さて、7月も残すところ数日となり子どもたちにとっては夏本番を迎え、大人にとれば終わらない梅雨にやきもきしながら、また終わらない不況に不安を抱えながらの2009の夏の最中であろう。
こんな時、ついぞ不平不満のはけ口に幸せそうな子どもたちが犠牲になったりもしがちである。
誠にこんなときこそ大きな心を持っていたいと思うのであるが、もはや大きな心とはどんなものかさえ分からぬ大人も増えてきたような気も ・・ 自省も含めて ・・
今回ご紹介する小檜山さんのテーマは 「大きな人」
その一例からまた感じさせていただきました。 ありがとうございます。
大きな人 小檜山 博 (理念と経営 特集記事)
『瀬戸はぼくの苫小牧工業高校のときの友達で、勉強はろくにしなかったが義侠心が強く、弱い者がいじめられたり、下級生が他校生にいじめられるとすぐに助けに飛んで行って暴れ、十回以上も退学しそうになった。
だがその都度、彼の担任が職員会議で「瀬戸はいいやつだ。彼を退学させるなら私も学校をやめる」とがんばって彼を守り通した。
そのことを知った瀬戸は、人が変わった。
三十歳で建設会社を設立、社長に就いた。
ぼくがある文学賞の候補になった三十歳代後半のある日、東京の有名な文芸雑誌から、「小説を頼みたいので打ち合わせをしたいが、東京へ来るついではないか」と電話がきた。ぼくは東京になどは用がなかったが「あしたちょうどそっちに行く用がある」と返事をした。早く行かないと注文を取り消されるかもしれないと不安だったからだ。
だがカネがなかった。飛行機代やホテル代、編集者との飲食代で十万円は持って行きたかった。貧乏させている妻が持っていないのはわかっていた。
恥ずかしかったが思いきって瀬戸に電話した。彼は即座に、ひどく明るい声で「よしわかった」と言った。ぼくに恥をかかせまいと気づかっての明るさなのがわかった。
瀬戸に借りたカネのおかげで書けた小説は、ある文学賞の候補にまでなったのだった。
東京から帰って五日目、ぼくはなんとか金策をして瀬戸に電話した。彼は「なに? カネ返すって?」と怪訝そうな声を出した。
瀬戸の家へ行って借りたカネを出すと彼は「おまえ、ほんとに返すつもりか」と顔をしかめて首をひねった。彼は返したカネの中から四万円をぼくの前へ置き、三万円を奥さんに押し付け「儲かった、分けるべ」と笑い、残りを自分の財布にしまった。ぼくがカネを押し返すと瀬戸は「辛いときは、お互いさまよ」と、ぼくのポケットへ押し込んできた。
瀬戸の会社は成長した。彼はやがて、高校のとき体を張って自分の退学を阻止してくれた担任教師夫妻に毎年一回、海外や国内旅行をさせはじめた。すべての費用を瀬戸が出し、恩師がなくなるまで十五年間もつづけた。』









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