白取 春彦著「頭がよくなる思考術」より
『やさしさを持て』
「レイモンド・チャンドラーはハードボイルド小説のなかで「やさしくなければ生きていく資格がない」と書いたが、本当に知性のある人は性格的にやさしいものである。
というのも、知性の土台をつくる「読書」と「人の話を聞く」という行為は、やさしさと反する性質があってはできないからだ。
娯楽用に書かれた本ではなく、まとまった主張や思想を書いた本は性格のきつい人間のようなものだ。
読むとは、そういう人間とつきあうということと同じだ。
しかも、とりあえず受け入れなければ相手を理解できない。
それは、自分にやさしさ、寛容さがなければ、できないのだ。
だから、わたしは本を読まないでいる人間に恐ろしさを感じる。
彼らが他人を理解しているということをいぶかしんでしまう。
彼らが理解できるのは損得や利害、数字だけなのではないかとさえ疑っている。
しかし、そういう彼らにしても、自分の価値観をそっくり棚上げして異質の本を読むならば、やさしさのかけらを獲得できるだろう。
それがいくつかでも積み重なれば、人間性が変わっていくのは確かである。」
・・・ いかがでしょう?
私、ドキッとします。 なんか自分と肌の合う本を選んで読んでいるような・・
それでも自分には理解不能なことも多々あるのに、本当に無作為に読書した日にゃどげんなるばってん、想像できんかー。
まあちと大げさですが、ここではコミュニケーションという人類史上永遠のテーマを簡潔に表現した一つの文章だろうと思われます。
コミュニケーションという概念も人それぞれに違うでしょうが、多少無理やり定義するなら相互理解という概念を含有していると思われます。
人の話を聞いてその人の考え方に触れ、そのひとを知り、反発したり理解したりする。 本を読んで書き手の中にある存在に触れ、反発したり理解したりする。 そういうことを繰り返しながら、実のところ自分の考え方に疑問を感じたりするきっかけを頂いたり、新たなアイデアに結びついたり、生き方に影響したりしているのではないでしょうか?
そして相手も私の話からそのような影響を受けることもあるのではないでしょうか?
もしそうだとすれば私とその相手は間違いなく、相互理解の入り口に立っているだろうし、コミュニケーションしているともいえるのでは・・ と思うのです。
人にはそれぞれが生きている背景があります。 どんな環境で生きており、どんな考え方を柱とし、何のために仕事をし、誰のために働いているのか。
みんなそれぞれです。
この同じモノが一つとしてない人間同士が触れ合うわけですから考えてみれば凄いことですよね。
違うもの同士の接触ですから基本的に初めから危うさを持っているわけですよね。
そして少しずつ意見交換や共同作業などを通して、その違いに気づき、また同質さに気づくわけです。
そしてその時点での自己判断でその関係を断ったり、深めたりしていくわけですねえ。
・・・・ この話、 まったく取り留めなくなりそうなのでこのあたりで終わりますが、 自分以外の存在に少し深く触れてみるということが自分自身を知る、または気づく大きな方法論には間違いないでしょう。
さあ秋の夜長、 せっせと読書に、交流に精出してコミュニケーションしーよおっと !
ちなみに明日はマーブルデー。。









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