  なぜアフガンの荒涼とした荒れ果てた大地の中で子どもたちは笑えるのか?  アフリカの難民生活の中で、 フィリピンのゴミの中で、 粉々になったビルの残骸の中で、  なぜ子どもたちは笑えるのか?

 

今、少し感じる。   何が無くとも、何が無くなっても、 彼らはその「今」に少しでも感謝が出来ているのではないか?  無いものねだりをするのではなく、 今あるものに感謝が出来ているのではないのか?  隣にいてくれる父や母に、 兄弟に、 友人に、 町の人に、 壊れたおもちゃに、 昇る朝日に、 夕立の音に、 肌を流れる風に ・・       無意識的にでも、  たとえ一人ぼっちでも、  きちんと感謝が出来ているのではないのか?  

だから微笑むことができるのではないのだろうか。

 

私も少し微笑んでいたい。  

だから全ての今に感謝し、 もてるものを誰かのために使おうと思う。

 

もっとも、勘違いする安易な依存者さんにはかなり手厳しいおいさんであることは変わらないけどね。

 

この事業、 いろんな角度で進行中。 始まったばかりです。 この先未定。 でも自分の意志は決まった。   

お楽しみに。

 

 

 

 

    

今回カリスマ会計事務所の社員さんからのメルマガをご紹介します。

一つの考え方として知っておくことは必要ではないかと思います。 もちろんこれが全てではありませんが、なかなか人は自らを追い込む考え方をしなくなっているようにも思えます。 追い込むときはいきなり「死」に追い込んだりします。実は普段の何気ない日常の中で、この代表のような考え方を持ちながら生きていると様々なスキルが自然と身についていくはずです。良い時にこそ、余裕のある時にこそ、本当にトレーニングが出来るのだと思います。 余裕が無いときに何かにチャレンジする気持ちは生まれません。

事前に課題に気づけることでビジョンが決まる。 ビジョンが決まれば行動が決まる。  よくボランティアスタッフに言っていることですが、そのことを彼も表現してくれているように思います。

 

『さまざまな公共事業のムダをあぶり出した「事業仕分け」。そのやり方や目標数値を大幅に下回った結果には賛否両論あると思いますが、仕分け人と役人とのやり取りを通してあらためて見えてきた民と官の思考のギャップには興味深いものがありました。その中で、マスコミに大きく取り上げられた、仕分け人のこの発言。「世界一になる理由は何があるんでしょうか?2位じゃダメなんでしょうか?!」私はこの発言を聞いた時、いささかびっくりしました。
私以外にも、違和感を覚えた方も多かったのではないでしょうか。どんな業界でも、「1位を狙った者しか1位にはなれないし、2位にもなれない」という事実が厳然と存在します。最初から「2位でいいや」と思っている人は、永遠に2位にはなれない。1位を目指して頑張った人だけが、1位に敗れた末に2位や3位になるのです。商売についても、「地域1番店」や「業界1位」には1位たる理由があり、2位以降は1位に追いつき、追い越すことを考え、商品力や技術力を高め、シェアを奪うことができるようになります。今では幼稚園や小学校でも、順位をつけずに競争しない教育が行われているようですが、それではむしろ格差が広がるばかり。昔は勉強ができる子は授業参観で存在感をアピールし、勉強が不得意な子は運動会で活躍するなど、子供でも自分なりに一番実力を発揮できる場所を探していたのです。

11月末に行われた、毎年恒例の当社の年末合宿会議。代表からの指示は、「これだけはライバルにやられたくない、ということを考えて、やれ。」それだけです。「それは本当に実行できるのか?」「ウチにはそれができる人はいないよ・・」
このような発言が飛び出すと、代表は激怒します。できるかできないかは、いったん度外視して考える。自らの思考の幅を狭めることは許されません。「これだけはライバルにやられたくない」のですから、そんな甘えは言っていられないのです。そうすると・・・やるべきアイデアはどんどん出てきます。「君たち、来年は忙しくなるねえ・・・」
嗚呼、実行するのは私たち(苦笑)。代表は楽しそうに話しますが、すでに忙しいということがあまり理解されていません。
こうして自社の課題が見つかり、やるべき方針が具体的に定まってきます。早いもので、今年もあとひと月を切りました。
「これだけはライバルにやられたくない、ということを考える」一度、社員全員で話し合ってみると、きっと意外なアイデアが浮かんでくることでしょう。  庫川 幸久

 

 

 

なんとなくあの続きはまだかーーーー、なんて声が聞こえてきそうなので書いてやる。

ありがたく受け取れ。

 

泣くなよ!

 

 

ある商店(下)     小檜山 博     「理念と経営」特集記事より

『ぼくがコクヨ ケ-60の原稿用紙を買っていた難波商店は、ぼくが通いだして三十二年目に倒産したのだった。

まもなくぼくはある雑誌に、小さい文房具の卸し小売商店の女性経営者が、無名だった自分に三十二年間、原稿用紙の代金を安くしつづけてくれたいきさつを書いた。 心から感謝をこめて書いた。

その雑誌が出てすぐ、コクヨの役員という人から電話が来て「うちの社の製品をそれほど長い間、使ってくださったことに感謝します。 お礼にわずかばかり原稿用紙をお送りしたい」と言った。 ぼくは丁寧にお断りした。 しかしその方は「これは社長からのお願いなのでぜひ受けてほしい」と言った。 ぼくは「では、それを買わせてもらいます」と言った。 だがその方は「われわれの感謝の心です」と言うばかりだった。

五日後、なんとコクヨのケ-60が六千枚も届けられ、ぼくは茫然と立ち尽くした。

半月ほどして難波商店の彼女から電話が来たとき、ぼくは思わず「お元気でしたか!」と叫んだ。 彼女は「倒産しました」と言って泣いた。 ぼくに三十二年間も原稿用紙を安く売ってくれた七十五歳の難波ナツコさんが泣いていた。

彼女は「六十年前に父から譲られた店を、時代の波をかぶったとはいえ無くしてしまって、これまでやってきたことは何だったのかと悩みましたが、コヒヤマさんの書かれた文を読んだ人たちが、文房具屋のあんたが一人の作家という文化を育てたんだ、商業が文化であること証明したんだ、たいしたものだ、と言ってくれるんです。 コヒヤマさんがあの文を書いてくださったことで、私が六十年間あの店をやってきた意味があったと気づいたんです。 ありがとうございました」と言った。 彼女の涙声を聞きながら、ぼくも泣いた。

 

それから間もなく彼女から「あのあと元の取引先や顧客や、前にはお金を貸してくれなかった銀行までが集まってきて゛もう一回、店をやれ゛って言うんです。 おかしいでしょう、みんな。 それで私、またやることにしたんです。 もうすぐ開業します」 という手紙が届いた。』

 

 

 

昨日にがり農法という、ミネラルのバランスを整えることで微生物の活動を活性化させ、栄養価の高い作物を生み出し、作物本来の姿に蘇らせ、またミネラル補給により作物の成長が促進されたり、食感や甘味が増したり、病気や害虫が減ったりという多岐にわたる成果、効果をあげているやり方で手間隙かけて作ってくれる農家を見つけたり、育てたりしながらそこで取れた作物だけを販売しているネイティブの片山社長さんがお客さんと共に来店された。

片山さんの野菜は毎週水曜日に隣のブルーマーブルの前で販売しいるが、今では野菜を並べた端からおば様たちが買っていくという人気振りである。

信念がある方で、消費者の健康と幸せのために利益に見合わない苦労をしてでも明るく活動されている。

そんな片山さんが連れてきたお客様は松山出身で現在東京の名だたるデパートで出張販売を依頼され、かれこれ重宝されている女性経営者であった。

女性の喜ぶ商品とサービスを扱いながら、様々な世界の人とモノをつなごうとしている方でもあった。

まあ、初対面と言うのに皆で三時間近く盛り上がってしまった。。

もともとその方は松山でのテナントを探しに来られていたのであるが、そっちのけでいろんな話に没頭してしまった。

しかし、つながる人というのは出会った時間は関係ないのである。 だいたいこんなもんである。

 

そして、  当初少し郊外の物件の希望であったと思うのだか・・  来年初旬に空き部屋になるフレッシュリーブスの一室があることが分かったとたん・・  そこに決まった。

 

縁があると言うのはこんなものである。

 

この縁もかなり深そうである。  紹介してくれた片山さんとも今まで出来なかった話が出来、そのおかげでとんでもないご縁があることが分かった。

最近富みにご縁の深度が高まっている。 まるで今までそれぞれの場所でそれぞれ違った体験をし、そしていつかそれを縁ある人々が持ち寄り、合わせながら何か作っていくことを先に申し合わせていたみたいに感じるのである。

 

またフレッシュリーブスが少し動き出すかも ・・・   かなり、 パワフルな方であった。

 

 

 

私の友人の一人がこのシリーズが好きらしい。

このブログに来ること自体レアなのだが、くちびるシリーズとはまた超レアな ・・

しかし、かく言う私は大ファンなのだから人のことは言うまい。

今回は二回に分けてのご紹介である。(ちょっと長いから)

しかし、その原点は普遍であり、永遠である。 小檜山さんのにおいである。

 

 

ある商店(上)     小檜山 博        「理念と経営」 特集記事より

『ぼくは五十年間、コクヨ ケ-60以外の原稿用紙を使ったことがない。 罫線の薄い茶色が神経に合っているのだろう。 まだ東京にいて同人雑誌に誰も読んでくれない下手な小説を書いていた二十五歳ごろは、この原稿用紙を伊勢丹で買っていた。 三十二歳で札幌へ戻ってからもすぐ、この用紙を売っている店を探した。

やっと見つけた難波商店という文房具屋で初めて十冊買った日、四十歳半ばに見える店の女性に「こんなに買ってどうするの」と聞かれた。  ぼくは小声で「小説を書く真似ごとをしているもので」と顔を伏せた。 すると彼女は「それは凄い、頑張んなさい」と言って代金を二割も引いてくれた。 彼女はそこの専務さんだった。 原稿用紙の代金を負けてくれる話など聞いたこともなく、ぼくは驚いた。

それからは三ヶ月に一度ほど十冊くらいずつ買いに行くたびに、専務がいなくてもほかの従業員が値段を負けてくれた。 ぼくがいくら正規の代金を払おうとしても受け取らなかった。 専務に言われているに違いなかった。

 

通いだして十年がたち、新興の文具商に押された難波商店は郊外のボロなビルに移転し、十五人いた従業員も五人に減っていた。 そこへもぼくは通った。

そのころぼくの『出刃』という小説が芥川賞の候補になって出版され、難波商店の社長になった彼女は「よかったね、頑張った甲斐があったね」と喜んでくれた。 ぼくは「あなたのおかげです」と礼を言った。

難波商店へ通いだして二十五年がたち、ぼくの著書も二十冊を超えて原稿用紙を買うおカネに不自由するということはなかったが、彼女は相変わらず代金を安くしてくれつづけた。

いくら、もういいからと言っても「あなたはいいものを書けばいいの」と笑うだけだった。 しかし店員は三人に減り、店はいまにも潰れそうに見えた。 彼女は七十歳近かった。

難波商店へ通いだして三十二年たったある日、原稿用紙を三十冊買おうと電話をかけると「この電話は使われてません」という録音が返ってきて、ぼくは飛び上がった。』