さて、おふざけをやっているウチにいよいよ本格的なミーティングを迎える時が来た。気持ちを切り替えていこう。
以下も新聞の切り抜きの紹介であるが、私たちの活動とも大いにリンクするのでご紹介したい。
祝開校30周年
知的障害のある優子さん(以下人物名は仮名)は、天真爛漫な中学二年生。
好きな人は、副担任の若い恵子先生だ。 先生の似顔絵を描いたり、お手紙を書いたりする。
いつになったら異性を好きになってくれるのだろうかと心配した。高一になってついにその時が来た。相手は高三生の徹君である。
そこでバレンタインデーの社会的意義を勉強し、無事プレゼントに成功した。「ホワイトデーにはクッキー渡そうか」というので、強く制止する。
卒業式が近くなった。
次の学習はお別れの手紙だ。心を表現すること、それを文字で表すことをねらいとする。
私は「徹君卒業おめでとう。わたしもうれしいですと書いたら」とアドバイスする。いつもなら「はい」と元気に言うところだが、今回は困っている。自分の気持ちに戸惑っているのだ。
私は毎日言う。「徹君の卒業式まで、あと何日。優子さん、うれしいよねえ」
ある日、「違うよ、さびしいよ」という言葉がようやく出た。
こうして「さびしい」という気持ちを身をもって味わうことができ、「さびしい」という言葉に出合った。
さて、三月末、今は他校にいる恵子先生が、結婚のため退職して東京へ行くことになった。そこで、急いで、みんなで、お祝いの寄せ書きを書くことにした。「結婚てなんですか」と聞く。「好きな人、例えば徹君とずっと一緒におられるんだよ。だからこういう時、、あなたは、『うれしいです。おめでとうございます』と書き、先生は『さびしいです。おめでとうございます』と書くのが礼儀なのだ」と私は教える。
みんなが書き終わったら、ちょうど自分の離任式の時間となった。
慈愛の空間の中で、丁寧に人生をたどり、しあわせ、うれしさ、さびしさ、がんばりを心ゆくまで体験していく。こうして、優しい人が育っていく。
これが宇和養護学校三十年が積み上げてきた教育である。
障害があるため教育が出来ないと言われた子供を前にした時、教育は人間の心を育てることであるという答えを出した。
「特殊教育は教育の原点である」という言葉はここから生まれた。特別支援教育となってもこの原点は受け継いでいきたい。
子供に癒され、幸せな思い出を頂いて、次の勤務先は中学校となった。
宮本春樹 公立学校教員


この記事を読んで思い出したのは
去年のメンバーの報告書にあった゛結局最後までどの子が障害児か健常児かわからなかった。゛、゛私たちは必要以上に区別したがると思います。゛
とゆうことばです。
高校生らしい文章だなと思っていました。
私はドキッとして、初心を思い出させてもらいました。
私があいキャンに入って一年目に感じた同じような感想も、二年目三年目になると、あいキャンとゆう場でも区別したがってる自分がいる…。
あいキャンだけじゃなく生活の場でも。
便利だから?
なんだかそんなことを思い、初心に戻りました。
ありがとう。