仕事のあり方、形が多様になり、親がどんな風に働いているのか、その後ろ姿を見る機会が失われて久しい。 子供は両親の働く姿を物心つく前から見て育つ時代と今の環境とでは簡単に比べようもないのだが、あらゆる意味でこの体験が子供に与える価値はとてつもなく大きいものであろうと思う。
何が出来るかとか、いくら稼げるとか、肩書きがどうとか言う以前に、後ろ姿だけで人は何か大切なことを伝えることが出来るのだと再確認させてくれるはずである。
駅のホームで 小檜山 博 「理念と経営」 特集 くちびるに歌を持て 心に太陽を持て より
『七十歳になったいまでもまだ、カレーライスを食べるたびに一瞬、体が固まり、さじを握りしめてしまう。
福島県で結婚したぼくの父母は、二十代で北海道へ出稼ぎにきた。 オホーツク海近くの山奥で炭焼きを十六年したあと農家になる。 カネはたまらず子どもが六人も生まれて福島への帰郷をあきらめる。 極貧生活のなか、ぼくだけを汽車で十二時間かかる苫小牧工業高校へ行かせてくれる。 寄宿舎へ入った。
二年生の夏休みに実家へ帰ったとき母に、「家族は下着一枚も買えずにおまえにカネを送ってるんだ。もう無理だ、学校やめて働け」と言われた。 十六歳のぼくは三日三晩、板の間に土下座をして泣きながら頼み、長兄が出稼ぎに行き、父は馬での丸太の運搬で稼いでくれることで中退を免れた。
学校へ戻る日、父はぼくを十二キロ先の駅まで送ってきてくれた。 父はぼくを駅前の食堂へ置くと「何か食ってろ」と言って出て行った。 ぼくは壁の値段表から一番安いカレーライスを頼んだ。 それを大事に食べた。
しばらくして戻ってきた父はぼくにおカネをよこしながら「これしか借りれんかった、またすぐ送っから」と言った。 農協かツケのきく商店から借りてきたものだ。 ぼくは手のおカネをポケットに入れられず握ったまま「父ちゃんも何か食べなよ」と言った。 父は「いや腹へってない」と言ってぼくの空になった皿をちらっと見、それから壁の値段表を見上げ、すぐに目を伏せた。 だが、ぼくといっしょに朝ご飯を食べたきりだから腹はへってるはずなのだ。
ホームまで送ってきた父は、ぼくに背を向け黙って汽車がくる方を見ていた。
汽車がきて動き出し、ぼくがデッキから「行ってくっから」と言うと父はやっとぼくを見て「からだ気いつけるんだぞ」と言うとすぐ視線をそらせた。 その眼の奥がキラキラ光った。 ぼくは「うん」と言った。 汽車が速度を上げ、遠くなった父がこっちへ背を向けてすばやく手で眼をぬぐうのが見えた。
その父が八十六歳で北海道の土になって二十年がたつ。 だがぼくの眼の底に残った、駅のホームで見た五十年前の父の後ろ姿は鮮明だ。』









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